石川瑞生(みずき)『不遇の魔』は2023年に刊行され、主人公の女子学生が1972年に早稲田大学文学部に入学して以降の主に前期(夏休み前)の体験を描いた作品です。冒頭が「五十年前の美貴子の背中は、縮こまって怯えていた。」(p3)とあるように、50年後からの回想という形式で、締めくくりに川口君事件があり、さらに50年後の2022年時点での短い現状報告がついています。この小説は、?秀実・花咲政之輔編著『全共闘晩期ー川口大三郎事件からSEALDs以降』収録の金子亜由美「『川口君事件』をいかに『語る』か」で知りました。存在を知って一年以上になるのですが、さまざまな所用に追われて読む余裕がなく、2026年になってようやく通読しました。
『不遇の魔』の著者石川瑞生は、巻末の著者紹介によれば、1954年生まれで東京都出身・在住。早稲田大学第一文学部卒業で、国際電話(現KDD)に勤務し、後に早大大学院フランス文学修士課程を修了したとのことです。ネットで調べても、他に作品・論文を発表してはいないようです。石川瑞生という著者名が本名か筆名かも不明です。『不遇の魔』は主人公の葛原美貴子の視点で書かれています。葛原美貴子は港区六本木にある中高一貫女子ミッションスクールの出身で高校時代はスポーツに熱中、現役で大学入学、両親と弟妹五人家族の平凡な家庭という設定です。年齢、在籍大学・学部以外に作者の石川瑞生と作中人物の葛原美貴子がどの程度一致するのか、わかりません
。
題名の“不遇の魔”は作中の説明によればマラルメの詩の題名です。岩波文庫版『マラルメ詩集』(渡辺守章訳)で6ページを占める難解な長詩ですが、やはり作中の説明によればアンラッキーという意味とのことです(221ページ)。「不遇の魔」を題名にしたということは、1972年に早大文学部で過ごしたことが不運だったということでしょうか。
出版社の風詠社は大阪に本社があり、自費出版図書業務が主要な営業内容のようです。『不遇の魔』の装丁・造本はなかなかしゃれているのですが、『不遇の魔』は恐らく著者の自費出版なのでしょう。奥付上は2023年4月22日刊行、定価は税込み1320円です。Amazonほかで購入できます。あまり広く読まれてはいないようで、2026年1月現在で都道府県図書館の所蔵は長崎県立図書館一か所のみ、大学図書館は蔵書ゼロです。ネットを検索しても、書評・感想の類はほとんどみあたりません。上述の金子論文が数少ないまとまった言及と言えます。
そのような図書をなぜ紹介検討するのかといえば、やはり川口君事件が登場する作品だからです。作品は主人公から見た事件以前の学内雰囲気描写が大半ですが、川口君事件はその帰結という設定です。あとでみるように、川口君事件と虐殺糾弾運動の直接の描写は全体のごく一部で、しかも尻切れトンボなのですが、川口君事件が重要な要素となっている作品はやはり貴重であり、検討・紹介に値すると思いました。
『不遇の魔』は、主人公の美貴子が大学入学前の二月に連合赤軍事件の報道に接するところから始まります。リンチのイメージが、強く美貴子を襲います。そのあとすぐ、大学入学初日の情景に移るのですが、この種の小説にありがちな入学当日の描写から始めないところに、作者が書きたかったことの一端が現れているのでしょう。
実は、私の読み落としでなければ、作中には早稲田大学という大学名は一度も登場しません。しかし、大隈重信が創立した大学、穴八幡、高田馬場、記念会堂、高田牧舎、三朝庵など実在の固有名詞は、明らかに早稲田大学文学部が葛原美貴子の通学している大学であることを示しています。
美貴子は新入生らしい期待感と幾ばくかの不安感を抱いて初めて登校したキャンパスで、早くも違和感を感じさせる事物に出会います。校舎に通じる長いスロープを埋めつくすように置かれた「雪の隧道を黒い墨で塗りたくったような」「黒くて太い、いびつな文字」(p8)で書かれたタテカンです。タテカンの文面も「極端で断定的な政治表現が黒い息となって撒き散らかされている」もので、美貴子はそこに「傲慢な目線」(p9)を感じます。さらにヘルメット、覆面姿の男子学生から乱暴な言葉でビラをわたされます。美貴子はまもなくタテカンの主やヘルメット姿の学生が革マルと呼ばれていることを知ります。しかしスロープを登りきると、そこには革マルとは全く無縁の新入生勧誘のサークルが祝祭のような空間を作り出していました。
この初日のキャンパスの喧噪の中から、美貴子は同じクラスになる男女の学生と知り合い、やがて彼らはその後知り合ったクラスメートらと六人で読書会を開くことにします。この男女それぞれ三人づつの学生は個性も境遇も違い、かなり巧みに書き分けられ、一定の魅力があると思いました。この読書会でテキストを何にするか、どのように運営していくかで現れる登場人物の個性のぶつかり合いが、この『不遇の魔』の主内容になります。テキストの選定にあたっては、吉本隆明『共同幻想論』、三島由紀夫『文化防衛論』、高橋和己『わが解体』などが候補に上がり、どれを選ぶか、登場人物がそれぞれの意見を言い合います。結局『共同幻想論』が選ばれるのですが、クラスメートは留学、家庭の事情での帰郷、世に失望しての修道院入りなど、“不遇の魔”に取りつかれたようにそれぞれの事情で次々に大学を去っていき、読書会はほとんど機能しないうちに流産してしまいます。
美貴子はフランス語選択という設定で、サルトル『嘔吐』やカミュ『異邦人』『ペスト』の感想も語られます。美貴子はテニスサークルにも加入しており、そこでの経験も描かれます。バブル期の学生テニスサークルは実質的に男女学生の出会いサークルだったようですが、美貴子のサークルはまじめにテニスをするサークルでした。しかし美貴子はまもなくこのサークルを辞めてしまいます。
このほか『不遇の魔』には恋人がいる女子学生や美貴子自身が恋の思いにとらわれる情景もあります。しかし性的な描写、情景はいっさいありません。作者の指向性かどうかわかりませんが、読んでいて特徴的だと思いました。小説の文章はなめらかで、かなりすらすらと読んでいけます。『不遇の魔』が石川瑞生の第一作かどうかはわかりませんが、作者はかなり力量のある人だと思いました。冒頭の新入生勧誘のサークルが祝祭空間を作り出している場面や、最後の美貴子が重なる学生の下敷きになる場面は、先行作品から着想を得たのか、とも思いましたが、別にとがめだてすることではないでしょう。
しかし最後の川口君事件の描き方には、私は共感と同時に疑問を感じました。川口君事件の場面は『不遇の魔』23節、24節です。「あってはならない事件」(p212)がおこったのです。K君事件と書かれていますが、金子論文が指摘しているように、革マル委員長は演説で川口君と言っています(p216)。学生の反応はこう書かれています。
「この事件を知ったこの大学の一般学生たちは、おぞましさに震え、魂の底が抜けたように感じた。しかしその震えはもはや怯えではなく、仲間を殺された、憤りの武者震いだった。激しい怒りが沸騰した。こんなことを絶対にゆるしてはならないと、誰もが思ったのだ。」(p213〜214)
そして一般学生が立ち上がり、革マル糾弾が始まります。美貴子も運動に参加します。
「美貴子は、文学部の他のクラスのみんなと一緒に行動した。いてもたってもいられない気持ちに駆られていた。K君事件は、まるでコップいっぱいに満ちていて、今にも溢れそうになっている水がコップから溢れたようなものだった。むしろ、こんなに我慢してきたのかと思って、美貴子は自分の行動の源泉に驚いたほどだ。もし正常な姿の大学ならば、あり得ない歪んだ暴力的強制に従い続けた日々の生活のおぞましさを、今こそ徹底的に排除すべきときなのだ。」(p214〜215)
「美貴子は、このとき、ああ私は生きているなと実感した。背はシャキッと伸びて、姿勢の良い十九歳の冬だった。」(p215)
これらの一般学生が立ち上がる描写は、運動の経験者である私の記憶と合致しています。このような描写があるだけでも、『不遇の魔』はこの資料室で紹介する価値があると思います。
残念ながら、事件と運動の描写は長くは続きません。川口君事件・虐殺糾弾運動の場面は『不遇の魔』のほぼ12ページで、226ページある同書のうち5%程度を占めるにすぎません。しかも問題は分量だけではありません。運動場面は、政経学部前で開かれていた革マル派の説明会に参加した美貴子が、委員長の勝手な説明にあきれ返り立ち去ろうとした時、階段につまずいて他の学生の下敷き、布団蒸し状態になり、圧迫から必死に逃れようとするところで終わっています。その時、両親兄弟友人の声に混じってマラルメの「不遇の魔」を引用しながら励ます読書会メンバーの声が聞こえるのです。声の主は全共闘運動に関わって東大を中退し早大に再入学し,メンバーの中で最年長の男子学生です。それが帯にも引かれている言葉です。
「不遇の魔なんて一時的なものさ。美貴子、蒼穹を見ろ。すぐその上だ。諦めちゃダメだ。押し退けろ、押し退けるんだ。自分を信じろ。」(p222)
はじめ帯の文をみた時、生き方を示唆する文なのでもっと劇的な場面でこの声が言われるのかと思いましたが、単なる人群れの下敷きから逃れようとする場面と知って、拍子抜けしました。川口君事件の記述はここで終わっているので、自治会再建・臨時執行部選出の高揚場面もなければ、革マル派の反撃などによる運動分裂壊滅など、72年前期とは比較にならない“不遇の魔”にとりつかれた情景もちろん描かれません。虐殺糾弾自治会再建運動に美貴子がどう関わったか、あるいは関われなかったかも、ほとんど描かれません。
この布団蒸しの場面の後、50年後の世界にいきなり飛んで、美貴子は生き延び、読書会メンバーのうち二人は現在も活躍している、という短い紹介があって小説全体が終わってしまいます。肝心なところが抜けているという感は免れません。作者は困難から逃げていると思いましたが、一方で運動の中後期の暗い情景を描くには、運動全体の見通しや大学・学生運動に対する自己のしっかりした見解が必要で、おそらくノンポリの一般学生だった著者には荷が重すぎたのだろう、とも思いました。
『不遇の魔』は小説ですから、事実をそのまま書く必要はありません。しかし事実と異なると思われる描写・記述が、川口君事件と直接関連する場面もそれ以外もかなりあります。事件と無関係な記述では、たとえば、初習外国語であるフランス語文法の一年前期の授業でカミュ『異邦人』が教科書に使われると読める場面(p58)などです。作者は執筆にあたって、もっぱら記憶に頼って『不遇の魔』を執筆したようです。文中には、「JRとメトロを乗り継いで、美貴子は文学部のスロープを登っていた。」(p104)や、文学部中庭で集会を開いていた革マル派に武装した中核派が殴り込みをかけ革マル派が逃げまどう(p142〜143)など、1972年前期ではまったくありえない明らかにミスあるいは虚構とわかる記述もあり、作者は記述の細部にはこだわる必要はない、と考えたのかもしれません。南禅寺山門で石川五右衛門と眞柴久吉(豊臣秀吉)が出会ったり、平安時代に寺子屋があったりする歌舞伎の世界に怒り出す人は現在ではいないように、『不遇の魔』の読者も描写の細部には拘泥せずに、内容を味わえばいいのかもしれません。(JR、メトロの記述は、風詠社編集者が編集者として訂正してほしかったと思いますが。)
しかし、上述のように実在の事物・党派名が用いられている内容から、今日と将来の読者が作品内容を完全な事実と受け取る危険性はあると思いました。余計なことかもしれませんが、私が気が付いた事件関連で事実と異なると判断される部分の一覧を、文末に掲載しておきます。
『不遇の魔』全体の感想に戻ると、小説の内容は明らかに作者の心の奥にずっと沈潜していた事象であることが感じられます。おそらく樋田毅『彼は早稲田で死んだ』の刊行(2021年11月)で過去の記憶が呼び覚まされ、記憶の桎梏がはずれて創作意欲をかき立てられ、筆を取ったと思われます。作中には上述のようにいろいろ問題や細部の記述ミスはあるのですが、川口君事件が重要なポイントとなる青春学園小説として、もう少し広く読まれてもいいのでは、と思いました。
『不遇の魔』疑問点一覧(川口君事件関係)
●《世界同時革命を起こせ》(p8)
美貴子が入学式でみた革マルのタテカンの文字ですが、1972年の革マル派は世界同時革命という用語は使わなかった筈です。
●一九四九年に全国レベルで学生の自治会が組織されたのが、全学連。(p36)
全学連の結成は一九四八年です。
●日本共産党系の民青という全国レベルで展開していた学生組織(p37)
民青は職場・地域の青年も含む組織で学生だけの組織ではありません。
●解放派の反帝評議会(p39)
解放派の大衆組織名は反帝学生評議会です。
●中核は、<日本マルクス主義学生同盟中核派>(p40)
マル学同中核派の正式組織名はマルクス主義学生同盟中核派です。日本はありません。
●東大闘争ってさ、丸山眞男の教室襲撃から始まったんだよ。(p49)
東大闘争の開始は医学部の不当処分抗議からです。
●文学部構内三十一号館の二階で、中核派の学生K君が革マル派学生数名に数時間にわたってリンチを受けて、殺されたのだ。(p213)
K君=川口大三郎君は中核派との接触は事件以前にありましたが、事件当時は中核派との関係は切れていました。また川口君がリンチ殺害されたのは、18号館1階にある127、128番教室です。川口君は中核派ではなかった、という事実は、虐殺糾弾側が革マル派を追及する主内容の一つで、この件の誤認は、『不遇の魔』で革マル委員長の発言が支離滅裂である(p219)ことと関係があると思います。ただし私は、川口君事件は内ゲバ殺人の一つだと考えていますので、一部の論者が言うようなこの小説の致命的な弱点とは考えていません。
●十一月八日、真冬を先取りしたような、凍えるような寒さの日だった。(p213)
私の記憶と違うので新聞記事データベースで1972年11月8日の天候を調べると、当日正午の天気は気温12度、曇りです。私はこの日三時間目の授業を終えて午後2時頃にスロープをゆっくり下りて下校しました。その数分後に川口君はスロープ下で革マルに拉致されたわけで、強く記憶に残っています。川口君の拉致は、まったく気が付きませんでした。
●東京の十二月の空は分厚い雲で覆われ、雪でも降ってきそうな陽射しのないひどく寒い日だった。本部政経学部前で、革マル派による集会が開かれていた。(p216)
革マル委員長が参加した政経学部前集会は、11月12日〜13日です。12月は自治会臨時執行部の選出がほぼ終わり、運動に大きな動きはありませんでした。また委員長が参加した政経学部前集会は革マル派が開いたのではなく、虐殺抗議の学生が開いたのです。
*2026年1月28日現在。今後気が付いた点があれば、追加します。