GENESIS

(21)

 ある晩、僕は夢を見た。
 クロードが店の外に立って、心配そうに中を覗き込んでいる。僕は店の中で仕事を
しているはずなのだが、なぜか店の中を覗き込む彼を背後から見ているのだった。僕
はハームレスと何か言い争っている。ハームレスを正面から見ている像とクロードの
後姿とが視界の中に同居し、さらにクロードの表情のアップまでもがフレーム・イン
してくる。クロードは何か言いたそうだ。前足でかりかりと地面を引っ掻いているの
が見える。それを突き抜けてハームレスの醜く歪んだ顔が目の前に突き出される。彼
は僕に向かって何かをわめきたてているが、その意味する内容がまったく把握できな
い。彼の口から吐き出される音声はむなしく空中に消えてゆき、意味は読み解かれる
ことなく消滅する。僕は彼の言うことは間違っていると思い、それを彼に説明しよう
とするが、なぜそれが間違っているのかがわからない。僕の口から、言葉のかたちを
取るまでにいたらなかった思念がもやもやと漏れ出ていくのが見える。それは空中で
あっという間に拡散し見えなくなってしまう。僕の鼻や耳の穴からも思念がぶくぶく
と漏れていく。クロードはますます激しく前足で地面を掻く。なぜ彼は中に入ってこ
ないのだろう。ドアを開けることができないというはずはないのに。ハームレスはジ
ェフと顔を見合わせて肩をすくめている。僕はそれを見て逆上する。それはこっちの
台詞だ、肩をすくめたいのはこっちだ、と僕は叫ぼうとするが、その「こっちの台詞」
がいったいどんなものなのかわからない。僕の思念は言葉のかたちにならず、ただ、
口からぼうぼうと黒と紫の混じった臭い煙が噴き出すだけだ。自分の吐き出す煙にむ
せて僕は激しく咳き込む。口の中が苦味でにちゃにちゃする。
 そのうちに煙だけではなくどろどろした真っ黒な液体が口からあふれ出てくる。僕
は咄嗟に口を押さえるが、それは押しとどめようもなく口の端や鼻の穴からごぼごぼ
と噴き出し、指の間から床に流れおちていく。口と鼻がふさがれたような格好になっ
て呼吸ができず、しだいに息苦しくなってくるが、その液体は途切れるどころかあと
からあとからとどまることなく押し寄せてきて、そのせいで僕は息継ぎをすることが
できない。しばらくは我慢していたが、いつまでもそれが続くはずもなく、やがて限
界に達した僕は空気を吸おうとして、その液体を力いっぱい肺の中に吸い込んでしま
う。僕は激しく咳き込み、そしてその反動でさらに大量の液体をふかぶかと吸い込ん
でしまう。ふっ、と意識が遠のき、気がつくと僕はいつの間にか床に倒れている。右
の頬につめたい床の感触がある。今は呼吸はなんとかできているようだが、まだ苦し
さは残っている。僕は力なく横たわったまま、口と鼻からゆるゆるととめどなく黒い
液体を垂れ流しつづける。いや、今やそれは耳や全身の毛穴、ペニス、肛門など、体
じゅうのあらゆる穴から流れ出ている。着ている服はもはやすっかり汚れきってどろ
どろである。しかしもはや僕には着替えるどころか指一本動かすことすらできない。
 しばらくして僕は自分の体の奥に何か大きな固いかたまりがあるのを感じる。やが
てそれは移動をはじめ、ゆっくりと喉もとに向かってせり上がりはじめる。喉が拒否
反応を起こし、かっ、かっとかすれた咳が出るが、しかしそのかたまりは委細構わず
着実にじりじりと這いのぼってくる。ふたたび息が苦しくなり、意識が薄れはじめる。
 そのかたまりは喉もとまで来てどこかに引っかかり、完全に喉に詰まった状態とな
る。僕は息を吸うことも吐くこともできない。心臓の音だけがやけに大きく聞こえ、
しだいに薄れはじめる意識の片隅を、このままおれは死ぬのかも知れないという考え
がかすめる。しかし、ただ単にかすめただけで、それが本当に何を意味するのかは理
解できていない。
 喉もとのかたまりは詰まりながらもさらに上に出ようとしてぐりぐりと動いている。
それはあきらかに何らかの意志をもって、僕の外に出ようとしているのだ。僕は半分
意識を失いつつも急におそろしくなった。死ぬかも知れないということにではなく、
その得体の知れない物体に対してである。僕はそれを吐き出してしまうのが怖くなっ
た。吐き出して、それを見てしまうことが怖かった。それはきっとひどい悪臭を放ち、
表面はわけのわからぬ汚らしくてどす黒い粘液にまみれてぬらぬらと光り、見るだけ
で吐き気を催すほどにおぞましい物体に違いないのだ。僕はその自分の想像に震えあ
がり、残った力を振りしぼってその塊を飲みくだしてしまおうとした。しかしそれは
びくともせず、それどころか、ほんのわずかずつではあるが着実に前進しつづけた。
 そしてついにそれは喉を通り抜け、僕の口の中にごろりと吐き出されてきた。ごつ
ごつとした表面とそれにまとわりつくよくわからない粘液のぬめる感触、それにまる
で胆汁のような酸味の混じった嫌な苦さが口の中いっぱいにひろがった。全身に悪寒
が走り、胃がぎゅっと縮みあがって激しい吐き気がこみ上げてくる。僕は一刻も早く
それを吐き出してしまいたいと思った。しかし同時にやはりそれを見たくないという
気持ちも強く残っているのだった。
 僕がどうすべきか迷っているうちに、いつの間にかその物体は口いっぱいに膨れ上
がってきた。僕は危険を感じ、すぐにそれを吐き出してしまおうとしたが、すでに大
きくなりすぎて歯に引っかかり、口から押し出すことができなくなっていた。僕は黒
い涙を流し、唸り声を漏らしながら床の上で弱々しく身じろぎをした。間もなく、顎
の関節のはずれる鈍い音が頭蓋骨全体に響き、僕はかすかに悲鳴をあげた。僕はよだ
れと涙と洟を垂らし、冷たい床の上で身をよじりながら、なぜこんなことが僕に降り
かかってこなければならないのかと意識の混濁する頭で考えたが、もはやきちんとも
のを考えることなどできなかった。僕はやめてくれ、やめてくれと誰に言うともなく
つぶやいた。もちろん実際にはかすかな息が隙間からすうすうと漏れただけである。
 僕はそのまま、ひとり床の上で誰にも助けられることなく横たわりつづける。いつ
の間にかハームレスもジェフもクロードもいなくなり、場所も店ではなくなっている。
灰白色をした巨大な部屋のようだ。壁面にはドアがたくさん並んでいる。ドアには何
か書いてある。あれは何だろう。何が書いてあるのだろう………
 そこで僕は目が覚めた。