てぃがやん


 あるところに夫婦が住んでいました。
 すでに結婚してから十年ほどたっていましたが、変わらず毎日なかよくくらして
いました。
 彼らにはこどもがいませんでした。
 こどもがいないことはべつに気にならなかったし、ふたりのくらしはしあわせで
したが、ときたま、ふっとすきま風が吹くように、さびしさがふたりのあいだにし
のびこむことがありました。


 そんなある日、彼らの家に、虎のこどものぬいぐるみがやってきました。
 おおきなまるっこい鼻と、ぽっこりと出たおなかを持った、オレンジ色の虎のこ
どもです。
 ちょうど冬だったので、雪の結晶の模様のついたふわふわの青い帽子をかぶり、
同じ模様のやわらかな青いシャツを着ていました。そのシャツの下から、まるくて
白いおなかがのぞいています。
 ふたりはそのぬいぐるみに「てぃがやん」という名前をつけました。


 それから、ふたりと一匹の生活がはじまりました。


 てぃがやんはひとりですわることができました。そして「てぃがやん」とよぶと、
ちいさな声で「はあい」とこたえました。
そのままじっと見ていると、はやくだっこして、というふうに、こちらを見あげ、
両手をいっぱいにひろげて、とんとんとこきざみにとびはねます。
 だきあげると、「わあい」と言ってよろこびます。くんくんとまるい鼻をこちら
の鼻におしつけたり、しっぽをぱたぱたさせたりしながら、ぎゅーっとだきついて
きます。


 ふたりはてぃがやんをとてもかわいがりました。


 朝、目がさめると、目の前でてぃがやんがおふとんからまるい鼻を出してこっち
を見ています。
 「おはよう」と言うと、てぃがやんも「おはよう」とちいさい声で言い、鼻先を
あごの下にくりくりとすりつけてきます。
 てぃがやんのまるい鼻はやわらかくて気持ちいいので、またねむくなってきます。
 すると、てぃがやんはおふとんからもぞもぞと抜け出して、枕もとでとんとんと
とびはねながらかわいらしい声でうたいはじめます。
「おきようよー、おきようよー」
 メロディはその日によってすこしずつちがいます。
 ようやくふたりが起きて仕事にでかけるしたくをしているあいだ、てぃがやんは
椅子にすわってうたをうたったり、おどったりしています。
 でも、いよいよふたりがでかけようとすると、てぃがやんはいつもさびしがって、
なかなかはなれようとしません。
 泣きべそをかきながら腕にしがみついていやいやをします。
ふたりはてぃがやんに「早く帰ってくるからね」と何度も言いきかせ、ぎゅーっと
だっこしてからてぃがやんをおふとんに寝かしつけます。
 おふとんから鼻先だけ出して「いってらっしゃい」とちいさな声で言うてぃがや
んはすこしさびしそうです。
 それでふたりとも、仕事が終わると、ともだちのさそいもことわって、いつもま
っすぐおうちに帰るのでした。
 おうちにかえると、ふたりはてぃがやんといっしょにごはんをたべたり、テレビ
をみたりします。
 ふたりはにこにこしながらてぃがやんの頭をなでて「かわいいねー」といいます。
 するとてぃがやんもにこにこして「だっこ」といいます。
 ふたりはてぃがやんをだっこしてほおずりします。
 てぃがやんもまるい鼻をくりくりとこすりつけます。
 そのうちにみんなねむくなってくるので、なかよくおふとんにはいります。
 「あったかいねー」
 そんなことを言いながら、みんなそろってねむるのでした。


 そのようにして、ふたりと一匹はたのしくくらしてゆきました。


 時がたち、夫婦は年老いました。
 でも、てぃがやんは、こどものままでした。
 ふたりはすっかり皺だらけとなった手でてぃがやんの頭をなでました。
 「てぃがやんはいつもかわいいねえ」
 そしててぃがやんをだっこし、ほおずりしました。
 てぃがやんは昔と変わらず「わあい」と言ってよろこび、ふたりにまるい鼻をく
んくんとおしつけました。


 しかし、やがて、夫は病にたおれました。
 妻はてぃがやんをつれて病院におみまいにいきました。
 夫はやせほそった手で、妻とてぃがやんの手をなでていいました。
「てぃがやんのことはたのんだぞ」
 妻とてぃがやんは、だいじょうぶ、はやく元気になって、と言いました。
 でも、まもなく夫は死にました。
 妻はてぃがやんをだっこして、夫と最後のおわかれをしました。
 てぃがやんは棺の中の夫にむかって、だっこしてもらいたそうに身をのりだして
手足をうごかし、くんくんと鼻を鳴らしました。
 けれど、もう夫はてぃがやんをだっこすることはできません。
 てぃがやんは、さびしそうでした。


 ほどなくして、妻も病気となりました。
 そして、枕もとのてぃがやんにみとられ、ひっそりと息を引き取りました。
 こどものままのてぃがやんだけが、あとにのこされました。


 お通夜のあいだ、てぃがやんは妻の寝かされているおふとんのかたわらにすわっ
ていました。
 夜がふけると、てぃがやんはそのおふとんのなかにもぞもぞと入っていきました。
 そして、肩口から鼻先を出して、彼女の首すじに鼻をおしつけました。
 でも、やがててぃがやんはおふとんから出てきました。
 「あったかくない」
 そばにいた親戚の人たちは何もいえませんでした。
 それからてぃがやんはひとばんじゅう、おふとんのかたわらで、下を向いたまま
すわりこんでいました。


 お葬式では、てぃがやんは親族の席にすわりました。
 たくさんの人が、おわかれを言いにやってきました。
 そして、元気をだしてね、と、てぃがやんの頭をなでていきました。
 てぃがやんはだまって、じっとうつむいていました。
 その列がとぎれたとき、てぃがやんはとつぜん顔をあげ、とことこと前に出てい
きました。
 そして棺の前にくると、とんとんととびはねながら、かわいらしい声でうたいは
じめました。
 「おきようよー、おきようよー」
 それは、いつもふたりを起こすときにうたっていた、あの歌でした。
 その歌声をきいて、目頭をおさえる親戚の人たちもいました。
 ところが、そのとき、歌にあわせて、棺がぐらぐらと動きはじめたではありませ
んか。
 参列者たちはおおさわぎです。
 やがて棺のふたが開き、なかから妻が起き上がってきました。
 みんなは思わず息をのみました。
 すっかり年老いて皺だらけになっていたはずの彼女は、てぃがやんがやってきた
ときそのままの若い姿にもどっていたのです。
 てぃがやんは「わあい」といっておおよろこびです。
 そのとき、こんどは外からまばゆい光が差してきました。
 そして光のなかから、とっくに亡くなっているはずの夫が姿をあらわしました。
 彼も、てぃがやんがやってきたころそのままの若い姿になっていました。
 夫と妻はたがいにほほえみあいました。
 その足もとで、てぃがやんが「はやく、はやく」といってとんとんとびはねまし
た。
 ふたりはまたほほえみあうと、手をさしのべててぃがやんを抱きあげました。
 てぃがやんはとてもうれしそうに、ふたりにまるい鼻をくりくりとおしつけ、何
度も何度もほおずりをしました。
 ふたりもてぃがやんを何度も何度もぎゅっと抱きしめました。
 やがて、ふたりと一匹は輝く光に包まれ、なかよく天にのぼっていきました。
 きっと今ごろは、どこか遠いところで、みんなでたのしくくらしていることでし
ょう。
 もう、はなればなれになることはないのですから。