Exhibition the title     
   
  No.1  MAZDA 787B (1/43 Model...)
  No.2  MAZDA MX-R01 (1/43 Model)
  No.3  MAZDA 767B (1/24 Model)
  No.4  MAZDA 717C (1/43 Model) 
  No.5  MAZDA RX-7(SA) (1/43 Model...) 
  No.6  MAZDA 110S (1/60 Model)
  No.7  MAZDA RX-3 (1/43 Model) New!!
   






















 




 1991年、夢にまで見たル・マンの勝利を掴んだ4ローターマシン、マツダ787B。その栄冠を勝ち取った55号車は、国内外のメーカーによってモデル化され、スタンダードサイズの1/43スケールをはじめとして何種類も登場しています。
 様々なスポンサーカラーを身にまとった多彩なグループCカーが集うサーキットで、一際異彩を放っていた「レナウン・CHARGEカラー」。これらの精巧なモデルをじっと見つめていると、あの強烈なREサウンドと共に鮮明に記憶が甦ってくるから不思議なものです。
 

<1/43Model>

これはポルトガルのVITTESSEグループがquartzoブランドで発売した787B。2001年4月に6000個が限定発売されたばかりで、写真のモデルには2672番というシリアルナンバーが付いています。とても精巧な作りが特徴で、ヘッドライトやルーフアンテナ、さらにはコクピットの中など、細かい所まで忠実に製作されているのには驚きです。

出展者:Nukupee(WW201)

こちらの787Bは吉祥寺の「Bej」から発売されたもので、フィン付きのフロントホイールを装着しています。全体的にデカールのラインがやや甘い感じもしますが、蛍光色のオレンジがとてもよく再現されています。

出展者:janさん(WW203)

業界再編の末に、新生「ixo」ブランドから2002年に登場したこの787Bは、どうやら以前のquartzoブランドの作品と同じ金型を使用しているらしく、概ね製作上のバラつきといえるレベルでディテールの違いが見られる程度です。
 そんな中、唯一の相違点として、このモデルは上で紹介したBejと同様に、
冷却用フィン付きのホイールカバーを装着しています。しかもこちらはジャコバン広場での車検時に装着されていた水色のカバー。・・・聞いた話では、日本で保存されている787Bだと、海外のモデルメーカーが実車を取材することが難しいため、参考資料として当時の写真を用いるそうですが、この場合は車検時の写真が採用された可能性がありますね。私も、車検時にリフトアップされている55号車の写真でこの色のフィンを見た記憶があります。
 でもひょっとしたら、ル・マンの博物館に寄贈されている787Bがこのタイプのフィンを付けているのかも・・・。(^.^)

出展者:Nukupee(WW201)

New!!
 そして2002年夏、その「ixo」ブランドから、91年のル・マンを湧かせた787Bのもう1台、総合6位でフィニッシュした#18の「マツダ787B」もリリースされました。当然ながら上の55号車とモデルの作りは同じで、水色のフィン付ホイルカバーを装着しています。
 白地にブルーのマツダワークスカラーがモデル化される例は少ないのですが、787から細かなモディファイを受けているボディラインをくっきりと際立たせています。

 レース終盤、1位の55号車にピタリ寄り添うように走行を続け、歓喜のチェッカーをほぼ同時に受けたこの18号車は、55号車から遅れること7周、355周を走破しています。唯一悔やまれるとすれば、17時間過ぎに右リアドライブシャフト交換でロスした15分。これがなければ3位の座も夢ではなかったという計算にはなりますが、そんな展開だったらジャガー勢ももっと牙を剥いてきたでしょうから、さらにタフな終盤の争いが展開されたに違いありません・・・(^.^)

出展者:Nukupee(WW201)


<tomica>


 ダイキャストミニチュアカーの代表ブランド・tomicaにも、ルマン制覇の翌年の1992年、No.34−5としてウィニングカラーの787Bが登場しています。スケールは1/64で、RENOWNやゼッケン等の主要ステッカーは付属品シールとして同包されています。ここはtomicaらしいところですが、ドアやカウルの開閉アクションはありません。
 2001年現在も発売中ですが、当初は日本製だったものが、今では他のtomica同様、中国製となっています。

出展者:Nukupee(WW201)


<CHORO−Q>


 これはタカラのチョロQ・HCシリーズの787Bです。左側は787Bのモデルとしては珍しいMAZDAのワークスカラー仕様で、91年ル・マンで6位に入賞した18号車と思われます。これは最近購入したものですが(台湾製)、ヘッドライトがクリアレンズの別体となっており、92年頃に入手した右側の55号車(日本製)とは構造が違っています。

 同じ787Bでも、10年近い製造時期の差を反映してか、ラベルのデザインや表記が微妙に異なっています。なんでも専門家のお話だと、他にもタイヤやステッカーなど細かい部分の仕様違いが存在するそうです。


出展者:Nukupee(WW201)


<Mid−Racer>


 とりをつとめるはチョロQの親分格(?)のミッドレーサーです。89年のル・マンと国内耐久を戦ったチャージマツダ767B(左)と、91年のル・マンを制覇したレナウン・チャージマツダ787B(右)の2台。
 基本的に両者は全く同一のボディを使用し、ステッカーとホイールで区別化を図っています。マツダのGr.Cマシンの特徴である超・ローマウントのリアウィングは再現されていないようです。ちなみに、787Bのフロントブレーキダクト拡大はオーナーの勝手なモディファイです。

 こうして眺めてみると、アーガイル模様をあしらったCHARGEのカラーリングも、89年仕様と91年仕様では、コクピット上部のカラーやCHARGEのブランドシンボルなどに変化があることがわかります。リアウィング上の「CHARGE」ステッカーの大きさの違いも然り。
 これ以外のカラーリングのミッドレーサーを見たい方は、ジャコバン広場「Category−M」またはBeAM(Vol.31)でどうぞ。(^^)


出展者:Nukupee(WW201)
























 





 グループCレギュレーションの変更により、最後のロータリーエンジン搭載車での出場となった1991年のル・マン24時間レースを見事な総合優勝で締めくくったマツダ。翌1992年からは、V10のレシプロエンジンを搭載したニューマシン・MX−R01を準備して、世界選手権(SWC)をはじめとするグループCカーレースへの新たなチャレンジを開始したのです。
 あれから10年近く経った2001年、アルナージュモデルズから発売された1/43のこの2つのモデルは、1992年のル・マンに出場した2台のマツダMX−R01を忠実に再現しています。


#5 レナウンマツダ・MX−R01


#6 カジママツダ・MX−R01

 ここで注目すべきはリアウィング。通常ならカラーリング変更のみにとどまりそうなところですが、このモデルでは、5号車のハイダウンフォース仕様と、6号車のローダウンフォース仕様とをキッチリ作り分けています。

 決勝レースでは、序盤にトップの座を奪う大活躍を見せた5号車が総合4位でフィニッシュ。91年に1位でゴールした787Bに次ぐ2番目の好成績を残しました。一方、6号車はスタート後9時間過ぎでリタイヤを喫したため、このモデルは、他のSWC/JSPC戦でも姿を見せなかったローダウンフォース仕様のリアウィングを今に伝える貴重な資料となっています。


出展者:Nukupee(WW201)

 
























 





 鮮やかな蛍光オレンジとグリーンにホワイトのステッチ、お馴染みのレナウン・CHARGEカラーをまとったマツダ767Bが、ル・マンのサルテサーキットに初めて登場したのは1989年。4ローターエンジン搭載車での2度目のル・マン挑戦となったこの年、日本車最高位タイ記録となる7位(201号車)を筆頭に、3台の767Bが全車完走を果たしました。
 9位/12位となった2台の「チャージマツダ767B」のうち、203号車は旧型767の改良版カウルを採用していましたが、202号車は最新仕様のボディカウルに、ル・マン専用の超ローマウント仕様のリアウィングを備えており、全55台の出場車の中でもとくに個性的なアピアランスを持つマシンの1台でした。

   



懐かしいスポンサーロゴ(^^)

 この1/24のプラモデルは、(株)ハセガワが2001年に再販したもので、中身は組立パーツオンリーとなっていて、接着剤は入っていません。

 HPのあちこちで述べていますが、私にとってゼッケン202のマツダ767Bとは、かつてレーシングロータリーとの衝撃的な出会いを果たしたその瞬間に、FISCOを激走していたマシンそのものであり、それ以降、熱狂的なレースファンとなってマツダのマシンを応援し続けるキッカケとなったマシンなのです。正直、私はこのキットの外箱の絵をじっと見つめているだけで、(10年以上も前の)様々な記憶が甦ってきて、瞬く間に時間が過ぎ去っていきます。

 だから、たとえ製作道具が一式揃っていたとしても、私は恐れ多くてなかなか開封できないでしょうね・・・。でも、同じものをもう一個入手したら、ZEHI製作にチャレンジしてみようと思います(^^)。


出展者:Nukupee(WW201)

NEW!!
・・・と、思い出の詰まった大好きなマシンだけに、なかなか封を開けることができない私でしたが、なんと身近なところに、果敢にモデル製作にチャレンジしてくれた方がいたのでした。

 おなじみPA'sの梅下店長が、息子さんのテロ活動(笑)にもめげず、素晴らしい出来映えで見事にこの767Bを完成させてくれたのです。\(^o^)/
 こんなにプロフェッショナルな作品を拝んだあとでは、あえてシロウトの私がつたない製作で追従する意味はないですよね・・・ハイ(笑)




完璧なディスプレイですね(^^)







 少しだけノーズが丸みを帯びたフロントカウル、超ローマウントのリアウィングは、紛れもなく1989年のル・マンを総合9位で完走したマツダ767Bの202号車そのものです。そういう意味では、私が最初にFISCOで見た国内仕様の202号車とはビミョーに違うんですが(笑)、私にとってのメモリアルマシンに限りなく近いミニチュアモデルといえます。
 梅下さんの作品では、サイドに配置されたラジエータ&オイルクーラー、右サイドの排気管も丁寧に再現されています。さらに、写ってはいませんがコクピット内のシートベルトもキレイに塗装してあり、じっと眺めていると、本物のマシンを覗き込んでいるような錯覚に陥ってしまいます。

 現在、オリジナルのCHARGEカラーを保っている767Bは、マツダミュージアムに保管されている203号車がありますが、787B優勝車が出張で不在中に「代役」で展示される程度なので、ふと当時にタイムスリップしたくなった時は、この作品を鑑賞するようにしたいと思います。


出展者:梅下店長(special thanks)

 
























 





 1983年、それまでの市販車ベースのマシンから、本格レーシングカーによるル・マンチャレンジに移行した記念すべきマシンが、13B搭載の717Cでした。その特徴的なボディ形状から「そらまめ号」と呼ばれた717Cは、初登場ながら期待通りに24時間を走り抜き、新設されたGr.Cジュニアクラスの1位−2位を占めるのです。

 2002年の初夏、アルナージュモデルズから#60と#61の2台が発売され、私はPA’sの梅下店長にお願いし、早々にこれらをGetすることができました。(^^)


#60 マツダ717C(Nikon)
片山/寺田/従野組  ★決勝12位(クラス優勝)


#61 マツダ717C(JUN)
アラン/ソーパー/ウェーバー組 ★決勝18位(クラス2位)



 ユノディエールでの最高速を追い求めた流麗なボディワーク。そのディテールの処理ひとつひとつを、モデルを手にとってじっくり検証していると、当時717Cが与えた(であろう)反響の大きさをつい想像してしまいます。


 それともうひとつ、リアウィングやフロントマスクにはMAZDASPEEDの初期タイプのロゴが・・・。1983年といえばまさに会社創立のメモリアルイヤー。新世代となった本格レーシングマシン717Cにかける意気込みがヒシヒシと伝わってくるようです。
 またいつの日か、この偉大なプロ集団がサーキットにカムバックしてくる時、一体どんなマシンで、どんなスタイルで、そしてどんなロゴを引っ提げて登場してくるのか、興味は尽きません。


出展者:Nukupee(WW201)

 
























 





 ロータリー復活の旗頭となった初代サバンナRX−7は、発売翌年の1979年に、IMSAシリーズ伝統の一戦・デイトナ24時間レースにマツダオート東京チームから初エントリー。GTUクラスTOPの予選32位からスタートした片山義美/寺田陽次朗/従野孝司の日本人トリオが駆るゼッケン7号車は、格上のGTX、GTOクラスのマシンをも次々にパスする快進撃を見せ、見事クラス優勝を果たすとともに総合5位という好成績でゴール。そしてボーレン/ダウニング/マンデビルの外国人トリオが駆る77号車も総合7位でこれに続くという、超・センセーショナルなデビューウィンをワン・ツーフィニッシュで飾りました。
 この小柄なREスポーツカーの活躍がアメリカのレース界に与えた衝撃は計り知れず、RX−7はその後長年にわたりIMSAシリーズで大暴れすることとなりました。

<1/43Model>


 EBBROからは1/43スケールのモデルとして、7号車と77号車の2台がリリースされています。ダイキャストモデルならではの力強さと精巧な造りがとても印象的です。両車の違いは基本的にはゼッケンとストライプ色だけのようですが、外国人トリオの77号車のBピラー部にはステッカーが一種類追加されています。

 私は
2002年の夏にこのモデルを入手したのですが、とても23年も前のレーシングカーとは思えないカッコ良さを持っていることにあらためて気付かされ、驚きました。それはもう、現代のGTマシンよりも優れていると思ってしまうほどに・・・。こんなマシンがサーキットで大活躍するのだから、世界中に熱狂的なファンができてしまうのも不思議ではありませんね。

出展者:Nukupee(WW201)


<tomica>



 トミカからは1981年から約3年間、「サバンナRX−7レーシングタイプ」という名前で1/60スケールモデルが発売されています。ステッカー類は同封シールタイプなので簡略化されていますが、迫力あるワイドタイヤを装着し、その雰囲気は十分に伝わってきます。

出展者:Nukupee(WW201)

 
























 





 1967年、夢にまで見た2ローターのロータリーエンジン搭載車(コスモスポーツ)を世界に先駆けて発売した東洋工業は、この新しい高性能エンジンの信頼性、耐久性をモータースポーツを通じて世間にアピールしようと、海外の耐久レースへ積極的に参戦していきました。
 1968年8月、ドイツで開催されたマラソン・デ・ラ・ルート84時間レースに日本から乗り込んでいったのは、10Aエンジンを搭載する2台のコスモスポーツ(輸出名:110S)でした。
 あのニュルブルクリンクの難コースを昼夜を問わず3日半も走り続けるという過酷なレースで、なんとベルギー人ドライバーの駆るゼッケン19番の110Sが見事に総合4位でゴールするという快挙を達成し、東洋から遥々遠征してきたニューマシン、ニューエンジンのポテンシャルの高さを、ヨーロッパの人々に魅せ付けたのです。

<tomica>(Shop Special)



 このマラソン・デ・ラ・ルート仕様の18号車は、ミニカー専門店・IIアドカンパニーの特注トミカの1台です。当然、総合4位で完走を果たした19号車も店頭に並んでいたのですが、私は片山義美/片倉正美/古我信生の日本人トリオが駆ったこのマシンを選びました。このマシンも上位を走行していましたが、ゴール直前にホイールが脱落し、残念ながらリタイアとなっています。
 それにしても、84時間耐久レースの過酷さなんて、もはや我々の想像の域を遥かに超えています。この私が生まれた頃に、これまた生まれたばかりのロータリーエンジンを引っ提げて、いきなり本場ヨーロッパの超過激なレースに挑んでいたという事実には、やはり驚きを禁じ得ません。当時の東洋工業の並々ならぬPowerと技術に対する誇りを感じます。

出展者:Nukupee(WW201)

 
























 





 コスモスポーツを皮切りに、ファミリア、カペラと次々に新しいロータリーマシンをツーリングカーレースに投入していった東洋工業ですが、その真打ちといえばやはりこのマシンです。ロータリー専用マシンとして生まれたサバンナは、12Aエンジンと5速ミッションを手に入れると、国内外のツーリングカーレースで大活躍。とくにお膝元の日本では、マツダワークスチームを中心に磐石の体制を敷き、当時の最強マシン・スカイラインGT−Rを擁する日産ワークス勢と激しい死闘を繰り広げたことは今でも語り草となっています。その中でRX−3は、1971年12月の富士ツーリストトロフィー500マイルで初勝利を挙げ、1976年5月のJAFグランプリで通算100勝の偉業を達成しました。その後、80年代の半ば頃まで、RX−3はプライベーターの手によって国内の耐久レースに参戦し続けました。
 一方、欧米では主にプライベートチームが中心となり、耐久レースやツーリングカーレースにRX−3をエントリーさせていました。

<1/43Model>



 この98号車は1975年のル・マン24時間レースに出場したヨーロッパのプライベーターチームのマシンです。じつはその前年の1974年にもシグマMC74などに交じってル・マンにエントリーしたものの予選落ちし、この年が初めての決勝進出となりました。残念ながらレースはエンジントラブルのため100周足らずでリタイヤとなりましたが、この年唯一のREマシンとして、フランス人のブシェット選手/ロンドー選手がその個性的なサウンドをサルテサーキットに響かせました。
 ROTARY LE MANS HISTORYと題したシリーズでリリースされたこのモデル。REのルマン参戦史に貴重な1ページを記したマシンとして、とてもマニアックなチョイスがされていますね。

出展者:Nukupee(WW201)