気功の穴
象気功


正中線生成プロセス


正中線とは何か?



いやはや それにしても、時間が経つのは早い。

それがさらに加速していく。

時間の経過が時間の経過とともに早くなる。

すごいね これは。

最近では 特急電車に乗っているような感覚で時間と日にちが過ぎていく。

これがそのうち新幹線ひかりになって、 リニアモーターカーになって、飛行機になって、気がつくと終わりになるわけである。

まあ たいしてやることもないのでどうでもいいが、とにかく早いな。

朝起きると あっという間に1日が終わってる。

とにかく さっき 朝の3時に起きたと思ったらもう5時だ 。

2時間がほんの一瞬だ。

もちろん 人生も ほんの一瞬だろう。

瞬く間とはこのことだ。

瞬く間に生まれて死ぬわけだ。

いいね。

よかねえだろ。

どっちなんだよ。

知らんがな。

うーむ、 まだ脳が起きないな。

2時間も経ってんのに起きないのかよ。

もしかすると 今日はダメなんじゃないか。

いつもダメだろ。

うるせえよ。

お決まりの一人漫才はやめろ。

かしこまりました。

イエーイ。

バカなの ?

マイルドバカです。

それも飽きたからやめろ。

かしこまりました。

ネタは神のお告げで急にどこからか降臨してくるので、それまで待つしかないのである。

ああそうかよ それは良かったな。

よかねえだろ 。

そうですね。

意外に素直だな。

とにかく時間がないので忙しいことこの上ない。

本を読んでる暇もないし くだらんゲームをしてる時間もないし、テレビのニュースを見てる時間ももったいないのである。

唯一 ネットのニュースは自分の時間であれこれして見ることができるので 情報はネットに頼るしかない。

ネットは便利である。

当たり前である。

まあ 我が社にパソコンが導入されて、三十年近く経つから、ネットとの付き合いも否応なく三十年ということになるわけである。

なんの否応だよ。

いいじゃん、細かいことは。

かしこまりました。

そうは言ってもネットはバカだらけのSNSや 象気功みたいな くだらん情報しかない場合が多々であるが、天下の週刊朝日が休刊という名の廃刊になって、 これから続々紙媒体はなくなっていくのが当然だろうから、 毎朝夕配達してくる新聞がなくなるのも時間の問題だろう。

おいおい また 話の脈絡が見えないぞ。

時々 こうなるな。

暴飲暴食で体内年齢47歳が いきなり体内年齢56歳になっちまったとはいえ、天下の象師匠も日本国家認定の高齢者であるので脳神経細胞ニューロンの死滅が加速しているということも否めないわけである。

その結果の時間の加速であるのはどう考えても正論である。

誰が正論だ。

まあ それはともかく、どんな状況にも対応して水のように形を変えて生きることが信条の象気功であるから 時の為政者がどうだろうが どうでもいいので 新聞はおまけの洗剤欲しさに 朝日と読売を交互にご愛読していて、 現在は 読売である。

読売で読むのは 植田先生の「コボちゃん」と人生案内とチラシだけである。

朝日の場合は 人生案内がないので石井先生の「ののちゃん」とチラシだけである。

ちなみに夕刊は即古紙扱いである。

だから 新聞を取る意味もないが、朝日と 読売の新聞販売店のおじさんとは どちらも長い付き合いであるので、どちらもやめるわけにもいかないのである。

読売のおじさんの話では うちの近所でも続々と新聞の配達を止めているそうである。

いずれにしても新聞は全て電子版になるだろうし、そのうち 本も紙媒体としては消滅するだろうから、全てが電子版や電子書籍になる時代も遠からず来るだろう。

ご存知の方はご存知の通り 小学生がランドセルに学校から貸与されたパソコンを入れて 重い重いと言いながら歩いている昨今で、そのパソコンには プログラミング教材としてスクラッチが入っていて、子供によっては幼児期から Minecraft に親しんでいて、この先の状況は押して知るべしで、IT後進国の日本も 思いもよらぬ速度で全てがIT化に向けて 怒涛の勢いであれこれしているのはさもありなんである。

さもありなんの使い方が間違っているかどうかはさもありなんとして、それにしても、いやはや あたしら作家にとってはいわゆる「本」という形態が消滅してしまうということは寂しい限りのことである。

誰が作家だ。

作家でなければなんだ ?

ただの くだらん物書き だろう。

それなら 正しい。

だいたい本を読まない人間が本について語るな。

そらそうだ。

しかし 本を読む時間がないのに、こんなくだらんものを書いている時間はあるのかね。

誰が くだらんものだ。

どうも基本的に 本に興味がないのでまともなネタにならんな。

まあ あたしはどうやっても こうやっても人の書いたものを全く読む気にはならんが、それをパクって文章がうまくなりたいという気持ちはとってもある。

あるのかよ。

まあ何事も あたしらアーティストは模倣から入るのが常道であるから、誰がアーティストだ、うるせえよ、できるだけ多くの作品に触れた方が得であるのは言うまでもないことである。

バカ丸出しかよ。

それともお前ははっきりとは言えない何とか失調症かよ。

こらこら それは言うたらあかん。

だから言うとらんがな。

かしこまりました。

つまり 本を読めば当然 あれこれの引き出しが多くなるわけである。

そうは言っても 結局は才能であるから どうあがいても下手なやつは下手だし、あたしみたいな 丸いケーキを三等分できないIQ140の極め付きの境界低知能は 低知能なりの文章しか書けないのは大自然の摂理であるのは言うまでもないことである。

大自然は違うだろ。

昨今 世間のバカの間で大流行りの「親ガチャ」で脳がそうなっているのであるから どうしようもこうしようもないわけである。

この世は何事も諦めが肝心である。

何事もありがたい神様の思し召しであるのでありがたく受け入れて なるようになることを楽しむわけである。

人生というものは 脳も含めた身体という自動運転のバスあるいは電車に乗って、移り変わる風景をお楽しみになるようになっているのである。

本人が意図しようがしまいが、乗り物ごと事故にあってひっくり返る場合もあるわけであるが、それはそれで お楽しみであるわけである。

何言ってるの ?

知らんがな。

ううむ、まったく どうでもいい。

やっぱり そこかよ。

ところで 話の本題はまだかね。

何と言うか Google ドキュメントはやはり Google だけに音声認識 AI も日本語が不自由だな。

まあ それはしょうがないしょうがない。

この世は何事もしょうがないのである。

まあ つまり正中線である。

おいおい いきなり本題かよ。

正中線イコール気功である。

氣の世界における「正中線」とは 身体を上下に貫く軸状の氣道のことである。

もちろん 軸状の氣道が物理的に存在するわけではなく、意識上のことである。

一般的には、頭頂部と会陰とくるぶしの真下を通る線状の意識のことである。

正中線が整うと、「仙骨メソッド」同様に全身のインナーマッスルが活性化し、手足の指先までパワーアップするのである。

当然 腕力、脚力、心肺機能など、生きる上において必要な能力をやらないよりマシの範囲内で向上させることができ、また人によっては格段に向上する場合もある。

さらに、正中線が整うと血流が改善されるので 当然 脳にも良い影響があるということになるわけである。

逆に正中線が整わないと、身体各部に不用意な負荷がかかるため、血流が悪くなり、免疫力や代謝が下がり、筋力・心肺機能も下がり、当然 脳にも宜しくない影響があるわけである。

また、正中線が整うと、意識が下がり精神が安定するのである。

また、正中線が整うと、姿勢が整うので呼吸も深くなり安定するのである。

そんな良いことだらけの正中線を掴むポイントはバランスである。

次回に続く。

ええええええええ?

こりゃ無駄噺ばかりで改稿推敲書き直しが大変だな。

何言ってやがる、いつもじゃねーか。

うるせーよ。

ちゃんちゃん。

ううむ、だめだな。

(2023/09/30)


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