象気功

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神仏像の影響
名前:TM   
既に亡くなった私の祖父は信心深い人でした。
家の仏壇の隣の台には、今もたくさんの神仏像があります。
 
 ・ エビスさんの石像 (道祖神風)
 ・ 福禄寿の木像 (貯金箱)
 ・ 七福神の宝船の木像 (貯金箱)
 ・ お釈迦様のブロンズ
 ・ 西牛飼いのブロンズ
 ・ なんとか如来のブロンズ (×2)
 ・ 事代主と大国主のお面付きの掛け軸のような物
 ・ ダルマさん (複数)
 ・ 木彫りの赤牛っぽい物 (色は黒)
 
というぐあいにやけくそなラインナップです。
そして、私の左足の親指の付け根あたりにはウオノメがあり、胸腺あたりの気道はあんまり開いておりません。
う~ん・・・、と思いました。
 
そこで、私の最近の修行は、
象気功の文章をキャンパスノートに黒のボールペンで縦書きで写経する。
というものなのですが、その過程で腎付近をもう少し活性化させたくなり、
真言を唱えた結果、それらの神仏像が気になって来ました。
祖父も一体何処から拾って来たやら分かりませんが、エビスさんの石像(道祖神風)が特に気になります。
石像はマズいだろう。と思うのです。
ひとまずその石像は私が日陰から、日の当たる場所へと置きかえてみました。
それ以上どうしていいのかは分からんのです。
基本的に同居している家族に迷惑が掛からないように、段階的におん出してやろう。と考えております。
アドバイスいただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。


お答え
象師匠  
「私の左足の親指の付け根あたりにはウオノメが」あるのは、ご祖父の集められた神仏の像とはなにも関係ありませんし、「胸腺のあたりの氣道」が開いているかどうかは別にして、そのお悩みも、その神仏像とはなんの関係もありません。
単なるあなたの体質であり、あるいは単なる思い込みであります。
まあ、象気功をよーくお読みになるとお解りになると思いますが、あなたが生きている現世、この世は、あなたの脳の無意識下の想念による幻想であるわけです。
神仏も元来、その幻想を楽しむために、人間がおもしろおかしくでっちあげたものであるわけです。
どの神仏もあなたが存在すると思えば存在しますし、あたしみたいな神も仏もない者には、なにも存在しないわけです。
つまり、そのへんの石ころでも、それに神が宿っていると思えば、ありがたいご神体になるわけですが、たとえばあたしみたいな不心得者にとっては、どんなご利益のある神社の神の宿るご神体の石も、そのへんの道端の石ころと同じ扱になるわけです。
象気功で何度も解説しておりますが、神、宇宙はあなたであり、神の組成はあなたの組成と同じであるのであります。
あなたが神であり、宇宙そのものであるのであります。
仏像にも神像にも神は宿っておりませんが、あなた自身は神の乗り物であり、神、宇宙と一体であるのであります。
神はあなたであり、あなたは神であるのであります。
ですから、まあ、仏像も神像も石像でも木像でも銅像でも、それらは石であり、木であり、銅ありますから、そんなものに神は宿らないのであります。
つまり、そんな物はどーでもいいわけであります。
でも、ご祖父がいっしょうけんめい集められたものでありますから、こけしの収集や陶磁器の収集と同様と思えば、むやみに「おん出してやろう」なんて思わずに、そのまま、大事にして、ご祖父の思い出としたらよろしいと思いますね。
その他者を「大事にする」「思いやる」という心持ちが「返り念障」を緩和する法でもあるのであります。
ありもしない仏神像などの障りを怖れて、自分を「大事」にして、他者であるご祖父の集められたものを忌む(きらい、さける)のは、その逆の法であります。
冷静にご判断いただきたい。