「王子…大丈夫ですか?」



 木陰に座り込むノワールに、
 セオフィラスは心配そうな視線を送る

 外に慣れていないノワールは、
 太陽の眩しさにダメージを受けていた

 軽い熱中症である


「……す、すまない……
 日差しを浴びていたら、急に眩暈が…」

「王子…こんな状態で、
 本当に旅に出られるんですか?」


 荷物持ちどころか、
 普通に外を歩けるかどうかすら危うい

 予想だにしていなかったトラブルだ



「…昼には出発する予定でしたが…
 陽光が苦手なら、夜中に出ましょうか?」

「い、いや…少し経てば慣れる筈だ」


 長い間洞窟の中で生活していたノワール
 太陽の日差しに身体が驚いているらしい

 彼の言う通り慣れてくれれば問題は無いのだが…



「…トカゲって変温動物…」

「い、一応ワイバーンは体温調節は出来る筈だが…
 オレの場合、一般的なワイバーンと同じように
 考えるのは無理があるのかも知れないな…」


「辛いようなら洞窟に戻りましょう
 肩くらいお貸ししたい所ですが――…やっぱりダメですよね…」

「気持ちだけありがたく受け取らせてもらおう…」


 自分とノワールの関係は、
 こういう時、不便極まりない

 体調が悪い時に手を差し出すことも出来ない




「じゃあ、杖の代わりになるような木の枝を探して来ます
 何か支えがあれば歩くのも楽になるはずですから…」

「……頼む……」


 本当は他のワイバーンを呼べば良いのだろうが、
 仲間の前で弱った姿を見せたくないとノワールが駄々をこねるのだ

 それなりにプライドがあるらしい

 セオフィラスは日差し除けとして、
 自分のマントをノワールの頭にかけると
 杖の代わりになりそうな枝を探して歩き始めた






「斧でもあれば適当な枝を切り落とせるんだけどな…」


 剣で枝を切り払うのは難しい

 騎士団長ほどの剣の達人になれば造作も無いのだろうが、
 セオフィラスのような一般騎士の技術では困難だ

 薪程度の細い木の枝なら可能だろうが、
 今必要としているのはある程度の強度のある枝だ



「この辺の木はどうなんだろうな…」


 試しに手頃な気に手を掛けてみる
 太いその枝は予想以上に柔らかかった

 かなりの水分を含んでいる
 どうやらスポンジ状の構造をしているようだ



「……強度的に問題だな……」


 どんなに太くても柔らかい木では杖にならない

 色々な木に手を掛けてみたが、
 この島の木はどれも柔らかいものばかりだった

 落ちている木の枝も、手で握れば崩れてしまうほどの脆さだ




「…マジかよ…参ったな…」

「お困りっスか〜?」

「……………。」


 突然頭上から降りかかってくる、
 妙に気の抜けた声

 そしてこの口調―――…



「モップ…久しぶりだな
 てっきり一発キャラだと思ってたのに」

「旦那、久しぶりっスね
 暫く姿を見なかったから、
 てっきりワイバーンの胃袋で消化されたと思ってたっス」


「トカゲに食われてたまるか…」

「朝からテンション低いっスね
 もう少し奇跡の再会を喜んでくれても良いのに」

「モップと再会して喜べって言われても…」


 モップと会話している自分が悲しくなってくる

 ここが偏狭の島で助かった
 こんな姿、とてもじゃないが第三者には見られたくない



「それで、当初の目的は果たせたんスか?」

「ああ…まぁ…
 とりあえずワイバーンと会うことは出来たよ
 ただ厄介事に巻き込まれる形になったけど…」


「旦那も色々と大変っスねぇ
 まぁ、このモップで良ければ力になるっス」

「……モップの力を、どう借りろと……」


 ……。

 …………。

 いや、待て
 これは使えるかも知れない



「じゃあモップ君、ちょっと手を――…
 いや、柄を貸してくれないかな」

「……は?」


「杖の代わりになる枝を探していた所だったんだ
 かなり見栄えは悪いけど、無いよりはマシだろ?」

「随分な言われようっス…」

「まあ…気にするな」


 見た目も悪いし、何より喋るけど
 とりあえず強度的には問題無い

 俺はモップを手に取ると、
 それを担いでノワールの元へ戻った







「王子、お待たせしました」


 俺は担いでいたモップをノワールに差し出す

 一体どんな反応が返ってくるか
 少し心配になったが、それは杞憂だったらしい


「随分と珍しい枝があったものだな
 布のようなものが生えている…こういう種類なのか?」

「これはモップです
 ポピュラーな掃除用具ですが…知りませんか?」

「人族の道具をオレが知るわけ無いだろう
 そもそもワイバーンには道具を扱うという習慣があまり無い
 オレたちの姿で人族の道具を使いこなすのはかなり難しいんだ」


 確かに、あの巨体でモップがけをしている姿は想像出来ない
 そもそも洞窟に住んでいるのだから、掃除用具とは無縁なのだろう

 そういえば日常生活も、かなり原始的だ



「…セオフィラス、お前はこいつと知り合いなのか?」

 こいつ…とは、
 恐らくモップの事なのだろう


「知り合い…と言えなくも無いです
 初めてこの島に来た日、道案内をして頂いたので」

「そうか…成る程な」


 じーっとモップを凝視するノワール

 当のモップは緊張しているのか、
 一言も言葉を発さないまま微動だにしない

 まるで普通のモップのようだ



「…これを…連れて行くのか?」

「杖の代用品として使えないかと思いまして…
 気に入らなければ捨てて下さって構いませんよ
 人手を離れれば自然と野に帰って行くでしょうから」


 モップの話をしている気がしない
 自分で言っていて妙な気分だ

 しかし事実なのだからしょうがない



「捨てた所で勝手について来るのは目に見えている
 こそこそと嗅ぎ回られるより、
 手元に置いていた方がマシだろうな
 正直、好い気はしないが…仕方が無い、せいぜい利用させて貰う」

「…お、王子…?」


 ギロリ、と鋭い眼差しでモップを睨みつけるノワール
 そして相変わらず物言わぬ掃除用具となっているモップ

 漂う険悪な空気
 しかし、何故そんな空気になっているのかがわからない

 普段からあまり空気を読むのが得意ではない
 セオフィラスは心当たりの無い現状にひたすら首を傾げる



「王子…な、何か気に触るような事でも…?」

「セオフィラス…お前は何も気付かないか?」


「な、何が…でしょう?」

「こいつから感じる力に覚えがある
 微弱だがオレの身に刻まれた呪いと近い」


「……はぁ……?

「こいつは神族だ
 竜族と人族の和解を見届けるべく、
 神から遣わされた――…言わばオレたちの監視役だ」


 そう言うとノワールは虫を見るかのような視線をモップに向ける
 憎悪と軽蔑の色を隠そうともしない、冷たい視線だった

 しかし―――…

 そう言われてもセオフィラスは今ひとつ状況が飲み込めない
 というより、素直に理解が出来ない





「ま、待って下さい
 だって…これ、モップですよ?」

「それがどうした
 姿を変えることくらいオレにだって出来るぞ」

「仮にモップが神のスパイだったとしても…
 おかしいじゃないですか
 何でよりによってモップに変身するんですか
 明らかに不自然ですよ、私ならもっと自然な姿に変身します」


 わざわざ空を飛んで言葉を喋るモップだなんて、
 そんな見るからに怪しい姿に変身するだろうか

 本当にスパイなら自然に自分たちに溶け込める姿に変身するだろう

 人や妖精、もしくは小動物…
 とにかくモップに姿を変える意図がわからない



「そもそもスパイというのは目立たないのが鉄則です
 こんな見るからに珍妙で下らなくて、
 インパクトのある姿にわざわざ変身するでしょうか?
 誰がどう見ても不自然でナンセンスですよ」

「…セオフィラス、神族はオレをあんな姿に変えるセンスの持ち主だぞ」

「―――…はぅっ!!」



 なんか今、
 すっごく納得した


 そうだった
 神族は、そういうセンスの持ち主だった

 彼らの斜め方向に突き抜けた感性なら、
 喋るモップというシュールなキャラを生み出す可能性も否定出来ない



「ええと…も、モップ君…?
 俺たちの話って…本当だったりする?」

「………大筋で…合ってるっス……」


「うわぁ…マジかよ…
 本気で神族って独特のセンスだなぁ
 喋るモップかぁ…本当に良い趣味してるよ」

「セオフィラス…
 お前、そこに突っ込むのか…?」


 両手で頭を抱えるノワール

 心なしかモップも微妙に
 項垂れているように見えるのは気のせいだろうか



「あ、いや、勿論他にも突っ込み所はありますよ?
 モップが監視しているとか、そういう事ですよね」

「明らかにそっちの方が重大問題だろう
 頼むから優先順位を守ってくれ…力が抜ける」


「そんなに神経質にならないで下さい
 ちょっとしたお約束的展開じゃないですか
 …それで、具体的にモップは何をどうするつもりなんだ?」

「自分は人族と竜族の和解を少しでも手助けしたかったっス
 もし旦那とワイバーンの関係が上手く行かなかった場合、
 その関係を深める橋渡しをするつもりだったっス
 実際は自分が出る幕も無く、良い関係になったみたいっスが…」



「見ての通り我々の関係は良好だ
 お前の出る幕ではない、天界に帰るんだな」

「そ、そういうわけにも行かないっス
 上の連中に『二つの種族の行く末を見届ける』っていう
 長丁場な使命を申し付けられてしまったんスよ
 だから現時点ではまだ自分は帰る事が出来ないっス」


「……厄介な……」

「ま、まぁ王子もそう言わずに…
 モップが人族と竜族の和解を見届けて天界に報告してくれたら、
 神も竜族に掛けられた呪いを解いてくれるかも知れないじゃないですか」


「そ、そうっス
 自分…悪いようにはしないっスよ」

「…同行を許すのは、
 オレとセオフィラスが旅をする間だけだぞ」



 呪いを掛けられた当事者なだけあって、
 ノワールは神族に対して辛辣だ

 それでも旅の同行を許した事に
 セオフィラスとモップは安堵の息を吐く


「良かったぁ…
 じ、じゃあ二人とも宜しくお願いするっス」

「オレは神族と馴れ合うつもりはない」

「…まぁまぁ、王子…」


 不機嫌さを露にするノワールを宥めるセオフィラス

 モップは人族と竜族の橋渡しをするつもりでいたらしいが、
 セオフィラスはノワールとモップの仲を取り持つ役目を担う事になりそうだ





「早速、昼頃から旅に出るつもりなんだけど…
 モップの方は準備出来てる?」

「自分はこの身一つっスから…
 持ち物も無いから大丈夫っスよ」


「そっか…じゃあ王子、支度を整えてしまいましょうか」

「ああ」


 ゆっくりと立ち上がるノワール

 まだ多少ふらついてはいるが、
 それなりに慣れてきたらしい

 それでもしっかりとモップを杖代わりに使っている所に
 一抹の不安を感じるセオフィラスだった




「近くの島までラキオバが送ってくれるそうだ
 とりあえず人の住む集落があるらしいが…
 人の住まう場所とは、どのような所なのだろうな」

「地域によって文化も習慣も違いますから一概には言えませんが…」


「人付き合いの基本は笑顔と挨拶っスよ
 これは大抵何処の国や地域に行っても共通っス」

「―――…って、モップ君
 頼むから人前で喋るのは止めてくれよ
 変に悪目立ちして町から追い出されたら大変だ」



「その辺は心得ているっス
 諸事情で止むを得ない場合は、
 変身を解いてから喋るんで安心して欲しいっス」

「変身を解いた本来の姿が、
 想像を絶するような姿――…
 とかいうオチは無いだろうな?」


 睨みを利かせてモップ見下ろすノワール

 しかし声を大にして言いたい
 ノワールよ、お前がそれを言うな…と





「こう見えて自分、なかなかのモノっスよ
 明るく気さくな兄貴キャラで女の子にモテモテっス
 今回だって任務でこっちの世界に来る際、
 何人の女の子に泣かれたことか…」

「思い込み系か、厚かましい
 それとも末期のナルシストか?」

「ひ、酷いっス…
 旦那ぁ…竜族の若さんが苛めるっスよ〜」



「まぁまぁ…二人とも
 じゃあ、とりあえず変身を解いた姿を見せてくれよ
 人里に出ても問題無いかどうか確かめたいからさ」

「お、おい待て!
 神族がワイバーンの巣にいると知られたら大問題だぞ」


「それでは部屋の入り口に立って見張りになっていて下さい」

「いざという時はフォローを頼むっス
 ええと…じゃあ、騎士様の御付きの者って事で」

「俺のような一般騎士には付き人なんて付かないんだけど…
 でも、何だか偉くなった気分がして面白いな」




「…………。」


 むすっと頬を膨らませるノワール
 モップとセオフィラスが親密なのが面白くない

 確かに距離を取れとは言ったが…多少は構って欲しい

 複雑な恋心を抱えたノワールは、
 膨れっ面を浮かべながらも自らの部屋の番人と化した



「そういえば、モップって…
 やっぱり本名じゃないんだよな?
 本当は何て名前なんだ?」

「エルバイトっス
 まぁモップでもエルバイトでも、
 好きなように呼んで欲しいっス」

「へぇ…良い名前だな」


 ノワールの心情など露知らず
 セオフィラスとモップ…もとい、エルバイトは話に花を咲かせる

 不愉快だ


 しかし――…下手に焼餅を焼いて、
 度量の狭い男だと思われたくない

 ポーカーフェイスを決め込んで、じっと耐え忍ぶノワール





「それじゃあエルバイト、
 真の姿を披露させて頂くっス」

「わぁ…見たい見たい」

「ではでは―――…いざ!!」


 ふわりと宙に浮かび上がるモップ

 呪文の詠唱でもしているのか、
 その周囲に小さな光の粒が集まって行く


 集合した光の粒は、
 やがて淡い暖色系の光の帯になり―――…

 ふと気が付いた時、
 その帯の中央に一人の青年が佇んでいた



「ふっふっふ…どうっスか?
 自分、なかなかの男前でしょ?」


 本来の姿になったエルバイトは、
 おどけた仕草でポーズを取りはじめる

 そのふざけまくった態度に、
 思わず苦笑を浮かべるセオフィラス


「…もっと真面目にしてくれてたら、
 男前度三割り増しなんじゃないかと思うけどな」


 そう言いながらも、
 しっかりと彼の姿を観察するセオフィラス

 人と比較して妙な所があれば隠さなければならない




 印象的なのは、腰まである漆黒の髪
 少しクセ毛なのか緩やかなウエーブを描いている

 健康的に程好く焼けた肌は、
 それなりに鍛えてあるらしい


 身に纏っているのは東国の民族衣装だろうか


 風通しの良さそうな深紅の衣は、
 白い花の模様が描かれていた

 柔らかな草色から黄色へとグラデーションした、
 透明感のあるストールを首から掛けている


 耳には剣の形をしたピアスが揺れている
 エキゾチックな雰囲気が漂う好青年だ

 陽気過ぎるのが玉に瑕だが、
 それでもなかなかの美形と言えるだろう


 目が合うと人懐っこそうな笑顔を惜しげも無く返してくる

 角度によって赤や橙色に見える、不思議な色の瞳
 柔らかな暖色の輝きが、その眼差しに優しさを宿していた



  




「……へぇ…」

「な…何っスか、その微妙な反応は!?」

「何というか…キャラがさ、
 ノワール王子とは対照的だな〜って思って」


 青や紫などの寒色系の光を放つノワールと、
 赤や黄色などの暖色系の光を放つエルバイト

 冷たい輝きと暖かい輝き
 二人が並ぶと、まるで月と太陽のようだ


 クールなノワールと、陽気なエルバイト

 正反対な二人
 見た目も性格も、見事なまでに正反対



「…と、顔合わせが無事に済んだ所で――…
 自分、そろそろモップになっても良いっスか?」

「えっ…な、何で?」


「流石にここで本当の姿でいるのは危険っス
 自分、ワイバーンたちには恨まれてる筈っスから」

「そっかぁ…せっかく美形なのに勿体無い…」



「人里に行ったら元の姿になるっス
 その時に自分の事、好きなだけ見て良いっスから」


 冗談めかして髪をかき上げ、
 セクシーポーズを取るエルバイト

 そんな彼に思わず笑みを浮かべるセオフィラス


「それは嬉しいな
 お前ってわりと俺の好みなんだ」

「デートのお相手なら任せて欲しいっス
 ただし、深夜は別料金請求させて貰うっスけど」

「あはははは…」




 こういうノリの良い相手と話すのも久しぶりだ

 最近は敬語ばかり使っていたので、
 知らない間にストレスが溜まっていたらしい


 肩の力を抜いて話せて、随分と楽になった

 しかしそれと同時に騎士団の仲間を思い出して、
 ほんのりとホームシックに陥るセオフィラス



「はぁ…早く任務を終えて故郷に帰りたいよ」

「自分も同じ心境っス
 でも旦那たちと知り合えたから、
 この任務も悪くないと思ってるっス」

「……エルバイト…そうだな、ありがとう」


 良い旅の仲間が出来た

 気さくで優しくて明るい性格で
 彼とは良い友達になれそうだ

 ひしひしとエルバイトの優しさを噛み締めるセオフィラス


 ――――…が



「…っ…いい加減、姿を変えろっ!!」


 いよいよ堪忍袋の緒が切れたノワールが、
 額に血管を浮き立たせて怒鳴る

 急激に接近する二人が腹立たしい
 ノワールは心の中で嫉妬の炎を燻らせる

 彼にとってエルバイトの存在は完全に邪魔者となっていた



「…ノワール王子、
 もう少し仲良くして下さいよ
 お気持ちはわかりますが…」

「わかるものか…」


「…えっ?」

「………何でもない」


 こんな心境、セオフィラスに理解して貰える筈が無い

 嫉妬に狂いそうになる感情を押さえ込みながら、
 ノワールは彼らに背を向けると無言で荷造りを始めた

 人族と竜族、そして神族

 複雑な三角関係を描きながら、
 前途多難な旅が始まろうとしていた