GENESIS

(6)


 歩いているうちにだんだん空が明るんできた。もう朝なのだろうか。同時に、そ
れまで闇に隠されていた周辺の風景が明確に浮き上がってきた。さっきはふつうの
日本の街並みだと思っていたのだが、明るくなってみるとそうでもないことが判っ
てきた。パーツで見るとたしかに日本式の部分はあちこちに見られるのだが、しか
し全体として見るとまったく統一感と言うべきものがなく、様々な様式が出鱈目に
混在しているのだった。例えば門構えはヨーロッパの貴族の屋敷の如き堂々たる鉄
扉であるのに、それに続く塀は日本式の板塀で、門柱には家紋の如き文様のプレー
トが取り付けられ、住居本体は羊の皮でできた小さなテントであり、傍らの杭には
山羊が一頭繋いであったりする。そんな類の家が両側にえんえんと並んでいるのだ。
 そのままさらに歩いて行くと、急に学校らしき広い空間の脇に出た。校舎とおぼ
しき建物は鉄筋コンクリート三階建てのビルディングだが、どういうわけか三階部
分がすべて時計台になっている。つまり三階にずらりと丸いアナログの時計盤が横
一列に並んでいるのだ。時計のデザインはみなそれぞれ少しずつ異なっていて同じ
ものはひとつもない。つい立ち止まって見ていると、突然それらはまるで示し合わ
せたように同時に十二時を指し、いっせいに鐘やベルでわめきはじめた。ごんごん
ごんごんごんごんごんごんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんじゃんり
んりんりんりんりんりんりんりん。かんこんきんこんけんけんこんこんかんかんき
んきんかんきんきん。十二時のはずなのに二十回も三十回も鳴り続けて止まらない。
僕はいたたまれなくなり、その横を走り抜けた。
 ようやく背後から響いてくる音が小さくなってきたあたりで、周囲の建物に煉瓦
づくりのものが多く混じりはじめた。それとともにふたたび周囲が暗くなってきた。
ついさっき朝になったばかりだと思っていたのだが。それともあれは朝ではなかっ
たのだろうか。いったい今は何時なのだろう。僕は腕時計をはめていなかったし、
周囲にも時計は見当たらない。いや、さっき学校らしき建物にあったことはあった
が、あれはまったく当てになりそうにない。
 突然、誰かが後ろから僕の右手を取って引っ張った。立ち止まって振り返ると、
リディアが立ち並ぶ家のひとつの玄関先に座っており、長い手をのばして僕の手を
握っているのだった。
「リディア・・・」
 僕は彼女のほうに向き直った。彼女は微笑を浮かべて短い石段に腰を下ろしてい
た。服装はさっきと同じだ。それをのぼった先に木製の玄関ドアがあり、脇には数
字のキーの並んだインターホンがとりつけられている。建物は六階建ての煉瓦造り
で、おそらくはアパートメントなのだろう。あらためて周囲を見まわすと、さっき
リディアと歩いたあたりとよく似た感じの風景である。僕はますます混乱してわけ
がわからなくなった。
「いったいここは・・・」と言いかけた僕を制して彼女は立ち上がった。その拍子
に彼女の乳房が僕の胸に軽く触れた。あらためて見ると意外と彼女の乳房は大きく、
タンクトップを力強く押し返してぐっと盛り上っているのだった。その適度な固さ
を持ったあたたかい感触は何か懐かしさを感じさせた。彼女は僕の手を握ったまま
先に立って階段をのぼり、インターホンに暗証番号を打ち込んでドアを開けた。
 彼女の部屋は三階にあった。ドアには「375」と番号が書いてある。中に入る
と、ちょっと甘い感じの暖かい空気が僕を包み込んだ。入ってすぐのところにリヴ
ィング・ルームとでも言うべき広い部屋があり、そこにはソファー・セットと大き
なTV、ステレオ装置などが置いてある。床は板張りで、歩くたびに堅い軋み音を
たてる。ソファーのある一帯だけ、毛足の長い、赤を基調としたカラフルな絨毯が
敷かれている。周囲にはさらにドアが四つあり、それぞれAからDまでのアルファ
ベットが割り当てられている。それらよりも少し大きいドアがもうひとつあり、そ
れは開け放しになっていて、冷蔵庫や流しなどがちらりと見えた。おそらくキッチ
ンなのだろう。
 リディアは僕をソファに座らせると「ちょっと待って」と囁き、Aの部屋に入っ
ていった。
 僕はソファに座って、なかば呆然としたまま彼女が戻ってくるのを待った。すべ
てが混乱し、すべてが謎だった。意味を考えようとしても、脳みそが熱く膨れたよ
うな感じになっていて、断片的な思考が泡のように湧いては消えていくだけで、論
理の鎖を形成するまでには至らないのだった。