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私が生まれた'60年代後半というと、まさに日本のモータリーゼーションの真っ只中で、一般家庭の自家用車保有は当たり前のものとなり、街はクルマで溢れ返るようになっていました。日本の自動車業界も、大衆車市場の拡大や輸出台数の増大などで急成長を遂げつつありました。
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時は10年ほど流れて、私が小学校の高学年を迎えた頃の話になります。 |
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歩道橋の上から見た3輪トラックの姿が強烈に脳裏に焼きついてしまった私は、その日以来どこへ出掛けるにも、街の風景の隅々まで目を凝らして、あの異様な風貌の乗り物との再会を求めるようになりました。 |
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そして、宿泊訓練から帰宅したその週末、私は父親にドライブ話を持ちかけ、カメラを携えて2人で現地に直行したのです。 無論アポなしの突然の訪問ですから、遠路遥々掛け付けても、お目当てのオート3輪が不在の可能性もあったわけですが、私は一刻も早く写真を撮りたいあまりに、そんな心配は全くしようとしませんでした。 地図を片手になんとかその民家の場所をつきとめると、はたしてそのT2000は、私達の到着をじっと待っていてくれたかのように、同じ場所にしっかりと佇んでいるではありませんか! 私はホッと安堵しながら、急いでクルマから降り、カメラ片手にその傍らへと駆け寄ったのです。 こうしてついに、その不思議なカタチの乗り物をカメラに収めたその瞬間、私は思わず手が震えるくらいドキドキしたことを覚えています。まるで絶滅寸前の珍獣でも捕獲したかのように、私の興奮は頂点に達していました。もちろん、あとで写真を見て驚く友達の顔が目に浮かんでいたのは言うまでもありません。 オート3輪を間近でじっくり見るのは初めてのことでしたが、13尺荷台の長さがやけに印象に残った日曜の午後でした。 興奮覚めやらない面持ちで再び助手席に納まったそのドライブの帰り道、私は国道2号線沿いでさらに数台の現役オート3輪と遭遇。相次いでそれらをカメラに収めることに成功したのでした。 |
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予期せぬ収穫にすっかり味を占めた私は、それ以降、父親の仕事が休みの日ごとに、県内の主要幹線道路をルートに選んで、オート3輪を求めた目的地のないドライブを敢行するようになりました。 |
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今から振り返ると、可愛い(?)一人息子の要求とはいえ、休みの日ごとに終日ドライブに駆り出された父親は、本当に気の毒で仕方ありません。しかもドライブの性格上、家を出発する時点では何ら撮影のアテは無いわけで、運転中に突然「あそこに(オート3輪が)いたー!」などという助手席からの叫び声に反応して即座に停車場所を探す・・・運転が上手で状況判断に優れた父でなかったら、1件や2件の追突事故を起こされていても何ら不思議ではありません。 そんなわけで、ホントに父にはいくら感謝しても感謝し足りないくらいです。あれから20年もの歳月が経ち、自分が我が子をクルマに乗せて運転するようになった今、その思いはますます強まるのでした。 こうして、毎週のように撮影の旅を重ねながら、父からオート3輪に乗っていた頃の昔話を聞いたり、得体の知れない古いクルマの名前を教えてもらったりということが続きました。そのうちに私は、当時でも既に珍しい存在だった「山6」というシングルナンバーに興味を持ち、そのつながりから「山4」「山5」等、次第にオート3輪以外の国産旧車も撮影対象に加えるようになりました。 そうです、これこそが、現在撮影台数1700台を超える、私の長年の旧車撮影活動の源となっているわけです。 |
父からの多大なサポートを受けた弛まぬ探索活動の結果、'80年末から'82年迄の間に、私は山口県内で約60台の現役ナンバー付き車、廃車状態のものまで含めると約140台ものオート3輪の姿をカメラに収めることができました。 |
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そして、今後は間違いなく廃棄の道を辿るであろうこのT2000トラックの、その特徴的なフロントマスクが、とても寂しげに私に何かを訴えかけているように見えたのでした。もう少し早く会いたかったと・・・。 私はこの時、目の前のT2000トラックがまさにそうであったように、今もどこかで、忍び寄る車齢と戦いながら残り少ない余生を送っている現役オート3輪の存在について、初めて意識させられました。そして、このT2000と同じ運命を辿らせてしまう前に、1台でも多くの生きた仲間に会いたい、と強く思ったのです。私は事務所のオジさんに許可を得て、魂の抜けてしまったT2000を慈しむように、キャビンの隅々までカメラに収めて帰途につきました。 子供心に抱いたこの時の感情が、その後現在に至るまでずっと、私がT2000に対して特別の感情を抱くきっかけとなったのでした。 もちろん、その後の撮影活動の過程で、マツダと並んで近代オート3輪のもう一方の雄であったダイハツCO/CM号や、かつて軽3輪ブームを巻き起こしたミゼットやK360とも数多く出会うことになるのですが、やはりT2000は私にとって特別な存在であり、現役車を見付けた時の喜びもまた格別でした。 |
全国各地での旧車イベントや、自動車博物館でのオート3輪撮影がメインとなった現在の私は、小学生時代には全く縁のなかった、くろがねやホープスター等の歴史的価値の高いオート3輪と接する機会が急増していますが、それでもT2000への特別な思いは何ら変わることはありません。旧車イベント会場でふと現役車に出会うと、思わず心が和み、「これからも元気で頑張ってくれよ!」と、心の中で強く語りかけてしまいます。 |