「…………。」


 流れ落ちるシャワーは温かい筈なのに、
 何故かその温度を感じる事が出来ない

 ……恐らく、それ程までに
 今の自分は緊張しているのだろう

 まるで夢の中にいるかのように、現実味が無い


 どこか、ぼんやりとした頭のまま、
 全身を洗い清めるとシェルは頭からタオルを被る

 浴室を出ると寝室がある
 先にシャワーを終えた火波が、そこに待っている筈だ



「……火波……」

 ここまで来て、逃げるつもりは無い

 ずっと火波が好きだった
 肌を重ねて、二人が一つになれる

 それは喜ばしい事の筈だ

 何度か深呼吸を繰り返すと、
 シェルは意を決して寝室へと向かった


 狭い安宿の中だ
 目当ての姿はすぐに見つかる

 火波はシェルに背を向ける形でベッドに座っていた

 カリカリ
 何かが擦れる音がする



「火波、何をしておるのじゃ?」

「ああ……ちょっと爪を、な」

「ツメ?」


 指先に視線を落とすと、
 彼の長く尖った爪は綺麗に切り揃えられ、丁寧に鑢が掛けられていた


「お前に怪我をさせない為だ」

 つい、と差し出された指

 白くて大きな手
 そして、丸く整えられた爪……


「ふむ……どれどれ……?」


 その手を取ると、指先を口に含んでみる
 自分の緊張を解す為の、ちょっとした悪戯心だ


「っ……!?」

 意表を突かれたらしい
 一瞬だけ火波の肩が強張る

 ……まぁ、彼がチキンなのはいつもの事だ


 特に気にせず火波の指に舌を這わせるシェル

 部分的に少しザラついたが、
 確かに綺麗に手入れされている爪だ

 これなら引っ掛かれても怪我をする事は無いだろう


 ……そう言えば
 自分は以前、火波に引っ掻き傷を負わせた事があった

 あそこまでの流血沙汰になる事など滅多に無いだろうが、
 それでも一応、自分の爪も切って置いた方が良いだろうか


 ……ちゅぽ

 指を引き抜くと軽く音が鳴る
 唾液が透明な線を描いた




「のぅ、火波
 拙者も爪を――……むぐっ!?」

 口の中が冷たい
 そして、ヌルリと濡れた感触

 体温の無い火波のキス――……

 今度はシェルの方が意表を突かれる
 普通、こういう事をする時には前置きが……


「ちょっ……い、いきなり……!!
 咽るところだったじゃろうが……っ!!」

「誘ったんじゃないのか?」


 ぺろり
 濡れた舌が唇を潤す

 吸血鬼がやると少し怖い
 怖いけれど……少しだけ、色っぽいと思ってしまうのは彼が自分の恋人だからだろうか



「心配するな、悪いようにはしない
 こう見えて惚れた相手には優しい男なんだぞ、わしは」

 両肩をつかむと、そっと力を込める
 ゆっくりとベッドに押し倒された

 シーツの感触が背中に心地良い


「……優しい?
 やらしい、の間違いではないのか?」

「……否定は出来んな」

 目を細めて笑う男の姿に、
 墓穴を掘ったかも知れないと軽く後悔

 密着する肌は冷たいのに何故か汗ばんで来る



「やらしい事、嫌いじゃないだろう?
 全部、教えてやるからな」

 忘れていた

 顔だけは無駄にクールだが、
 彼の中身は、むっつりスケベ

 涼しい顔をして、頭の中では何を考えているのか……想像するのも恐ろしい


「お……教えるって……
 火波、何をする気じゃ……?」

浣腸

「…………。」


 ……今、
 何て言った!?

 本人はサラリと言ったが、
 聞き捨てならない言葉を聞いた気が……!!!


「ちょっ……ほ、火波ッ!?」

「大丈夫だ」

「何がッ!?
 何処がッ!?」


 嬉し恥ずかし初体験
 今夜は経験豊富な火波に全てを任せようと心に決めていた

 しかし

 このまま流れに身を任せていては、
 貞操よりも大切な物を失いかねない



「カラダは綺麗にしてきたが……内側はまだだろう?
 わしが念入りに洗い清めてやる
 大丈夫だ、苦しいのは最初の内だけだからな」

 つん
 小さな蕾を男の指が突付く

 先程のものとは質の違う汗が肌を湿らせた


 本気だ
 この男、本気でやるつもりだ

 尻からコーヒーを飲むような変態ドM野郎なら、
 浣腸くらい何の抵抗も無いのかも知れない

 しかし、自分はM属性など持っていない

 思春期真っ只中のデリケートな少年に、
 しかも初めての夜に行うには、あまりにも内容がキツ過ぎる


 嫌だ
 絶対に、嫌だ

 そんな事をされる位なら、いっそ――……



「……ほ、火波……」

「うん?」

「火波は経験豊富な大人じゃろう?」

「…………。
 まぁ、お前よりは……な」

「うむ……そうじゃよな
 ならば―――……」


 がしっ!!

 力強く火波の方を掴むと、
 その真紅の瞳を真っ直ぐに見つめる

 この際、やや睨みを利かせるのがポイントだ


「ここはひとつ、経験豊富な大人のお兄さんが、
 優しく大人の余裕を持って、何も知らぬ少年をリードしてくれる……というのはどうじゃ?」

「は?」

「拙者の童貞をくれてやると言っておるのじゃ
 滅多に無い事じゃぞ、ありがたく受け取っておけ」

「…………。」



 火波が押し黙る
 その意味を理解するのに少し時間が掛かっているらしい

「……えーっと……
 それは、つまり……?」


 顔だけ見るとクールな男
 しかし、その中身はキング・オブ・チキン

 どこまでも気弱なヘタレ男でもある


 決して器用なタイプではない
 感情も簡単に表に出る

 先程まで余裕たっぷりだった彼の顔は、
 今では見事なまでに引き攣っていた



「……お、お前……わしを抱くつもりか……?」

「相手に不足は無いじゃろう?
 可愛い恋人の大切な童貞を捧げると言っておるのじゃ
 まさか、要らぬなどとは言わぬじゃろうな……?」


 にっこり
 太陽のような少年の笑顔

 しかし、その唇から発する言葉は脅迫的だ

 シェルの申し出を受ければ、奪われる
 断れば恋人との仲に亀裂が生じる

 どちらを選んでも失う物は大きい



「……っ!!
 だ、だが……そんな素振り、見せていなかっただろう!?
 お前だって、わしに抱かれるつもりでいたじゃないか!!」

「気が変わったのじゃよ」

 キッパリ
 いっそ清々しいほどに言い切る

 とりあえず『浣腸が嫌だった』という本音は伏せておく

 恐らく火波としても、
 そんな理由でバージンを奪われたくないだろう



「い、いや、冷静になって考えろ
 わしとお前の体格差というものがあるだろう?」

「大男が華奢な少年を抱くよりも、
 華奢な少年が大男を抱いた方がダメージが少ないではないか
 拙者のこの細腰を良く見てみるがよい、下手をすれば壊れそうじゃろう?」

「う……」


 押し黙る火波

 一瞬、モノのサイズに関するツッコミが脳裏に浮かんだが、
 その話題は火波にとっては諸刃の剣だ

 正直、モノの大きさに関して自信が無い事だけは確かだ
 流石に目の前の華奢な少年より小さい……とは思いたくないが……



「は、初めての時は経験豊富な大人の言う事を聞いておけ……」

「経験豊富な大人の言う通りにリードして貰えれば、初めての拙者でも安心じゃな」

「……いや、そっちじゃなくてだな……」

 雲行きが怪しい
 力には自信があるが、口ではシェルの方が何枚も上手だ

 このままでは言い包められる
 軽い眩暈を覚える火波

 そんな彼とは正反対に、シェルはさも楽しそうに言葉を続ける



「とりあえず童貞を捨てておけば、拙者としても自信が持てるじゃろう?」

「いつも散々言われ放題のわしから見れば、
 お前は少し自信が無い位で丁度好い気がするが……」

「ドMの負け犬が何を言う
 拙者に辛辣な言葉を掛けられるのも、嫌いではないのじゃろう?
 ベッドの中で、たっぷりと愛を込めて虐めてやるぞ?
 身も心も拙者に奪われて、何処までも堕ちて行くのもお主にはお似合いじゃ」


 …………。

 ……………………。


「いや……そうは言ってもだな……」

「少し、間があった
 一瞬揺らいだじゃろ?」

「う゛」


 図星

 少しだけ
 ほんの少しだけ、それも悪くないかなー……なんて思ってしまったり……



「火波……か
 考えてみれば、お主の様な中性的な名前というのは受キャラの定番ではないか
 名付けられた瞬間から、こうなる運命は決まっていたのだと思えば納得出来るじゃろう?」


 出来るわけがねぇ

 これだけは断言出来る
 両親はそんな運命を望んで名付けたわけではない

 というか
 全国のホナミさんに謝れ



「名は体を現す
 そう思えば可愛げもあるものじゃな」

 シェルよ……

 そんな事を言ったら、お前の名なんて
 貝じゃないか


 貝と言えば女性自身の代名詞
 女性器の名を持つ野郎に言われたくない



 その言葉を慌てて飲み込むホナミ

 危ない危ない
 流石に、この一言だけは言っちゃダメだ

 売り言葉に買い言葉とは言え、
 決して越えてはならない一線というものが確かに存在するのである


 この一線を超えてしまった場合、
 関係に亀裂が入るどころの騒ぎじゃなくなる

 それこそ
 背後からシャコ貝で撲殺されるレベルの侮辱だ


 というか、わし
 全国のシェルさんを敵に回しただろうか?




「火波……目が、泳いでおるぞ……」

「う……」

 何となく罪悪感
 慌てて思考を切り替える火波


「と、とにかく……だ
 わしにも威厳とプライドと言うものがだな……」

「そんなもの、最初っから微塵も存在していないではないか」

「……か、完全否定だけはしないでくれ……」


 流石に拗ねたくもなる
 そんな彼を慰めるかのように、腕を絡める少年



「初めての夜くらい、拙者の好きにさせてくれても良いじゃろう?」

「お前はいつだって好き放題やっているだろう
 むしろそのセリフはわしが言いたい所なんだが……」

「お主の我侭を許してやったのじゃ
 充分、お釣りが来るじゃろう?」

「……そ、それを言われると反論出来んが……」


 火波はシェルを置いて1人、旅立つ

 自分の身勝手な我侭だ
 それをシェルは理解して認めてくれた

 そこを突かれると強く出られない

 気丈に振舞ってはいるが、シェルだって寂しくない筈が無い
 ここで自分が彼の物になれば、少しは安心させられるだろうか


 ……。

 …………。

 しかし、そうなった場合
 いよいよ自分は後戻りできない領域に踏み入れてしまうことになる




「なぁ、シェル……
 わしは何処へ向かうんだろうな……」

奈落

 何処までも堕ちろと


「拙者が導いてやろう」

 人はそれを追い討ちと言う


「大丈夫じゃよ
 堕ちる時は拙者も一緒じゃ
 二人なら、奈落の底も天国じゃろうて」

「……そうだと良いんだがな」


 ちゅっ

 頬に触れる少年の唇
 貶されながらも、時々優しい

 この飴と鞭のテクニックに、何処までも弱いのが火波である



 ……諦めよう
 いや、全てを受け入れよう

 どうせ、この先もずっと彼の手の平で転がされ続ける

 あまり甘くない少量の飴と、
 何処までも痛烈な鞭で飼い殺される


 このガキは、そんな自分を嘲笑って、
 追い討ちとばかりに辛辣な言葉を掛けて来るだろう

 そこまでされても、彼から離れられない


 ……泣けてくる

 しかし、幸いにして自分は、
 そんな境遇を悦びに変えられる性癖の持ち主だ

 残酷な美少年に、玩具のように扱われる
 そんな自分を想像して、胸が高鳴る

 ああもう、認めるしかない
 自分は救い様の無い程に、ドMの変態なのだ



「……わかった
 シェル、抱いてくれ……」

「な、何故急に吹っ切れる!?」

「自分好みに美少年を育てて行くのも良いが、
 逆に美少年に開発されて調教されて行くのも悪くない気がして来た」

このドMがッ!!!


 やや魂が込められた叫びを上げる少年

「あぁ……もっと言ってくれ」

 うっとりと頬を染めて目を細めるドM


「変態」

「ああ、そうだな」

「負け犬」

「うん……もっと……」

「…………。」


 どうしよう
 変なスイッチ入った


 壊れたのか
 それとも目覚めたのか

 むしろ、自分が目覚めさせてしまったのか


 ……。
 …………。
 ……………………。


「まぁ、良いか」

 火波の事だ
 その内、元に戻るだろう

 それならドMスイッチが入っている間に、
 好き放題やらせて貰った方が得だ


 あまり深く考える事を脳が拒否している

 シェルは思考を切り替えると、
 火波を抱き寄せて、その首筋を軽く啄ばんだ





エロは次からにござります
何だか色々なフラグが立ってしまっておりまするが……

とりあえず、無事にシェル×火波の展開にござります♪

86〜87話の間には、こんな遣り取りがあったのじゃよ
……という事を感じて頂ければ幸いにござります