洗濯洗剤と新聞 えーと、なんだっけ?、ううむ、筒井センセーの聖痕はなんだね、なんつーのか久々におもしろいな。 新聞は読まないあたしも、面白さに惹かれてつい読んでしまうのである。 テレビ欄とののちゃんの他に読むものができたので、新聞代を払ってる甲斐(かい)ができたのである。 いや、べつにあたしは某A日のファンではないのである。 だいぶ前に拡張員のおじさんがやってきて洗濯洗剤をくれるとゆーので某Y売から取り替えたのである。 それで、まあ、漫画を見てみると某Y売は某Y売らしく差し障りの無い植田センセーで、かたや某A日は某A日らしくいろいろ差し障りのあることもどんどんお描きになる石井センセーであるので、まあ、どちらかとゆーと差し障りのある方が面白いのでコボちゃんよりはののちゃん派であるのであるが、実は、某Y売の販売店のおにーさんが先日来られて洗濯洗剤をくれたので、そのうちまた某Y売の差し障りの無い植田センセーになるわけである。 まあ、某Y売と某A日にこだわっているようであるが、べつにあたしはM日やS経がきらいとかではないのである。 いずれにしても記事は見出しをざざっと見るだけで、さらには広告欄の週刊誌の見出しをざざっと流し見するぐらいで、あとはテレビ欄と漫画ぐらいしか読まないのであるから、どこでも洗濯洗剤をくれれば即座に乗り換える用意は十二分に熟成充実しているのである。 主義主張も思想も社説もなんだっていいのである。 それでもあえて主義主張思想は何かといわれれば、あたしのメインのシンクタンクは某Sほーちであるので、まあ、どーしても某Y売のドンNベツネさん寄りの主義主張思想であるが、これもべつに某Sほーちにこだわっているとゆーわけではないのである。 まあ、たとえばエンターティメントお笑い新聞の雄である某Tスポさんが洗濯洗剤を持って来れば、もちろん即座に、エンターテイメントお笑い新聞的主義主張思想になる覚悟も用意も意欲満々に取り揃えてお待ちし申し上げているのであるが、近所に販売店がないらしくぜんぜん来られないので、あいかわらず某Nベツネ的主義主張思想に朱に交われば真っ赤っ赤であるのである。 うわあ、コーヒーこぼした、ティシュティシュ、あああ、ティシュが終わりだ。 ううう、買い置きが切れてるじゃないか。 くそー、しまった、なんてことだ、油断した、いったいどうしたらいいんだ、ああ、タオルで拭けばいいのね。 それにしてもティシュのない生活なんで考えられん、今日、ディスカウントで5箱198円のやつを100箱ぐらい買ってやるのである。 自慢じゃないが金はあるのである。 でも、新聞は洗濯洗剤しだいであるのである。 でも、ティシュを持ってきてもどんどん取り替えるのはもちろんであるのである。 笑いのポイントがわかりにくいのである。 タイトルにひねりがないし。 年の暮れに反省かよ。 てなことでひとつ。 |