気功の穴
象気功


精神安定メソッド

眠りの神の言葉



思考の破壊


さて 象の大神様からのありがたいお告げの神のみ言葉「トットコトー」の続きである。

まあ、 実のところ、今日は「ぺちぺち くん」をアップしようかと思ったのであるが、 「トットコトー」の 破壊力で脳が混乱して集中力がなくなって どうにもならないというのが、 本日の偽らざる心情あるいは実情である 。


あれれ?ヘッドセットのマイクのカバーが外れたら 音声入力の文字変換がスムーズになった。

なるほど このヘッドセットのマイクのスポンジのカバーが聞き取りを邪魔していたわけだ。

このように物事は思わぬところに原因があるものである。

何言ってるの ?

知らんがな。

ということで、 右脳も左脳も使う、とんでもなくエネルギーのかかる「ぺちぺちくん」はさておいて、 マイクに向かってしゃべるだけという、作家としては実にお気楽な あれこれの方向性に走るわけである。


この神のお告げの「トットコトー」の破壊力は想像を絶するものがあって、10回も唱えると集中力が5次元のかなたのどこかへ飛んで行って、脳はあらいやんになるのである。

だから、これから集中力のいる仕事をしようなんていう時は、間違っても 「トットコトー」を連呼してはいけないのである。

ミスを連発すること必定である。

もちろん 脳が使えなくなるということはエネルギーが身体のその他の部分、あるいは脳以外の 臓器に行き渡るということであるから、気功の本来の目的であるところの「健康を作る」ということでは非常に重要な 言霊であるということが言えるわけである。


気功てなものは、いかに能力あるいは脳力を発揮するかということではなく 、あの辺のあのあたり国の文人の皆さんが、考えすぎて脳に集まってしまった血液をいかにしたら効率よく身体に循環させることができるかということから始まったという説があるぐらいである。

そのことから言うと「トットコトー」の降臨は、神のお告げあるいは天啓としか言いようもない、人類を救うための象気功ならではの神威現象である。


嘘つけ、 行き当たりばったりの思い付きだろう。

失礼なことを言ってはいけません、思い付きで「トットコトー」なんて見事な言霊が出てくるわけないじゃありませんか。

ウーム 論点に無理があるな。

まあいいや。

いいのかよ。

まあとにかく、特に象気功は考えることをやめて こよなく バカになろうという、実に香ばしい 大前提の気功法であるので、「トットコトー」は象気功においては、究極の言霊(コトタマ)であると言えるわけである。


さあ 信者の皆さん、「トットコトー」を連呼して、あたしのような日本一の立派な大バカとんちき低知能の人間のクズになろうではありませんか。

え?いやだ? なんでかなあ?

例えば 座禅 も 考えることをやめて、いい大人が仕事もしないで、アホヅラして たーだ座り続けるということが只管打坐の眼目である。

後は脳の勝手な作業で悟りに至るということをあれこれ 暇つぶしの つれづれに楽しむわけである。


座禅は暇つぶしじゃねえだろ、とんでもねーことをいうんじゃないよ。

あなたねえ、 いい大人が何もしないで ただ座ってアホズラしていたら、 暇つぶし以外の何ものでもないでしょうが。

禅の修行者をアホズラとは何事か! きさま仏罰がこよなく当たるぞ。


ううむ、「こよなく」の使用法がこよなく間違ってるとしてもそれは置いといて、一人ボケ一人ツッコミが支離滅裂で誰が笑うんだこんなの。

まあ、ネット芸人としての反省はこのぐらいにして、いずれにしても、アホヅラして座ってる暇があったら 町に行ってゴミでも拾ったほうが仏の道に少しでも近づくのは、だれが考えても自明の理である。

座禅だの瞑想だの挙句の果てには只管打坐なんてなんの役にも立たない暇つぶしで悦にいってないで、障害のある方の 目となれ 耳となれ 足となれ、 この暇つぶしのアホどもが。


世界中でお座りしてるアホどもをこの世から一掃しないことには、人類の未来はどうにもならん、ぷんぷん。

そんなどーでもいいことでムキにならんでも。

そうね。

ということで 暇つぶしのアホ扱いされないためには、 座禅だの立禅だの瞑想だのという人生の大事な時間の無駄遣いは即刻やめて、 たった一言「トットコトー」と 唱えればいいのである。

これだけで何も考えていない究極のバカになれるのである。


2回唱えれば さらに バカが進行して、ありがた~い悟りあるいは勘違いの思い込みに近づくのである。

100回 唱えれば何の役にも立たない能無し生ごみ人間になり果てて、今夜は口を開けてよだれを垂らして、睡眠はぐっすりよ ということである。

これ、何か論法がまちがってるような気がするが。


つまり、「トットコトー」は 覚醒の反対の催眠である。

氣の世界はこぞって いかにして覚醒するかということをあれこれ 精進しているわけであるが、 象気功はついに逆の方向の鎮静さらには催眠さらには究極のバカになるべく精進するわけである。

菩提樹の下や洞窟 なんかに何年間も座ったりして役立たずをこじらせるより、一言「トットコトー」 である。

おいおい、どこまで行っても悪口雑言かよ。

まあ今日はこんなところで一つ。


誤解をされる読者がおられるといけませんので、 あらかじめ お断りしておきますが、あたしは某禅宗寺院の護持会役員さらには檀家総代を務める 敬虔なる仏教徒であるのである。

何のお断りだよ。

知らんがな。

ちゃんちゃん。

某禅宗というとあの辺のあの宗派だな。

いやん、めっかっちゃった。

(2023/07/31)


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