No Fear! 100000Hit記念短編






   堕ちた天使



   高嶋栄二







ミシ・・・・

微かに軋む音がした。
そう、それは骨の軋む音。
そして少年は・・・彼女の首を絞め続けた。
誰もいなくなった、この、世界で・・・・


気がついたら、彼は彼女の上に圧し掛かり、そしてその細く白い首に手をかけ
ていた。彼は非力であり、もしかしたら全力で締めてもその命を奪えるかどう
かわからない。だが、今の彼にはそんなことはどうでもよかった。ただ、彼女
を消し去りたい、そう思ったのだった。

「ちくしょう、ちくしょう・・・・・」

喉が鳴る。
元々抜けるように白かった彼女の頬には、却って赤味がさしてきたような気が
した。
だが、無我夢中で締め続ける彼には、そのようなことすら気付く様子も無かっ
た。

「ちくしょう・・・・」

彼は念仏のようにそう唱え続けていた。
まるで締めているのは自分の首だと言わんばかりに・・・・

彼女は大人しく、彼が自分の命を奪いつつある様子をただじっと眺めていた。
まるで苦痛も何も、全て消え去ってしまったかのような穏やかな瞳で・・・・

「・・ち・・・くしょう・・・・・」

だが、彼の手の力はだんだんと弱まる。
握力に限界が訪れたのか、それとも・・・・

そしてそんな彼の様子に気がついた彼女は、その包帯に巻かれた痛々しい右手
をそっと上に差し上げた。その動きは緩慢であったが、確実に彼の頬に触れる。
その手に彼を感じた彼女は、彼に向かって呟いた。

「殺して・・・・私をこの世界から消して・・・・」

彼の目の色が変わる。そして・・・・

「お願い・・・お願い、碇君・・・・・」

彼は、もうその手に力を込めることは出来なかった。
ただ、彼女の頬を一滴の涙で濡らしただけだった・・・・・


「どうして・・・・」

彼女は完全に力を失った彼に疑問の声を投げ掛ける。
だが、彼は心がぷつりと切れてしまったかのように、静かに涙を流し続けるだ
けであった。

「・・・私を殺してくれないの?この罪の十字架を背負った私を・・・・」
「・・・・・」

沈黙。
彼はもう、言葉を発することすら出来なかった。
そして彼女は彼に自分の願いを叶えてもらおうと、もう片方の左手も差し伸べ、
両手で彼の顔を包み込んだ。

彼の涙が彼女の包帯を濡らす。
既に彼女の包帯はその意味を失っていた。
彼女はもう、昔の彼女のままではないのだ。
だが、彼女は戻りたかった。
そして今の自分を消し去りたかった。
だから彼女は・・・・最後の人間、最愛の人にそれを託したかったのだ・・・・

彼女の望みが何であるのか、もはやわからない。
ただ彼女はそれを叶えようと、そっと両手に包まれた彼を引き寄せた。
すると彼は・・・・そのまま力無く倒れ込んだ。
彼女のその、小さな胸の中に・・・・

「・・・・・」

彼女は驚きに一瞬目を見開く。
まさか彼が倒れ込んで来るとは思っていなかったのだ。
そして更に彼女は驚く。
こうして驚きと言う感情をまだ残していた自分に・・・・・

「どうして・・・・・」

今度の言葉は違う意味を具えていた。
しかし、それは自分に対する疑問。
彼女はすぐにその無意味を悟ると、今の現実を見つめることにした。
この彼が、自分の胸の中にいると言うことに。
そして彼女は微かに微笑みを浮かべると、そっと彼の背中に両腕を回したのだ
った・・・・

「・・碇・・・・君・・・・・」

彼女の切ない声。
いけないとわかっていても、彼を傷つけたのは自分だとわかっていても、
彼を求め続けずにはいられない自分が悲しかった。
そっと背中で合わされる両手。
まるで彼を逃がさない様にしていた。
しかし、そんな自分の願いがこの死んだ世界を生み出したのだ。

神は客観的でなければならない。
それは誰に教えられた訳でもなく、自然と彼女の胸に刻み込まれていた。
そして彼女もわかっていた。
だから彼女は決意していたのだ。
彼が何を願おうと、彼の望みがなんであろうと、それをそのまま受け止めようと・・・

頭でも心でも身体でも、全てわかっているつもりだった。
だが、それはつもりに過ぎなかったのだ。
全ての混沌の中、世界の希望が彼に集約され、その力が純粋な、混じりけの無
いひとつのものへと生まれ変わったその時、彼女は神になんてなれない自分に
初めて気付いた。
彼がひとつにまとめたもの、彼の全てが詰まったもの、
それが「アスカ」だったと言うことを知った瞬間に・・・・


堕天使。
彼女の頭をかすめるひとつの言葉。
快楽に溺れた、悲しみの天使。
神にも人間にもなれなかった、不完全な天使・・・・

それが何を意味するのか、彼女の戸惑う胸の中でも不思議と鮮明に見えた。
不完全なものが背負うには、世界はあまりにも大きすぎた。
彼女もわかっていた。
全てわかっていたのだ。
自分の存在が、自分の想いがどういう帰結を見出すのかを。
だが、わかっていてもなお、彼女は勝つことが出来なかった。
自分の欲望、人としての欲望、彼とひとつになりたいと言う欲望に・・・・

そして彼女は世界を動かした。
人の持たざる神の力、分不相応なものと化してしまったその力を使って・・・

だが、彼女はそんな不完全な自分が作り出してしまった世界を見て愕然とする。
死に絶えた世界。
彼女と・・・・彼しか生命の存在しない、この黄昏の世界を・・・・

そして彼も壊れてしまった。
彼はこの世界に降り立ち、もう一人の自分を見出すと、迷わずその存在を消し
去ろうとした。まるで自分ひとりでいい、真紅がよく似合う、笑顔の綺麗な少
女がいないならばとでも言うかのように・・・・

彼女はそんな彼を受け止めた。
いや、今だけではない。
彼がどうであろうと、彼女はずっと前から彼の全てを受け入れようと思ってい
たのだ。そして更に、今の彼にしてしまったのは、他ならぬ彼女自身であるの
だから・・・・

彼は彼女を押し倒す。
そしてその細首に手をかけた。
彼女は思う。
彼が自分を殺せるものならば、彼のその手で殺して欲しいと・・・・

彼が欲しくてたまらなかった。
彼がいれば、他のものは何も要らなかった。
だが、自分がいれば彼をいつまでも傷つける。
自分の存在が、彼に深い悲しみをもたらす。
彼が求めたのは、自分ではなかったのだ。
そう、彼が求めたのはあの少女。
いつも誰よりも人間らしかった彼女。
自分とは正反対なあのひと・・・・・

だから彼女は思った。
彼の自分に対する願いが自分を殺すことであるのならばそれを受け入れたい。
そして、自分も彼に殺されたい、と・・・・・

彼の怒りは伝わっていた。
彼の手の震えから、そのうめくような言葉から、全てを破壊し尽くしてしまい
たい、自分すらも無へと還したいと言う彼の強い想いが届く。
無へと還せばまた元の世界に戻れるのだろうか?
それは彼にも彼女にも知り得ないことであった。
だが、彼は心の奥底でそう思っていたのかもしれない。
自分の願いとは相反する世界。
そんな世界にしてしまった原因が彼女にあるのだと言う事実も、どこかで感じ
取っているのだろうか?
だから彼女を消し去れば・・・・・

彼女はそんな彼を受け入れた。
自分を殺すことで元の世界に戻れるのならば、喜んで彼に殺されたいと思った。
だから弱まった彼に呼びかけたのだ。
自分を殺してくれ、と・・・・・

しかし彼はその手を止めた。
彼が自分を殺してくれなかった彼女の悲しみ。
そして彼が自分を殺せなかった彼女の喜び・・・・

彼女の心は入り乱れていた。
しかし、事実は一つ。
この世界にいるのは、彼女と彼、たった二人だけなのだと言うこと。
彼女はバラバラに千切れてしまった自分の心を捨てた。
そして現実だけを見つめることにした。
だから彼女は・・・・彼を強く強く抱き締めた。
もう絶対に離れない、離さないと叫ぶかのように・・・・

だが、彼は何も返してはくれない。
今の彼には何の感情も感じなかった。
怒ってもいい、強く突き放してくれてもいい。
ただ、彼に心を向けて欲しかった。
身体だけでなく彼の心も欲しかったのだ・・・・

「・・・・」

だから彼女は彼に回した腕の力を強める。
彼女の持てる力の全てを懸けて、彼を抱き締めた。
その痛みと共に、彼に戻ってきて欲しいとでも言うかのように・・・・

「・・・・・・・ごめん。」

彼は彼女の胸に顔を埋めたまま、そうひとこと応えた。

「碇君っ!!」

彼女の心は歓喜に溢れる。
少なくとも彼が完全に壊れてしまったのではないと気付いたのだから。
そして彼は顔を上げずにそのまま彼女に言う。

「・・・ごめん、綾波・・・・やっぱり僕には、君を殺すなんて出来なかった
よ・・・」
「いいの、いいの碇君。もう忘れて。」
「いや、はじめは殺してやろうと思ったんだ。それも自分から・・・・」
「碇君・・・・」
「でも、出来なかったんだ。」
「・・・・」
「その・・・・君のその瞳を見てしまったから・・・・・」
「碇君・・・・・」

だが、彼女の喜びもつかの間、彼はいきなり起き上がると緩んでいた彼女の縛
めを解いて彼女に背を向けた。

「碇君!!」
「もう・・・・やめてくれよ・・・・」
「・・・・・碇・・・・君・・・・」

彼の悲痛な叫びに、彼女は悲しみの色を露にする。
彼が正気を取り戻せば、絶対に彼女を拒絶すると言うことくらい、彼女にはわ
かっていたはずであった。しかし、わかっていはいても、心のどこかで彼のや
さしさが怒りを越えてくれるのではないかと信じていたのだ。
そして彼女はそっと彼の背中に手を差し伸べる。
だが彼は、そんな彼女をすべて知っているかのように手が触れる前に彼女に言
った。

「アスカは・・・・アスカはどこにいるんだよ・・・・?」
「・・・・・」

そして彼は振り向いて彼女に訴えかけた。

「アスカを望んでいたにもかかわらずアスカがいないのは、やっぱり僕の想い
が完全じゃなかったからなんだ。だからアスカがいないんだ。アスカを殺して
しまったのは、僕の不甲斐なさいのせい・・・・」
「・・・・」
「綾波、僕を殺してくれ。君が望んだように、君のその手で・・・・」
「碇君・・・・」


彼は真剣にそう言うと、一転して軽く笑って彼女に告げた。

「急いでアスカを追いかけないとね。アスカは怒りんぼだから、ちょっと遅れ
ただけでもぷりぷり怒るし。」
「・・・・」
「まあ、幽霊になったら殴られても痛くないと思うけど、そうと知ったらアス
カは言葉で僕をいじめるからね・・・」

彼の笑いの中には、真の悲しみが隠されていた。
そして彼女はそんな彼を見ているのがつらかった。
しかし、彼女には彼の願いを叶えることなど出来るはずも無かった・・・・

「・・・・ごめんなさい、碇君・・・・」
「どうしたの、綾波?」

彼女の好きな、彼の微笑み。
今向けられたそれは、いつもの彼のものと全く違いはなかった。
だが、それは今、彼女の心を苛むものであったのだ・・・

「私には、あなたを・・・・碇君を手にかけることなんて出来ない・・・・」
「・・・・そう・・・・」
「ごめんなさい。私のせいで・・・・」
「いや、綾波のせいじゃないよ。悪いのは全部僕なんだ。だから・・・・」

その続きは、彼の口からは発せられなかった。
彼にも全てが全て、自分の責任ではないと言うことの認識くらいあるであろう。
だが彼は彼女を責めたりはしなかった。
あくまで自分が悪いと言ったのだ。

そしてこれが彼。
彼女の好きな彼、そのままだった。
彼女はもっともっと彼のやさしさに包まれていたくて、思わず言うつもりの無
かった、封印していた台詞を口に出してしまった。

「・・・・私じゃ・・・・私じゃ代わりは務まらないの?」
「・・・・・綾波・・・・・」
「私には碇君を殺せない。だから私があの人の代わりをする。それじゃ駄目な
の?」

一度口にしてしまったら、もう止まらなかった。
彼女はもう、彼に対する想いを一気に放出させてしまった。

「私は何でもする。碇君が望むなら、彼女のように振る舞ってもいい。だから・・・」

すると、彼は彼女の口をそっと押さえた。

「駄目だよ、綾波。」
「・・・・・」
「僕はそんな綾波を求めてなんかいないし、そんなアスカも欲しくないんだ。」
「・・・碇君・・・・」
「綾波は綾波で、アスカはアスカ。それぞれがそれぞれであって、人は他人に
はなれないんだよ。」
「・・・・」
「だから綾波の気持ちはうれしいけど・・・・ね。」

そう言うと、彼は彼女に済まなそうな顔をした。
だが、彼女はわかっていた。
悪いのは彼ではなく、彼女自身だと言うことに。
だから彼女は謝る。
心の底から・・・・

「ごめんなさい、碇君。私・・・・」
「いや、いいんだよ、綾波。気にしなくても・・・・」
「・・・・・」
「・・・・」

少しだけの沈黙。
しかし、そんな沈黙さえも彼女にとっては心地よかった。
そしてもう一度、自分の全てを懸けて、彼に打ち明けようと思った。

「碇君?」
「なに、綾波?」
「私のこと・・・・嫌い?」
「いや、嫌いじゃないよ。」
「じゃあ・・・好き?」
「ん?まあ、そうだね・・・・」
「よかった・・・・ありがとう、碇君。」
「いや・・・・」
「なら・・・私じゃ駄目?」
「え?」
「碇君の横に立つのは、この綾波レイじゃ駄目?」
「・・・綾波・・・・」
「私は私自身として、あなたを愛しています。心の底から・・・・」
「・・・・」
「これは私が望んだ世界。碇君と二人きりになりたかった、私の想いの詰まっ
た世界なの。」
「そ、そんな・・・・」

彼は新たな事実を聞かされて驚く。
一瞬怒りを出しそうになったが、何故か彼はそれを抑えた。
彼女はそんな彼の様子に気付きつつも、そのまま彼に向かって語り続けた。

「これは本当なの。神になるには相応しくない私の欲望。それが碇君、あなた
に対する想いだったの。だから私は・・・・」
「・・・・」
「だから、そんな自分が嫌で碇君に殺して欲しかったの。汚れた心を持ったこ
の堕ちた私を・・・・」
「・・・・」
「でも、私は汚れても傷ついても抑え切れないの。この強い強い想いを・・・」
「綾波・・・・」
「碇君が欲しい。あなたが欲しくて欲しくてたまらないの。だからお願い。お
願い・・・・」

彼女の想い。
それは熱く燃えていた。
そしてそんな彼女を見た彼は、微笑みながら彼女に伝える。

「・・・・綾波の役目だからね、アスカに謝るのは・・・・」
「い、碇君っ!?」
「アスカは怒ると何をするかわからないよ。だから綾波も覚悟しておくんだね。」
「碇君、碇君・・・・」
「二人だけになっちゃったけど、何とかなるよねきっと。」
「うん、うん・・・・私、頑張る。あの人に文句を言わせないくらい、碇君を
愛してみせる。この、二人だけの世界で・・・・・」

彼女はそう言って彼の胸に飛び込んだ。
彼はやさしく彼女を受け止める。
彼女の強い想いと共に・・・・








    (終わり)










<takeoのコメント>


高嶋さんから、100000hitの記念投稿を頂きました。

本当にありがとうございます。

こういう記念に投稿を頂くと言うのは、本当に嬉しいものですね。



さて、このお話ですが・・・



正直に言います。

失礼かもしれませんが、本音を言います。


辛いです。 とても。

悲しいです。 とても。

読むのが、辛かったです。


でも。


やっぱり、こころが揺さ振られました。

知れず、涙が滲みました。

レイの気持ち、シンジの気持ちに、泣きました。

ふたりの気持ちが、伝わってきました。


巧く言えませんが、読んで、良かったです。

高嶋さん、本当にありがとうございました。



さて、このお話は高嶋さんのページの一周年記念短編


   『黄昏の刻』 −−終末と創世の狭間に−− (作:惣流アスカ)


と一種、対になっている作品です。

皆さん既にご覧になっているかと思いますが、もし、未読の方がいらっしゃいましたら、

ぜひとも、ご覧ください。



高嶋さんのページは  かくしEVAルーム

高嶋さんへのメールは 高嶋栄二さん [hidden@mti.biglobe.ne.jp]






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