2000年7月の日誌

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7月31日(月)


月曜日ではあるが、Hさんがやって来るというので会社帰りにPOPEYEに寄る。ゆっくりめに行くと、既にメンバーが揃っており、月曜日だというのに盛り上がっている。
スワンレイクのWeb Beerを頂戴。このWeb Beerは20本での注文なので、私のように大量の在庫を抱えつつ全国制覇を目指す人間には、Hさんのような方を探して譲って貰う作戦が頼り。前回もBさんから貰っっている。
Hさんは相変わらずの最終新幹線。21時頃、先に帰ってゆく姿はどうみても新幹線で東京までやって来ている人に見えない。埼玉あたりのちょっと交通の不便な所から来ている程度に見えるのが不思議。新幹線の威力か、それともHさんの行動力か。
先の長い一週間を考えて早めに解散。

7月22日(土)


午後から再び、亀戸の「東京地ビールフェスティバル」へ向かう。ひょっとしたら、樽のビールの種類が入れ替わるかも知れないという予想が当たり、ご新規漁り。
相変わらずの暑さであるが、今日は一人なので席を確保しなかったのが間違いで、暑さとビールの冷たさの温度差で頭痛に襲われる。(急いでアイスクリームを食べる時と同じ感じ)
15時から、ビアライターの藤浦さんのガイドツアーがあり、主催のKさんの勧めでたった4人の参加者の1人となる。元々興味のある分野である上に話し手が上手いのであっという間に時間が経ってゆく。ビールの量も増えてゆく。これくらいの知識は身につけたいなと羨ましく思う。
ガイドツアー終了後、蔵くらの試飲会で馴染みのTさんとKさんが別々に登場。やっと日が傾いて日陰となった会場でしばし話をして帰宅。

7月20日(木)


夏本番を迎え、地ビールイベントが目白押しである。まず、12時から亀戸のサンストリートで、「東京地ビールフェスティバル」。何でこんな暑い広場でやるのだろうと思いながら、早めに亀戸に向かう。あまり広くない広場で、かつ日陰のベンチは限られてるからだ。サンストリートのパン屋で、朝食を買い、広場中央、地ビールテント正面の席をゲットする。
カウンターの中には、すぐ近くの「POPEYE」の面々や風の谷のビールの工場長など知った面々が揃っている。準備が遅れているようで、主催のKさんを始め炎天下の中、皆忙しそうに動き回っている。
12時を過ぎても始まる気配はないが、陣取ったテントには師匠やその他レギュラーメンバーが集まり、手ぐすねをひいて待っている。というか、Tさん持ち込みの缶ビール(もちろん地ビールです)で待ちきれずにスタート。フェスティバルの方はようやく13時頃スタート。ご新規ビールから飲み始める。
まだ開いていない樽もあるのか公表された種類より少ないので、ゆっくり飲むめる。地ビールの日以来、恒例となりつつある開栓式が小田会長、ホップの女王、Kさんによって行われ、その振る舞い酒(?)を飲んだりして過ごす。日陰が取れたから良いもののこの時間に外で飲むのはちょっと辛い。
夕刻、今度は拝島へ向かう。石川酒造の浴衣パーティー。私は浴衣ではなかったが浴衣を着ていくと男性は割引、女性は無料で多摩の恵が飲める。何だかんだで現地に着いたのが18時半、亀戸に師匠を残したメンバーで飲み始める。少し離れた席には「蔵くら」のメンバーもいるがかなりの混雑で席を確保するのがやっと。
今度も外だが、夕方なのと、東京の郊外というせいもあって涼しく気持ちいい。これ位がビールを飲むのにはベスト。ここでも既に全種類完飲していることもあってペースはゆっくり。バンドによる演奏が席のすぐそばなのでやや騒々しいが、専務がハーモニカを持って飛び入りしたりして面白い。
一日たっぷり飲んで23時帰宅。

7月18日(火)


下見までした会社の新人歓迎会。午後早々に仕事をする気がなくなり、夕方早めに羽田へ逃げる。そして18時と同時に退社、社バス→モノレールで天王洲へ。
夕暮れのT.Y.ハーバーは何度来てもいい。メンバーが揃うまでバー側のテラスでビールを飲んで過ごす。やはりなかなかの混雑で、早めの予約が正解だったようだ。バーやテラスで空きを待つ人も少なくない。
19時半、メンバーが揃い予約してある個室へ。一同驚く。というか、会社の新人歓迎会=飲み会の図式(多少は飲むけれど)ではないので驚いているのかも知れない。
早速、地ビールで乾杯。賛否両論。冷たくて喉ごしのいい飲み物がビールだと思っている人には少々物足りないようだ。3種類を交互に飲み比べ、「バナナ」だの「紅茶」だのといったニックネームが付けられる。
料理は軽め。冗談で話をしていたT.Y.ハーバーバーガーまで出てきて、皆で取り分ける様は滑稽かも知れない。それでも、騒々しい居酒屋と比べてゆっくり話をすることができた。たまにはこういうのも悪くない。
二次会は冷たくて喉ごしのいいビールを飲むために品川駅前の居酒屋に入ったのは言うまでもない。

7月15日(土)


ジャパンビアフェスティバル本番。開場1時間前に大手町到着。既に大勢の人が待っており、知った顔もちらほら。審査をしている方々、そのお手伝いの方々は皆さん忙しそうに動き回っている。開け放たれたドアから覗くと、各地ビールが所狭しと並んでいる。開場15分前には自然に入場待ちの列が出来始め、蔵くら常連の面々と一緒に並ぶ。
16時開場。奥の方のテーブルに陣取り、まずは1杯。一回に注がれる量は50ccと多くの種類を味わいたい人には優しい量。グラスは入場時に貰うのだが、これを使い回す、つまり前のビールが混ざった状態で飲み続けるのかと思いきや、ちゃんと洗浄機メーカまで並んでおり、洗ったグラスと交換して貰える仕組み。敬意を表して使用水量の少ないのが自慢という洗浄機メーカの方とも話をしておく。
2杯飲んだ所で、まずパンフ集め。合間にご新規ビールを飲んでゆくが、次々に人が入場してきてたちまち会場はギュウギュウ詰めになった。初日プラス時間が短いこともあってかなりの盛り上がりだが、立って飲み続けるにはちょっとしんどい混雑。
いつの間にか、知った顔、というかレギュラーメンバーが陣取ったテーブルの周りに集まっており、これ幸いと荷物番を頼んだり、引き受けたり。
ご新規樽生ビールはすぐに攻略。次の標的は審査ビールの残りの瓶。これもやはり会場の一角で50ccずつ供されていることを開場前にベティさんより教えていただいた。
瓶が空く頃を見計らって自分も一杯いただき、さらに瓶もゲットする作戦。10分位おきに覗くも、なかなか瓶が空かない。それでも少しずつ瓶が集まりかけた頃、注いでいる人に「ライバルがいますよ」と教えられる。すぐにその人は分かったが、ラベルのコレクターとのこと。暫し話しをすると、うちの近くに住んでいることが判明。ラベルの交換を、というところから意気投合し、瓶も仲良く分け合うことにする。
あっという間の3時間が過ぎ、閉場の時間となる。瓶ビールもギリギリまで粘って手持ち&人から貰った袋まで満杯となった。大手町から千代田線に乗って代々木上原へ、そして小田急で下北沢の蔵くらへ向かったのはいうまでもない。

7月14日(金)


私のような素人にとっては、ジャパンビアフェスティバル前夜祭。玄人はもう始まっているので、みんなPOPEYEに集まるだろう、ということでいつも同様仕事もそこそこに両国へ向かう。
4月の地ビール日先行イベント以来の面々に会う。そして更に色々な人を紹介してもらう。当然店はかなりの混雑で、なかなか落ち着かない。北海道の人やら九州の人やらと話をし、その半分が二次会に流れたところで、師匠と店を後にする。
タクシーで門前仲町、東西線で西葛西の浦安橋ONTAPへ。店に来るのは初めてだが、いつも話に聞く営業の凄い方を紹介してもらう。さすが師匠。いろいろと裏話を聞かせて貰う。あのCMのビールがここで作られたものとは以外だった。
POPEYEでかなり飲んでいたのだが、さらにビールが進み、同席したのが同業者の方で話しやすいこともあって長居してしまう。
駅に戻ると東西線のダイヤが乱れているが、何とか終電で帰宅。

7月13日(木)


再び、T.Y.ハーバーへ行く。春先に連れてきた会社の後輩が気に入り、今年の新人歓迎会に使えないかということでの下見。確かに、うちのチームは羽田と品川に分断されているので、立地としては申し分ない。
夕方早めに行ったにも関わらず結構な混雑で、レストランの方は待ちのようだ。こちらは食べる気はないのでカウンターに座り、店員にパーティーの段取りについて伺う。
パーティーも結構先まで混んでいるようで、どうなるかと思ったがとりあえず席は確保。が、再び店員がやってきて個室も空いているという。レストランの端の小さなドアから入ったところに十数人入れる小部屋があるとのこと。今日もパーティーをやっているのだがちょっと失礼して覗かせてもらう。テラス席とはまた違う向きで運河に面しておりなかなかいい雰囲気。新人3人のうち2人は女性ということもあり即決。
見に来た甲斐があったということで、カウンターで暫し飲んだ後帰宅。

7月10日(月)


夕方、珍しい地ビールの瓶が頂けるということで品川駅で待ち合わせ。1泊で北海道を往復してきた猛者よりその瓶を頂く。簡単に言ってしまえばOEMの地ビールに近いのだが、原料は販売する方で生産しているらしい。おまけに瓶ビールのくせにお持ち帰り不可とのこと。単純な私は北海道へ行きたくなる。
お腹が空いたね、ということから、T.Y.ハーバーが近いね、に発展し、天王洲へGO。まさか月曜日からこんな所に来るとは思わなかったが、結構混んでおり、相変わらずの高外国人率。おまえにどこかで見た顔だなと思っていると、地ビール仲間のTさんだった。何で月曜日にこんな所にいるのでしょう。
ビールとピザで軽く腹を満たし、運河沿いの心地よい風に吹かれて帰宅。

7月8日(土)


富山、石川を一巡りしてきて、背負っている瓶の重さがかなりこたえる。送ってもいいのだが、今日、毎月恒例の「蔵くら」の試飲会があり、直行なのでうかつに送れない。おまけに上越は朝から雨。ミスドで朝食とし、豪雪地帯特有の雁木、というか駅前のアーケードの下を歩く。
駅には若干早く着いたがかなりの人が待っている。休日に時間帯のよい快速長野行きのせいであろう。改札開始と同時にホームに入り一番前に並ぶ。これが正解で、直江津から既に結構な乗車率の列車は高田で若干の立ち客が出た。
雨は強くはないものの一向に止む気配はない。二本木、妙高高原、黒姫とそこそこの数の乗車があるものの降車がないので車内も立ち客で一杯。豊野でデッキまで一杯になってしまった。上越から長野へは結構流動があるものと思われる。長岡や新潟より近いからだろう。快速列車に旧「あさま」お下がりの特急型は苦しい。長野県内の区間列車でカバーして欲しいところであり、シーズンにはどうなるのか心配だ。
長野では乗り換えの時間を利用して、MIDORI→長電長野駅→地ビールのある土産物屋→川バス案内所→平安堂の郷土図書コーナー→駅の土産物屋→観光案内所とお決まりの店などを巡る。前から知っていたのだが、OH!LA!HOビールの善光寺ラベルゲット。
長野から再び快速で篠ノ井線に入る。松本でも時間が取れる日程だが荷物が重いのでやめにする。篠ノ井線は長野盆地を見下ろす車窓がすばらしく、長野へ来たら外せない。長野新幹線が出来てから、長野で飲んで帰京というパターンも可能になったが、やはりこうしてローカル列車に揺られる旅も捨てがたい。
冠着を超えると雨が止み、松本を過ぎて諏訪盆地に入る頃には快晴になる。岡谷で乗り換え、茅野へ。駅前のビルに入った酒屋で蓼科高原ビールをゲット、ついでに駅売店で諏訪浪漫のマイナーチェンジラベル発見。あとは「あずさ」で新宿へ向かう。
新宿着。ビール以外の荷物を置いて下北沢へ向かう。結局19本の瓶をかかえ「蔵くら」へ。師匠のご新規を中心に10数本が空いて試飲会の皆さんに一役買うことができた。

7月7日(金)


七尾を起点に能登半島をほぼ一周する。七尾からのと鉄道で輪島へ。高校生で満員の車内で、とても廃止間近の路線とは思えないが、長い長い駅間に人家はない。輪島は朝市などで有名な町で、ちょっと散策してみたいのだが、バスの接続が良すぎて時間がとれない。千枚田を横目に曽々木へ。このバスも高校生専用の感があり、乗るときに運転手に行き先を訪ねられる。若干野乗っていた大人も学校関係者と分かる。曽々木口の一つ手前のバス停で全員下車。
曽々木口で乗り換え、珠洲へ。本当は狼煙の方を回って完全な半島一周を目指したいのだが今回の欲張りプランに組み込むのは不可能と分かり断念。曽々木口のバス停でバスを待つ間、四方からやってくるバスを眺める。どれも高校生で一杯である。地方の公共交通のラッシュ。
日本海沿いの断崖の下をしばらく走り、やがて山越えとなる。国道とは思えないようなか細い道を走って小さい峠を超えるともう珠洲の町である。バスはいつの間にか、年寄りで一杯。今度は病院で全員下車。過疎の地域の実体である。
乗り残しのないように、珠洲から一旦バスで蛸島へ行き、始発からのと鉄道に乗る。再び珠洲を通過した後、九里川尻で降りる。20分ほど歩いて、「日本海倶楽部」へ。能登半島の地ビールメーカーである。
ここは、社会福祉法人ということで、障害者向けの福祉施設となっており、その併設のブルワリーだ。後で知ったことだが、ビール作り(ちゃんとマイスターはいるのだが)も障害者の方々が関わっているとか。かなり綺麗に整備された芝生の庭は日本海に面しており絶景。傍らで一生懸命に草むしりをしている障害者の人達の姿が印象的である。地ビールの存在の新しいスタイルを発見した。都会でこそこういう施設があってもいいのではないだろうか。
タイトなスケジュールのせいであまり長居もできず、再び駅へ。途中で「のと恋路号」という急行に乗り換え。サロン風のソファがある、地方の第三セクター鉄道にしては贅沢な急行だが乗客はまばらで、ソファではおじいさんが仰向けになって寝ているほどのどか。採算は取れているのだろうか。このせいで輪島へ向かう路線が廃止になるなら本末転倒である。それともただのシーズンオフだからか。
和倉温泉から金沢まで「サンダーバード」、富山まで「はくたか」の高速特急の後、直江津まで古い寝台車改造の普通電車に揺られる。今度は富山の帰宅ラッシュ。意外なことに40分位かかる泊あたりまで立ち客がいた。直江津から高田へ。金曜日ということもあってか酔っぱらい集団と喫煙高校生で満席の電車。地方の人間観察の一日であった。

7月6日(木)


朝、高岡から金沢へ移動。金沢は今年の初め、出張の際にざっと見たので今回はパス。ただ、思ったより荷物が増えてしまったので一部をコインロッカーに預けておく。
金沢から再び電車で松任へ。更に乗り換え、バスで川北へ向かう。「辰口ハイタウン(緑が丘10丁目)」ゆきなるバス。行き先だけなら東京近郊のどこかの団地路線のようだが、何と2〜3時間おきの過疎路線。
川北に向かうのはもちろん温泉と地ビールのため。「わくわく手づくりファーム川北」なる地ビールはまだ誕生して1年もたたない。よって所在地は分かるものの公共の交通機関で行く方法が全くわからず、さんざん調べた挙げ句、前記のバスに乗ったというわけである。
「川北温泉」というもっともらしいバス停で下車。田圃の中に大きめの建物が並んでいるので何かと思えば、町役場、体育館等も含めた町の公共施設がまとまっているのだった。さっそく入浴。朝から暑く、汗を流してさっぱりする。
地ビールの方も、同じ敷地にある。レストランは極めて簡素で、温泉あがりの客をターゲットにしたようである。あまり観光地のない地域なのでまず地元に根付くのが先決だろう。まだ午前中だというのに風呂あがりのビールがうまい。気のせいかネクタイを締めた人達が立ち寄ってグラス一杯という光景が多い。こう暑いとそうでもしなければやってられないのだろうか。かなりローカルな光景かもしれない。
それでも次のバスまでは1時間以上あり、隣町の辰口まで歩くことにする。炎天下の中、再び汗まみれ、そして細い橋の上で車が巻き上げる埃にもまみれる。
約3キロを30分程で歩き、温泉で知られる辰口町へ。当然再入浴。着ていたシャツも滴が垂れるほどになり、替えを持ってきてよかったと思う。
今度はバスで小松へ向かう。途中、先程のバスの終点を通ったがやはり新興住宅地だった。それも多摩ニュータウンあたりと全く変わらない光景である。金沢あたりの通勤圏に入るのだろうか。車があればの話ではあるが。
更に小松から電車で一駅、粟津で降りる。今度は加賀地ビール。駅から3キロくらいなのだが、ここはバスが通っていない。また汗をかくのも何なのでタクシーを奮発する。5分で到着。ここまで来ると加賀温泉郷が近いので観光客向けの施設が出来ており「世界のガラス美術館」なる看板が立っている。加賀地ビールはその付属なのである。
オフシーズンの平日ということもあり、店内は誰もいない。団体客向けと思われる長テーブルが寂しげだ。個人客はほとんどいないのだろうか。それにしても大きなホールで一人で飲むのはちょっと怖い。何か工夫できないものか。後で、この店は閉店が17時ということを知る。本当に観光客だけを相手にしていて大丈夫なのか心配である。
国道沿いということで、帰りもタクシーは捕まるだろうと思っていたのが甘く、ゆっくり歩き出したが一向にタクシーは現れない。結局また大汗をかいて粟津駅へ戻る。
冷房の効いた電車でさえ、なかなか汗は引かず金沢で乗り換える頃まで湿っぽかった。ロッカーの荷物を取り出し七尾線で七尾泊。

7月5日(水)


外が明るくなってきた頃目が覚める。何と、まだ出発した向きで走っている。私が乗った急行「能登」は長岡で向きが変わるので、まだ上越線内を走っていることに。ま、慌てても始まらないので二度寝。
次に起きたのが糸魚川。1時間程度まで遅れは回復しており、ほっとする。結局富山に着いたのが40分遅れの午前7時。乗り継ぎの富山地鉄まで30分あるので駅前のミスドで朝食。地方都市の朝は遅く、この富山もまだ表を歩く人はまばらだが7時オープンのミスドは偉い。大体地方のミスドは8時オープンが相場だ。
7時半の立山行きに乗るつもりだったが、2分先行する不二越線に乗っても岩峅寺で立山行きに乗り換えられる事が判明し、寄り道。どちらかというと富山市の外縁部を走るこの線は高校生が多く、人間観察の時間。それでも2両編成のワンマン電車である。行き違う電車は4両で車掌が乗っているが、大概パートの学生(フリーター?)やおばちゃん車掌である。けっこうキビキビ動く様は昨日の夜のJRの職員に見習わせたい。
立山には8時半着。目的地の立山カルデラ博物館には、参加者とおぼしき人影がちらほら。あまり電車で来る人はいないようだ。今日の目的は「立山砂防」の見学会。立山、といってもアルペンルートではなく、すぐ西側の斜面側には古い火山活動の名残であるカルデラが位置しており、そこでは江戸時代から続く土砂崩れの対策工事が今なお続けられている。というのは山が丸々一つ崩壊した土砂がカルデラ地形の中に溜まってしまっているからなのである。
その砂が一気に流れないように砂防ダムや堰堤で防ぐ工事が国(建設省)によって行われており、当然危険地帯なので一般人立入禁止。一昨年までは富山県民のみ参加資格のあった見学会が昨年から誰でもOKとなった。とは言っても一度立山の博物館を見学した人で、抽選に当たった人だけが参加できるという難関の見学会なのである。1回で当たってしまった私はかなりラッキー。
往路はカルデラを大きく回り込むルートでマイクロバスに乗る。まだカルデラに入ってもないのに断崖絶壁の上を道が続いている。日本アルプスといっても馬鹿にできない。
2時間かかってカルデラの内側へ。厳重なゲートをくぐるとヘルメット着用。ものものしい雰囲気だ。ところどころでバスから下車して、砂防工事やカルデラ内の自然についての解説がある。今日は天気がいいのでとても危険な工事現場とは思えず、ただ景勝地の中を巡っているように錯覚する。
昼食は立山温泉跡地でとる。山の崩壊の際に多くの犠牲者が出た場所。慰霊碑に合掌。ただ場所としては最高で、今も河原には温泉が湧き出ており、作業員の休憩用に小綺麗なあずまやまである。これで一般人が入ったらあっという間に汚されてしまうんだろうな。
午後は、カルデラから水がこぼれ落ちる場所、ビール瓶で言ったら栓の部分にある白岩ダムを見学。7つ位のダムを連続して建設した場所で堆積した土砂の量のすさまじさがよく分かる。対岸の急斜面に張り付くように砂防工事の基地が見える。少し歩いて上流へ向かい、橋を渡ると露天風呂のある温泉。作業者用だそうで、覗かせて貰い、飲んでみる。本当は入ってみたいが、時間がないので断念。
先程ダムを見た位置から反対側の斜面の道を今度は下流へ。あまりに斜面が急なので最後はトンネルとなる。トンネルを抜けた先が水谷という先程の基地。そして、ここからトロッコで一気に立山まで下る。道路を建設する場所はないがトロッコの狭い路盤なら本流に沿って下ることができる。もちろん一般人は乗車できない。あの宮脇俊三が特別に乗車した時も結局「書くのはやめにする」と言わしめたトロッコ鉄道である。
私たちが乗ると3両のトロッコはすぐに動きだす。高いダムのそのまた上から出ているトロッコが斜面を下る方法はスイッチバック。あの箱根登山鉄道と同じだが、その数がすごい。水谷を出てすぐの18段を筆頭に終点まで42回のスイッチバック。そしてトンネル、鉄橋、オーバーハングした岩の下や滝の下までくぐるというとんでもない鉄道だ。通常の鉄道と違いかなり車間を詰めての続行運転で、夕方となって麓へ下る作業者の通勤列車が途中始発のもふくめて6編成位が数珠繋ぎで走る。
鉄道マニアでなくとも言葉を失ってしまうようなトロッコに2時間程揺られ立山に戻り、ツアーは解散。安全対策を施して高い料金を取っても乗車する人は殺到するだろう。案外今のように抽選で乗せた方がいいのかも知れない。
立山駅で「立山ビール」のマイナーチェンジバージョンを発見し購入。電車に乗ってすぐに一本開け、富山まで熟睡で戻る。北陸線で高岡へ出て、今夜の宿にチェックインする。
富山でなく高岡にしたのには「いきいき地ビール」に行くため。既に飲んだことのあるビールだが、手の届く距離まで来て行かない手はない。
バスでいきいき地ビールへ。小高い丘の上のゴルフ練習場の隣にある中華レストランという不思議な立地。おまけにメニューにはコース料理しかない。ビールは中華レストランのおまけか。コースを食べるほど空腹ではないが、つまみの盛り合わせなら出来るというので、超軽い夕飯となる。私の飲み方が気に掛かったのか、会計の際に味の感想を聞かれたので率直に感想を申し上げておく。
かなり充実した一日であったこともあり、宿に帰ってすぐに沈没。

7月4日(火)


客先での打ち合わせが終わると、激しい雷雨になっていた。今日はこのまま直帰なので、雨宿りを兼ねて客先近くの居酒屋へ逃げ込む。普通のビールと少々のつまみで乾杯し、雨が上がるのを待つ。
20時頃帰宅。慌てて準備を済ませ出発。乗る夜行列車まで時間はあたっぷりあるが、その前に新発売の梅錦の瓶ビールを飲みに「蔵くら」へ行く。
22時ちょっと前に蔵くら到着。知った顔ぶれがずらっと座っているので、末席に加えてもらう。まさか梅錦狙い?
ついつい夕方飲んでしまったしわ寄せで、あまり時間がない。梅錦ビールと軽い夜食を詰め込み、23時前には店を後にする。
ところが上野駅に着くと、先程の雷雨の影響で列車が遅れており、今夜の夜行の出発時刻が未定とか。他の在来線の列車はほぼダイヤ通りに走っているようで、既に尾久に入っている車が出て来れないのは何故だろうか?
結局、出発時刻を過ぎた0時頃入線、出発も1時間遅れた。明朝の遅れが気になるが、変形ハシゴをしてしまったこともあり、すぐに就寝。

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