「…さて…準備は良いな?」

「ええ、いつでも出発出来ます」


 目の前には旅に備えた荷物
 剣の手入れも終え準備万端

 再びモップと化したエルバイトを背負い、
 全ての準備を終えた二人は見送りのワイバーン達に囲まれていた



「…武官長ラキオバ
 近隣の陸地まではお前が送ってくれるのだったな」

「はい、力及ばずながら、
 ノワール王子と使者セオフィラス殿をご案内させて頂きます」


 そう言うと、ラキオバは深々と会釈をする

 武官なだけあって体力面には自信があるらしい
 目の前に広がる大量の荷物を見ても平然としている


「それではセオフィラス殿…用意は宜しいですね」

「え、ええ…
 私はいつでも宜しいですが…」

「わかりました
 それでは―――…」


 そう言うと、ラキオバは片手を高く掲げる
 そして声高らかに言い放った



「スマキ部隊、出動!!」

「…はあっ!?」


 すまき…って何!?


 セオフィラスがそう突っ込む間も無く

 何処からか湧き出てきたワイバーンたちに
 ぐるりと取り囲まれるセオフィラス


「えっ…?
 え、え、ええっ!?」

 状況が呑み込めず硬直している間に、
 ラキオバ率いる『スマキ部隊』は
 その名の通りセオフィラスをスマキにして行く


 程無くして

 爪先から頭の天辺まで、
 見事にぐるぐる巻きにされたミイラ男が完成した




「…お、おい…ラキオバ…
 これは一体、どういう…?」

「トカゲ嫌いのセオフィラス殿が大人しく私の背に乗られるとは思えません
 ここで一悶着を起こして出発を遅らせるよりは、
 少々手荒ですがこの手段を取った方が効率が宜しいかと思いまして」


 そう言うとラキオバは本来の姿であるワイバーンの姿に戻る
 セリはその背に黙々と荷物を積み上げ固定して行く

 その間、スマキにされた騎士は、
 陸に上がったアザラシのように地面に転がされていた

 物言えぬ騎士の背に周囲の涙を誘う哀愁が漂う



「…セリよ…お前は確か、
 ラキオバの元で武官の修行をしているのだったな?」

「はい、王子」

「……大変だな、お前も…」

「…………はい、王子……」


 あの男と行動を共にする事そのものが、
 ある意味、最も辛い修行といえる気がする

 思わず少年の肩を叩いて労うノワールだった



 荷物を全て積み終え、
 最後にセオフィラスとモップも積み終える

 ノワールは慣れない人の姿にバランスを崩しそうになりながらも、
 辛うじてラキオバの背びれにしがみ付いていた

 初めて外に出たノワールは当然ながら海に出るのも初めてだ

 当然ながら一度も泳いだ事がない
 ラキオバの背から落ちれば、確実に溺れる


「…それでは参ります」

「あ、ああ…
 ラキオバ、お前は…泳ぎは得意なんだろうな?」

「ええ、幼少の頃から泳ぎは嗜んでおりました
 肉体の鍛錬にも水泳は効果的でございます
 最近では潜水技術も上達し、
 数十分は海底に沈んでいる事が可能になりました」


 それは凄いけど、
 今、沈むという言葉は不吉過ぎる

 そして潜るも禁句だ


「…潜るなよ?
 絶対に今は潜るなよっ!?」

「ちなみに私の一番得意な泳ぎは、
 背泳ぎでございます
 一度、王子の前でも披露させて頂きたいと常々――…」


 お願いだから今は止めて



「私、泳ぐ早さにも自信がありまして
 是非このスピードを体感して頂きたく――…」

「そんな見るからに海に落ちそうな事はしないでくれ!!
 おっ…オレは今、慣れない人の姿で
 ただでさえバランスが上手く取れないんだ!!」


「今なら元のお姿に戻られても宜しいのでは?」

「………………あ」


 そうだった
 今、セオフィラスはぐるぐるミイラ男状態

 ノワールが人型だろうが竜型だろうが、
 今の彼には見ることが不可能なのだ

 …わざわざ人の姿でいる理由は無い


 何故、その事に気が付かなかったのか
 人の姿で苦労しながらしがみ付いていた苦労が切ない

 そそくさとノワールは竜の姿に戻る




「……よ、よし
 これならバランス感覚もバッチリだ」

「確かに王子の体型、かなり安定感がございますね」


「そう見えるか?
 全体的に丸い上に弾力性もあるせいか、
 一度坂道で転べば、障害物にぶつかるまで
 どこまでも転がって行ってしまうのだが…」

「それは何とも微笑ましい光景でございますね
 想像するだけで自然と胸が暖かくなって参ります」

 ほのぼのとするな



「まぁ転がってみて初めて気が付いた事もある
 オレは…走って移動するよりも、
 転がった方が遥かに早い

「それはそれは…
 やはり足の長さが…いえ、何でもございません」


 今、何を言いかけた?



「ですが転がる王子も一度、
 この目で拝見させて頂きたいものでございます」

「……こ、転がすなよ?
 間違ってもオレを坂道で突き倒したりするなよ?」

「流石にそこまでは致しません
 セオフィラス殿とは違いますから」


 確かに
 あの男ならやりそうだ





「あのマイペースな性格は、
 ある意味末恐ろしいものがあるな…」

「そういえば先ほど計算してみたのですが…
 王子の年齢は人の寿命に当てはめて計算すると、
 だいたい23〜25歳くらいの年齢となられます」


「ふぅん…思ったより若いな」

「ちなみにセオフィラス殿の方が年上でございます」

「…ま、マジでか!?
 あの男…見た目より老けているんだな」



「元々は別の職に就いていたそうですが…
 家庭の事情で騎士団に入団し、現在に至るそうでございます」

「…事情って…」

「要するにです」

 要されると何だか切ない


「剣の腕は騎士の中では平凡だそうですが、
 ハングリーさでは誰にも負けてない、とか…」

 飢えてるのか…




「最大の弱点は知っての通り、トカゲでございます
 我々ワイバーンとしては少々残念な気も致しますが…」

「トカゲが嫌いというわりには、
 オレの事は散々弄り倒していたが」

「あぁ…王子の場合、トカゲ顔というよりは、
 むしろカエル顔でございますから…」


 がーん

 ノワールは心に20ポイントのダメージを受けた


「…か、カエル…
 カエルの顔…オレが…カエル顔…」

「あ、そんなに落ち込まれなくても…
 ディサ国の王子もカエル系だそうですよ」

 なにそれ

 というか、
 全く慰めになってない




「…さて、話している間に随分と時間が経ってしまいました
 遅れを取り戻す為に、少々スピードを上げさせて頂きます」

「え、あ、ああ」

「落ちないよう、しっかりとおつかまり下さい」


 言われなくてもそうする

 濡れるのは嫌だ
 ノワールはその背に両手でしがみ付く



「では参ります――…
 全速力クロール!!」

 とっぽん

 ラキオバの身体が斜めって
 ノワールの身体半分が海に沈んだ


 ごぼごぼごぼごぼごぼ…


「ちょっ…こ、こら!!
 水没!!
 背中水没してるって!!」

「でも早いでしょう?」

「早くてもダメ!!
 背中が水没する泳ぎはダメっ!!」



「それでは―――…バタフライ!!」


 ばっしゃんばっしゃん

 激しく上下に揺れる泳ぎ

 気分はすっかり、
 嵐の海に翻弄される小船


「う、うわあああああああっ!!」

 ノワールの絶叫が、
 大海原に響き渡る



「お…落ちるっ!!
 ラキオバ、落ちるぅぅぅぅぅ…っ!!」

 容赦なくビシバシと身体を叩く海水
 暴れ馬のように激しく揺れる背中

 目が回り、そして次第に気持ち悪くなってくる


 ノワールは今、竜の背の上で、
 人生初の船酔いを経験していた

 …船じゃないけど



「もう少しで岸に着きますので、
 あともう暫く頑張って下さい、根性で!!」

「こ、こ、根性って言われても…」

「じゃあ念力で!!」

 無茶言うな



 死に物狂いでラキオバの背ビレを握り締めるノワール

 そんなノワールの反応を心から楽しむラキオバ
 ノワールの必死な姿と反応に満面の笑みを浮かべている


 ラキオバは完全にノワールで遊んでいた

 セオフィラスといい、ラキオバといい
 イイ性格の持ち主に囲まれがちなノワールだった





 それから、たっぷりと2時間後


「……きゅぅ……」

 フラフラと陸地に降り立ったノワールは、
 そのまま砂浜に突っ伏してノビていた

 全ての荷を下ろしたラキオバは、
 そんなノワールに向かって満面の笑みを浮べる


「お疲れ様でした」

「……し、死ぬかと思った…」

「死にませんよ
 せいぜい溺れる程度でございます」

「………………。」


 もう言い返す気力も無い

 腕の筋が張っている
 恐らく今夜辺り筋肉痛になるだろう

 ラキオバの背中にしっかりと固定されていた、
 荷物&セオフィラスが恨めしい



「それでは王子、
 そろそろセオフィラス殿を解いて差し上げて下さい」

「これを解いた瞬間、
 憎まれ口で叩き伏せられそうなんだが…」

「この布には眠り草の粉が大量に振り掛けられてます
 当分は目を覚まさないので、何の心配もございません」

 それはそれで心配だ


 しかし…

 騎士であるセオフィラスが、
 やけにあっさりとスマキにされた時点で妙だと思っていた

 その後も、スマキ状態の彼が一言も声を発さず、
 さらに身じろぎすら全くしていなかった事も

 ノワールなりに不思議に思っていたのだが…



「…そうか…成る程な
 予め睡眠薬を仕込んでいたのか…」

「ええ、目覚めるまでまだ時間が掛かります
 …彼が目覚めた際はフォローを宜しくお願い致します」

 面倒事を押し付けるな


「それでは私は帰らせて頂きますので」

 待て
 こんな状況で一人にするな


「そんなに急いで戻らなくても…」

「いいえ、早く戻らなければならないんです
 今頃、王も大変な事になっている筈ですから」


「…王が…?
 そう言えば出発のときも、
 見送りに来なかったが…まさか病気に!?」

「いえ、それが―――…
 早速息子シックになられまして」


 ……は?



「王は部屋にお篭りになったまま、ずっと泣き伏しておられまして…
 『のわるんが行っちゃう』
 『パパ寂しいよぅ』といった、
 鳥肌の立つような泣き声が延々と…」

 …親父…
 勘弁してくれ



「まさかあの厳格な王が、
 子離れ出来ない親バカだったとは…
 意外な素顔に我々も少々驚いております」

「…ははは…はは…はははは…」

 もう乾いた笑いしか出て来ない


「…そ、そんなキャラだったのか…」

「今頃、巣の中は大変な状況だと思われます」

 ご迷惑をおかけします


 どうしてラキオバが、
 あんなに急いで泳いでいたのか

 その理由が今、わかった気がする



「というわけですので、私は戻らせて頂きます
 これから王を慰める私たちの苦労に比べれば、
 セオフィラス殿のフォローなんて可愛いものでしょう」

 返す言葉が無い


 再びざぶざぶと海の中へ入って行くラキオバを見送りながら、
 ノワールは全身の疲労をひしひしと感じていた

 まだ、ようやく最初の一歩を踏み出したばかりだというのに
 それなのに、全身を苛むこの疲労感は一体…


「はぁぁぁ…」

「そんなに深い溜息吐いちゃダメっスよ、若さん」


 振り返るとそこには、
 緊張感皆無の笑顔を浮かべたモップ男

 何故か胸を張ってVサインをしている



「…そうだった…コイツもいたんだった…」


 その瞬間、ノワールの疲労ゲージがMAXに達した

 エルバイトという男は、
 その存在そのものがノワールのストレスだ

 疲労に加え、ストレスまでもがノワールに圧し掛かる


 ………ぽて

 再び砂浜に突っ伏すノワール

 とにかく今は休息が必要だ
 何もかもを忘れて眠りたい



「ちょっ…わ、若さん!?
 一体、どうしたっスか!?」

「オレは寝る
 あとは貴様が適当にやれ」

「えええっ!?」


 そして

 昏々と眠り続けるミイラ男と、
 不貞寝を決めたカエル顔の王子



「…自分、何をどうすれば良いっス…?」


 ぐーすか眠る男二人を前に、
 何もする事が無く呆然と立ち尽くすモップ男

 見渡す限り、延々と続く砂浜

 周囲に集落は無いらしく、
 自分たち以外の人の気配は全く無い


「…………。」


 ざっぱーん

 波の音だけが、
 やけに耳に響いていた