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名前:新人 |
象師匠は真言によって身体各部が開かれるのを実感する時、振動・圧力感・熱感などで感じとられるのですか?
あと確か真言を唱えてたとえ何も感じなかったとしても効果は出てるものだ、と書かれていたと思いましたが、私は唱えても唱えてもまったく何も感じないのです。本当にこんな自分でも気道は開いていってるんでしょうか?少々心配になってきました。
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お答え |
象師匠 |
ううむ、なんと申しましょうか、「身体各部が開かれるのを実感する時」は「振動・圧力感・熱感などで感じとられ」るわけではありませんねえ。
言葉で表現するなら、「開かれる感覚」てなことでしょうか。
それで、象気功では「開く」というタームを使用しているわけです。
まあ、たとえば、「気の感覚」は「振動」でも「圧力感」でも「熱感」でもなく、言葉で表現するなら、「気の感覚」なんですねえ。
まあ、気がわかればわかるわけですが、また、逆に、わからないとわからないわけですが、まあ、「私は唱えても唱えてもまったく何も感じない」場合も「本当にこんな自分でも気道は開いていってる」のでありますので、ご心配はいりません。
たとえば、リンパの流れなんかや血液の流れなんかは通常、感じないのが正常なわけです。
これが、あっちに流れた、こっちに流れたなんて感覚があったら、めんどくさくて生活できないわけです。
同様に気道の開き具合や流れなんかはわからないようにできているわけです。
それでも、精神状態や運動なんかで血管は開き血流は増大したり減少したりリンパもあちこち動いているわけです。
同様に気道も気功法や呼吸法、真言なんかで開いたり閉じたりして、また、気が大きく通ったり減少したりしていても、本人にはわからないのが正常な身体の状態であるわけです。
それで、いつも言いますが、この先も人によってはぜーんぜん気がわからない場合もありますが、その方が人間の身体としては正しい状態でありますし、真言による部位、気道への効果はありますので、気にせず、また、過大な神懸りな効果を期待せずに、お好きな真言、お題目を唱えてお楽しみいただきたい。
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