手相と運気 まあ、あたしも酔狂で通りがかりの繁華街でシャッターの前なんかに店を出してる手相見に、何度か見てもらったことがあるのである。 この酔狂てなのは言葉の綾でなく、たいていが実際に酔っ払ってるので、相手もいい加減な見方かもしれないのであるが、その皆さんや手相占いが趣味の知人にが異口同音におっしゃるには、あたしの手相には「一生、金に困らない」という線があるらしいのである。 しかし、実際には、あたしは手相にはなんの興味もないので、どれがその線であるかは、未だにわからないのである。 いや、あたしは別に手相学手相占いてなものを否定しているということではないのである。 まあ、手相学における掌線てなもんも当然、親から受け継いだDNAにより構成されるわけであるから、当然、たとえば顔にしても、誰が見てもわかる人生がうまくいく行く華やかな顔と、人生がぜんぜんうまくいかないしぼんだしょぼい顔があるのと同様に、手の厚さや様相なども含めてそこに刻まれる線も統計的に、人生がうまくいくものと、どうやってもうまくいかないものがあるとは思うのである。 まあそれでも、興味がないのは、あたしは自分の行く末にまったくなんの期待もないからであるのである。 しかし、まあ、そうはいっても、人生を振り返ってみると、まともに働くでもなく、まとも会社に勤めるでもなく、やりたいことだけをやるてな、こんなでたらめな生き方をしてれば、当然、生活に行き詰って路上生活をするはめになるなんてのが普通であると思うが、そんなこともなくて、住みたい家に住んで乗りたい車に乗って行きたい所に行って買いたいもん買って食いたいもん食ってお気楽極楽に過ごしているのであるから、それは手相見の皆さんのいうとおりであるかもしれないのである。 それでも、ときどき、運気が変わって、同じ生活をしていてさして変わった行動をとってるわけでもないのに、それなりに災難とも思える状況になるのであるが、これがけっこう周期的であるので、「ああ、また来た」ということでそんなに驚かなくなったのである。 逆に、ものすごく順調にものごとがスイスイ運ぶ時期がやっぱり周期的にやってくるのであるが、本来はこのときに何かに向かって怒涛の発進をすればあたしの人生も天上を駆け上がることになると思うのであるが、何にもしなくてもうまくいくので、当然めんどくさがりやのあたしは何にもしないので天上を駆け上がることもないのである。 まあ、この経験から世間様で言われるように、誰にでもチャンスは同様にめぐり、危機も同様にめぐってくると思うわけであるが、あたしの場合は、チャンスに乗ることもなく、危機には逆らわずやり過ごすというてきとーな生き方をしてるわけであるので、絶対に大成はしないわけである。 まあ、現在のところ生活にさしたる不満もなくどうしようということもないので、おそらくこのままたいした発展もなく、あとン十年間だらだらてきとーに運気に任せて流されて生きて、寿命が尽きたらめでたくおっちんじまうわけである。 自分の今までの人生を見ると、まあこの先もだいたいこんなもんだろうと思うので、やっぱり手相には興味がないのであるが、「一生、女に困らない」という線があるとはだーれもいわないので、さらに興味がないのである。 えーと、今日は21日かな。 大丈夫かね。 |