「なーにがいいんだか…じゃあアスカ、キョウコと一緒に寝て上げてくれる?」
ミサトとしては次善の選択だが、一応保護者として言ってみた。
「し、しょうがないわね…分かったわよ…」
渋々だが、アスカはキョウコを部屋に連れて行った。
「アタシが床に寝るから…アンタはベッドで寝なさいよ。」
アスカは床にブランケットを敷きながら、キョウコを促す。
「…いいの…?」
相変わらずの無表情だが、キョウコが躊躇しているのが解る。
「遠慮はいらないわ。」
「…そう…でも、一緒に寝たらいいのに…」
「まあ、それでもいいけど…アタシ、寝相よくないわよ。」
小首を傾げ、アスカは忠告する。
「…大丈夫よ…」
「大丈夫って…蹴っても文句言わないでよ。」
そう言うと、アスカはブランケットを足で蹴り上げ、端を手で取る。簡単にパタパタと畳むと、
再び足で押し入れを開け、ポイッとブランケットを放り込む。
くるりとキョウコの方に向き直るアスカ。しかし、キョウコと視線が合うと、ビクッと肩を振るわせた。
「…あなた…今のは何?」
明らかに怒気を含んだキョウコの声。同様に視線も鋭いものだ。
「ご、ごめんなさい…って、別にいいじゃない…」
シンジが聞いたら、多分耳をほじったであろう殊勝な言葉がアスカの口から漏れた。
「…足癖が悪いのね…」
「次からはちゃんとするわ…もう、いいでしょ。」
少し小さくなっているアスカを見て、キョウコはフッと嘆息する。
「…仕方ないわね…」
ふっと表情を和らげるキョウコを見て、何故か心がやすらぐアスカ。
「さ、さあ、寝るわよ。」
そんな心の中を悟られまいとしてか、それとも自分でも戸惑っているのか、アスカはさっさとベッドに
潜り込んだ。
「…早く来なさいよ…」
壁際に寄りながらキョウコを促した。
「…ええ…」
微笑みを湛え、キョウコはベッドに横たわる。
キョウコがベッドに落ちついたのを確認したアスカは明かりを落とす。アスカは暗闇が好きではない。
いつも漠然とした不安感に襲われるからだ。何故かは解らないのも、アスカを不安にする要因になっている。
シンジが側にいればと思うのもしばしばだ。しかし、今日は何かが違う。
「…アスカ…」
「ん…何?」
「…あなたはシンジ君の事をどう思ってるの?…」
キュッと胸を締め付けられた様な感じがアスカを襲う。
「…シンジ?…そうね…良く解らない…」
-どうしてこんなに楽なのかしら…気を張らなくていいって言うのか…な?-
キョウコに答えながら、アスカはそう思っていた。
「…何が解らないの?…」
「何って…シンジと一緒にいるのはイヤじゃない。シンジかアタシをどう思っているかは別にしてね…
ただ、シンジがファーストと話してるのを見たら不安になるのよね。ファーストと話してるシンジって、
なんか優しい顔、してるの…アタシと話してる時と、違うの…」
アスカは壁の方に身体を向け、ぽそぽそと続けた。
「だから…多分…アタシは…シンジが好きなんだわ。そんなことで不安になるなんて、今までなかったもの…
普段はね…意識しないようにしてるつもりだけど…ダメみたい。気が付けばシンジの方を見てたり、シンジの事、
考えたりしてる…なんかアタシ、変わったわ。シンジって、冴えない奴なのにね。」
アスカの言葉を聞きながら、キョウコはそっとアスカの背中を抱いた。
「何でだろ…アンタにこんな事、言うなんてさ…」
アスカの深層心理内の氷が、キョウコの温もりで溶け出していた。小さな子どもが、母親の胸の中で得る
やすらぎ…アスカには経験のないものだ。
「…私もこうしていると落ちつくわ…で…何故シンジ君に辛くあたるの?」
「だって…シンジってば凄く鈍いのよ…イライラするの…シンジが…アタシのこと…解ってくれてないって…
そんな気持ちになるの。まあ、シンジの困った顔もかわいいけど…」
そう言ってフッと柔らかな笑みを浮かべるアスカだが、今は暗闇の中。
「…そう言ってるあなたはシンジ君のことを解っているの?」
チクリと胸の痛みを感じるアスカ。それを見透かしていたかの様にキョウコは続ける。
「…シンジ君はあなたが気になってるのは確かよ…食事の支度もお風呂の準備も、あなたの事を第一に考えているわ…
それは…私にも解るから…」
「…そう…なのかな…アタシが…文句ばっかり言うからじゃ…」
「…あなたは文句ばかり言う人のために…一生懸命なにかをして上げることが出来るの?」
キョウコの言葉にハッとするアスカ。
「…シンジ君に優しく出来るわね?」
「…うん…」
「…そう…いい子ね…」
キョウコの温もりを背中に感じて、アスカは安らかな眠りについていった。
翌朝。作者の都合で土曜日の朝。学校は休みである。
しかし、シンジはやはり早くに目が覚めた…主夫魂がそうさせるとすれば、どこか切ないが…。
あくびをしながら洗面所に向かう。と、先客がいた。
「あれ?どうしたのアスカ、今日は土曜日だよ。」
「どうしたはないでしょうに。それとも何、アタシが早起きしちゃ、いけない?」
シンジはアスカの口調にいつもの棘を感じなかったことに、ふと、気付く。
「それよりも…おはよう、シンジ。」
「あ、うん、おはよう。」
「よろしい。じゃあ、一緒に朝御飯の支度、しようか。」
「え?あ、う、うん…」
「なによ、変な顔しちゃって…あ、アタシだって…それ位は出来るんだからね…」
僅かに頬を赤くして、アスカは洗面所から出ようとした。
シンジとすれ違う瞬間、二人の目がぱたっと合う。
上目遣いのアスカの瞳。
戸惑いを隠せないシンジの瞳。
時間が止まった様にお互いの瞳に見入る二人。
ふっと微笑むアスカ。
「早く顔、洗いなさいね。キッチンで待ってるからさ。」
「…うん。」
そして、それを陰から覗く逆さ三日月のミサトの瞳。
慈愛に満ちたキョウコの瞳。おいおい、君もかよ。
アスカに気付かれぬように、覗いていた二人はこそっと玄関の方に隠れる。
ちらりとキョウコを見たミサトは、にっこりと微笑むキョウコに小声で尋ねる。
「ねえ…このままだとシンジ君、アスカに捕まるわよ?」
「…ええ、いいんです…もう少し、見届けられたら…でも、ちょっと惜しいかも…」
キョウコの返事はミサトの期待したものとは多少違ったが、最後の‘ちょっと惜しい’で十分だった。
「そうでしょー、ムフ、私にまっかせなさい。悪い様にはしないわよん。」
「……はい…」
不気味に笑うミサトを見たキョウコは、そう言うしかなかった。
「ねぇアスカ。」
休みの日にしてはちょっと早い朝食。例の赤いジャケットを着たミサトがアスカに声を掛けた。
「ん…なによ、ミサト。」
「ちょーっちお願いが有るんだけど…いいかな?」
「内容によるわね。で、何なの?お願いって。」
心の中でニヤリと笑うミサトだが、表情は至って普通であった。
「あのさー、実は今日中って加持に頼まれてたモンがあるのよ。でも、これからリツコとネルフに缶詰になるのよ。
だからー、加持に届けモン、頼まれてくれるかなって…」
「えー、加持さんとこに!?うんうん、いいわよ、頼まれてあげる。」
加持の名前が出たとたん、アスカは嬉々としている。そんなアスカを見たシンジは、何故か面白くないと思っている
自分に気付いていた。
「ふふーん、ありがとアスカ。で、どうしたのシンちゃん、浮かない顔してさー。」
計算通りに事を進めていくミサト。やはり作戦部長は伊達ではないのか?
「そ、そうですか?別に何もないですよ…」
少し強がってみせるシンジに、心の中で大笑いしているミサト。
「ふーん、ならいいけどね…でね、シンちゃんにもお願いがあるの。」
「僕に?何です?」
「キョウコを連れて買い物してきて欲しいのよ。」
「買い物?」
「そうよ。だって、キョウコは全然ここの事がわかんないでしょ?案内がてら、二人で遊んでらっしゃいな。」
「遊んでって…それって…」
今度はアスカが面白くない。が、先に届けモノをオーケーした手前、何も言えなかった。
「そ、デートとも言うわね。」
「ちょっと待ってよミサトさん、キョウコだって…」
「…シンジ君となら……」
そのキョウコの台詞で否応なしに話はまとまる。ちらっとアスカを見るシンジ。
アスカもちらちらとシンジを見ていた。はたと目が合うが、今回は二人とも気まずそうにしている。
-ぐふふ、いい感じじゃなーい。若いっていいわねー。-
シンジとアスカを交互に見ながら、ミサトは一人悦に入っていた。←鬼
そして残っていたコーヒーを一気に煽ると、カタンと席を立った。
「じゃあ、私は行くわね。はい、アスカ、これが届けるモノよ。加持は多分、家の方にいると思うわ。
きっちりと手渡しで、ついでにサインも貰っておいてね。」←お前は宅配屋の元締めか?
「…ちぇ、解ったわよ。」
先ほどとはうって変わって渋々封筒を受け取るアスカ。
「シンジ君、キョウコをお願いね。この際だから口説いちゃってもいいわよん。」
「そ、そ、そんなことしませんよ!!」
思わずちらっとアスカの方を見るシンジ。
「………」
キョウコはただ黙って、アスカの顔をじっとみていた。
朝食を終えて2時間後。アスカはキョウコの支度を手伝っていた。
「しっかし本当にアタシと同じねえ。服なら解るけど、下着のサイズまでアタシとぴったり。」
半分呆れた様にアスカが呟く。
「…いいの?」
「いいのって?」
「…シンジ君を借りてもいいの?」
済まなさそうに尋ねるキョウコに、アスカはフッと微笑んだ。
「そんな風に言ってくれたら…ね。アンタが黙ってたら、意地でも付いていったけど…それに、
シンジもアタシのモノって訳じゃないからさ。まだ…ね。」
ふう、と溜息をつくアスカ。
「でもまあ、いいわ。加持さんにも会えるし。」
それは明らかな強がり。加持に会えると言っても、心は全然晴れなかった。むしろ、罪悪感の方が強くなっている。
-心が痛い。
-何故?
-シンジがキョウコとデートするから?
-それもある。
-加持さんに会うから?
-それもある。でも、違う。
-何故?
-どうして?
自問自答しながら、アスカは着替えている。
-シンジと一緒じゃないから?
-そう。
-一緒じゃないって言っても、ほんのちょっとよ。
-でも、イヤ。
-どうして?
-解らない。
-じゃあ、一緒に来て貰えばいいじゃない。
-それもイヤ。
-どうして?
-加持さんと会ってるアタシをシンジに見られたくないの。
-何故?
-解らない。
-じゃあ、どうするの?
-仕方ないわよ、アタシは届けモノをして、シンジはキョウコの案内をする。それでいいの。
-本当に?
-本当は…イヤだけど…シンジを信じてるから…それでいいのよ。
アスカはそう結論を出すと、やおらキョウコの手を取って、キッチンに向かう。
「あ…用意…出来たんだ…。」
振り向いてそう言ったシンジの目が何となく虚ろに見えるアスカ。
「あ…シンジも…用意…出来てんの?」
少しおしゃれしたキョウコの横に、普段着そのもののアスカ。シンジにもアスカが何となく元気が無い様に見えた。
「どうしたの、アスカ…何か元気ないよ?」
「そ、そんなことないわよ…アンタこそ、どうしたのよ…」
「ぼ、僕は別に…そ、それより、よ、良かったね、加持さんに会うの、久しぶりでしょ?」
カチン。神経を思いっきり逆撫でされたアスカ。
「…ばか…」
「…え?」
「…バカって言ったのよ!!バカシンジ!人の気も知らないで!もう知らないっ!」
溢れそうになる涙。腹が立つと言うよりも悲しくなってきたアスカ。
どたたた…ぱしゅっ…だだだだ…
アスカは届けモノの封筒を握りしめ、家を飛び出して行った。
「アスカ…?…泣いてた……?」
「…シンジ君…行きましょ。」
「え…あ…そ、そうだね、僕たちも行こうか。」
「…ええ。」
ますます気乗りのしない状態で、シンジはキョウコとのデートに出かけていった。
アスカは家を出て以来、ぽろぽろ涙を流しつつ、とぼとぼ加持の住む宿舎に向かっている。
道行く人もちらちらとアスカを見ているが、そんなことにもまるで気付かずにいる。
-シンジのバカ…
-ちょっとでいいからアタシの気持ちも察してよ…
-元気ないねって言っといて、どうして良かったねなんて言えるのよ…
そんなアスカにいかにも軽そうな男が声を掛ける。
「ねー、君、どうしたのさ?ひまなら俺と遊ぼうよ。」
ぶち
「うっさいわね!」
一撃目は屈んだ姿勢からのガゼルパンチ。
「人が感傷に浸ってるってのに!」
二発目はのけぞった男の鳩尾に踏み込んでの肘打ち。
「気安く声掛けんじゃないわよ!」
とどめは前屈みになった男の後頭部に踵落とし炸裂。
可哀想なにーチャンは、音もなく崩れ落ちる。
ばったりと倒れてひくひく痙攣しているナンパ男を見おろし、フンと鼻を鳴らすアスカ。
しかし、次の瞬間には再びぽろぽろと涙を流し、とぼとぼと歩き始める。
そして加持の家にたどり着くまでに、あと三人のナンパ野郎が地面を舐めることになる。
「はあ…で、ここが僕の行き着けのスーパーだよ…野菜が新鮮なんだ…はあ…」
あからさまに元気のないシンジ。
「…シンジ君…」
キョウコはそんなシンジを思いやってか、そっと声を掛ける。
「はあ…何?」
「…のどが乾いたの…」
「ん…あ、そこの喫茶店で休もうか…はあ…」
おそらくシンジは分かっていないであろうが、何か言葉を発する度に、深い溜息をついている。
二人は小さなテーブルに向かい合って座る。
目の前にはアスカそのもののキョウコ。少しはっとする。
「ごめんね…僕…」
「…いいの…アスカのこと…考えてたんでしょう?」
ウエイターが注文を取りに来た。
「僕はアイスコーヒーを、彼女には…そう、ミックスジュース。」
シンジはアスカの好物であるそれを、キョウコの為に頼んだ。
ウエイターが戻っていったあと、シンジはそっとキョウコに尋ねる。
「ミックスジュースで…良かったよね。」
クスッと微笑み、キョウコは頷く。
「…アスカが好きだものね。」
シンジも微笑み返す。が、次の瞬間にはふっと陰りのある表情になった。
「…どうして…泣いてたんだろ…」
「…シンジ君が余計なことを言ったからよ。」
えっ、とキョウコを見るシンジ。独り言のつもりだったのだ。
「…シンジ君…あなた…アスカの事をどう思ってるの?」
「え…あ…」
「…正直に答えて。」
シンジがちらりと見たキョウコの目は真剣そのものだった。
「…えっと…と言うか…なんかこう…上手くは言えないけど…」
「…アスカがいなくなったって、考えてみて。」
ぐっ…
締め付けられるシンジの胸。
「…いやだよ…そんなの…」
「…今頃アスカ…加持さんって人と会ってる頃かしら…」
ずーん…ずーん…ずーん…←さらに落ち込む音。
「…アスカのバカ………え…これって…まさか…え…ええっ?…」
「…そうよ…多分今のシンジ君の気持ちは、あの時のアスカと同じ。」
キョウコは微笑みを湛え、シンジに告げる。
「ウソだよ…まさか…」
「…アスカはあなたが気になってしょうがないのね。」
今朝の洗面所での出来事を思い出すシンジ。
「…アスカ…」
「…あなたはどうなの?シンジ君。」
「…僕は…」
今までのアスカとの思い出がシンジの頭を駆けめぐる。
微笑むアスカ。
怒っているアスカ。
そして…泣いていたアスカ。
「僕は…アスカが…好き…だよ。」
「…ええ、そう言う事ね。今まで気付いてなかったの?」
「僕は…僕はバカだ…本当にバカシンジだね…自分で…自分の気持ちに…気付かなかった…」
「…そう言うこともあるわ…」
「…でも…僕なんか…」
「…シンジ君は素敵よ…私も…あなたが好きだから…」
「…え?」
「…でも、私は過去の人。そう、アスカは私の…」
そのタイミングで運ばれてくるミックスジュースとコーヒー。
取り合えず口を付ける二人。
「で、何?」
シンジは先のキョウコの台詞が気になっていた。
「…いえ、何もないわ…飲み終わったら帰りましょう…」
「でも、まだロクに案内してないよ…」
「…いいの…後は見届けるだけ…」
「??」
それきり黙ってしまったキョウコ。二人はさっさと飲み物を空けると、勘定を済ませて外へ出た。
「…デート…シンジ君との…デート…か…」
キョウコは小さな声でぽつりと呟く。
「え…?何か言った?」
「…ん…何もない…」
そう言うとキョウコは、はにかんだ様な微笑みを見せた。
落ち込んでた作者のあとがき
遅れて申し訳ないです。
遅れながらも何とか第三話をお届け出来ました。ふう。
あえて言い訳はしません。
しかし…
コメディと言うよりは恋愛ものになっちゃいました。
これで笑えるのはアスカが暴れるところ位でしょうか。
いやはや、我ながら才能の無さに途方にくれてます。
ここいらで次回予告。
お互いに自分の気持ちに気付いた二人。
キョウコは満足気な微笑みを湛える。
三十路前のミサトは若い二人に嫉妬の嵐?
次回、
ラブラブアスカ。
やっぱり最後はこうでなくっちゃ。