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名前:ぷるるん |
師匠、いつも貴重なる情報をありがとうございます。
質問させていただきたいのですが、霊や魂としての輪廻がないという話は理解できたのですが(若干まだ信じたい気もしてますが)、私が死んだ後、何らかの感覚が残るのか否かをお尋ねしたいのです。
日常の私とは、思考、イメージ、感情、身体感覚等が混ざり合った感覚を脳が認識し、「私」というモノを生み出しているのかと思っています。しかし、思考が私かというとそうでもなく、感情が私でもない。それを「見ている主体」があると思います。
例えば「寒くなってきたなあ」という思考は、字に書けば単なる単語の組み合わせですが、その思考の意味を理解する「主体」がいてこそ、思考が成り立ちます。小説本は、それ自体は字を羅列した頁が集まったものですが、それを読み理解する読者がいて、小説のストーリーは成り立ちます。
映画のスクリーンに映る登場人物が「日常の私(エゴ)」だとすると、観客にいるのが「主体の私(神?)」なのではないか。
この日常の私が、この先死んだ後、このエゴの私は消滅するけれど、そのエゴ(思考・感情など)を見てきた「主体」は生き続けるのでしょうか?それを私(エゴではなく、主体としての私)は死後、意識できるのでしょうか?そして、もし、生き続けるとして、それは、今私らが感じている感覚と通ずるものがあるのでしょうか?
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お答え |
象師匠 |
まあ、なんですねえ、残念ながら『思考が私かというとそうでもなく、感情が私でもない。それを「見ている主体」』は、ございません。
ですから、ご質問の「私が死んだ後、何らかの感覚」も、残念ながら残りません。
象気功をよーくお読みいただくと、何回も解説しておりますが、この世、宇宙に「存在」するものすべては、あなたの「脳」が作り出した「存在」であります。
あなたの目の前のPCも家族も兄弟も知人友人も家も街も地球も宇宙もあなたの脳が造り出した、いわば「幻想としての存在」であります。
ですから、あなたの脳が無くなるとそのPCもこの世もあなたもその意識思考も存在しなくなるのであります。
『例えば「寒くなってきたなあ」という思考は、字に書けば単なる単語の組み合わせですが、その思考の意味を理解する「主体」』はあなたの脳であります。
「思考、イメージ、感情、身体感覚等が混ざり合った感覚」もあなたの「脳」さえも、あなたの「脳」が造り出した幻想であって、それを「見ている主体」は「脳」以外にはありません。
まあ、以前にもどなたかのご質問にお答えしましたが、その辺のところを近年、フランスの脳科学者の皆さんが、とんでもない容量のMRI装置を建設して解明しようとしているわけでありますが、解明できるかどーかはわかりません。
まあ、それでもあなたが、どーしても、「主体の私(神?)」は存在する、とおっしゃるのであれば、象気功はそのお説をむやみに否定するものではございません。 |
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Re: 死後の世界について |
名前:ぷるるん |
師匠、ご回答いただき、ありがとうございました。
http://www.asahi-net.or.jp/~hu4c-oosw/
sobokunagimon2.htm
こちらの方でも、ご回答されておられましたね。失礼しました。
今まで、いろんな精神世界系の本を読み、またそっち系の人の話を聞いたりしており、私の脳には相当のバイアスがかかっています。こちらを拝見するようになってから、私の価値観も崩れ始めましたが、崩れきってはいないので、このような質問をしてしまいました。
正直、まだ完全に理解できたわけではありませんが、再度拝読させていただき、よく考えてみます。
お忙しい中、ありがとうございました。
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