筒井康隆『愛のひだりがわ』


 この作品の舞台は近未来のようで、現在とは様子が微妙に違っており、あ
らゆる人種の人が入り混じった無国籍な雰囲気をも醸し出している。しかし
その一方でしばしば登場する昔ながらの小料理屋や食堂、路地、町工場の多
い裏通りなどといった、どことなく昭和40年代以前を思わせるような風景
があちこちに見受けられ、そのせいで異様にリアルで生々しい雰囲気がたち
込めている。その意味では少し『AKIRA』を連想させるところもある。
 表面的なストーリーを読むだけでも、逆境にあった主人公が、次々に出会
ういろいろな人々に助けられながらそれをはね返し、それを通じて次第に成
長し大人になっていくという波乱万丈の物語で、十分に面白く楽しむことが
できる。
 しかし、もう少し注意深く読むと、この作品が少年少女ものの定石を基本
的には踏襲しながらも、そういった定石をちくりと皮肉るような台詞をサト
ルに言わせていたり、また、全体のストーリーの構造が「巡礼」のかたちを
踏まえており、登場人物としても元型を思わせる者が何人か登場していたり
することに気づく。たとえばご隠居さんはあきらかに「老賢人」を思わせる
し、サトルには「永遠の少年」のイメージが強い。ただしサトルは結局「永
遠の少年」にはなれず「大人」になってしまうのだが。
 それから、帯に「マジック・リアリズム」と謳っているとおり、この作品
の中にはマルケスの作品を連想させるような登場人物、エピソードがいくつ
も登場しており、それらが前述のひと昔前の日本を想起させる舞台装置と組
み合わされて、物語世界に豊かな奥行きを与える役割を果たしている。
 さらに加えて、若い読者のための教訓的な話、示唆に富んだ話も要所要所
にきっちりと挟み込まれており、これはじつに重層的で、贅沢きわまりない
作品であると言えるのではないだろうか。
 ラストで、愛ちゃんが犬と話せなくなったことに気づく瞬間はとても哀し
い。この「哀しさ」、とくに何かを喪失したことによる「哀しさ」も、筒井
康隆の持つ重要な一面であろう。ラディカルであり、高度に知的でありなが
ら実にセンチメンタル。まさに筒井康隆の魅力全開の傑作である。