象気功
象気功

本日の御神託


捨てる


まあ、なんである、本日の御神託は「捨てる」であるのである。

まあ、運気上昇を阻んでいることに、「いらない物」と「いらないしがらみ」てなものがあるのである。

まあ、この「いらない物」と「いらないしがらみ」いっさいを捨ててしまえば、身も心も軽やかになって、運気は大空に羽ばたくがごとく上昇を始めるわけである。


そんなことはあたしが言わなくても誰でもお分かりになると思うわけであるが、これがね、なーかなかできるようでできないところに人間の面白さがあるのである。

まあ、「いらないしがらみ」てなものは、まあ、いわゆる人間関係であるので、あちら様の都合もあるので、これ、一概にこちら側から捨て去ることもできないものが多いわけであるが、「いらない物」はあちら様には都合がなくてこちら様の一存であるので、総て捨てられるわけである。

まあ、仕事場でさえも実際には使わないものやいらない物がほとんであるのである。

まあ、あたしの経験からも3年以上使わない物は一生使わないのである。

それで、机の引き出しや物入れを見てみると、これ、3年以上使わなかった物が満載であるのである。

中にはそれがいったいなんであるのかわからない正体不明の物もあったりして、ほとんどがいわばあたしにとって価値のないゴミがらくたであるのである。

そのゴミがらくたのせいで、日頃から必要なものが見つからなくて「あれはどこだ?これはどこだ?」と物入れや机の引き出しを引っ掻き回して探すのである。

それで、「ううむ、これでは運気の上昇云々以前に仕事が捗(はかど)らないこと夥(おびただ)しかろうから、いらない物を捨ててしまおう」つーことで、今日は朝から一大決心をして、いらない物をダンボール箱に放り込んで捨てることにしたのであるが、これが、そうとう大きなダンボール箱であるが、いっぱいになるぐらいあれもこれも3年以上使わないものばかりであるのであるのである。

ところがこれ、いざ捨てる段になると、「あらら、これは某はんずで衝動買いした未使用のカランダッシュの80色の水彩色鉛筆と40色の水彩クレヨンではありませんか、ううむ、もし急に絵が書きたくなった時にあたしのような大天才はやっぱりカランダッシュでなければだめだから、これはとりあえずとっておこう、あらら、これは握力を鍛えるハンドグリップではないか、やっぱり健康は握力からだから、ぜんぜん使わんがもしかしたらこの先気が変わって使うかもしれないからこれも一応とっておこう、あらら、これももしかしたら使うからとっておこう、あらららららら」てなことで、結局、ダンボール箱をそのまま物置に移動しただけであるのである。


こうなると、おそらくこのダンボール箱のいらないものはこの先もずーっと物置に置きっぱなしになって、なんでそこにあるのかさえ忘れ去られるのである。

まあ、あたしの表層意識では「忘れ去られる」わけであるが、ところがどっこい、これ、圧縮されて記憶の底に汚泥のように溜まって行くのである。

この記憶の奥底の汚泥がストレスとなって、脳がいまひとつ快調絶好調に機能しなくなる原因元凶となるわけである。

まあ、あたしの一存で捨てられる「物」でもこのありさまであるから、あたしの一存だけではそうもいかない「しがらみ」なんてのはそうそう捨てられるわけもなくて、あいかわらず「いらない物」と「いらないしがらみ」のがんじがらめで今日も明日もアホウドリのごとく離陸に難渋艱難辛苦して人生をお楽しみになるわけである。

ありがたいありがたい。

ううむ、どうかね、どれどれ。

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