象気功
象気功

本日の御神託


お受験


まあ、なんだ、鎌倉付近に住みたいもんであるなあ。

それでやっぱり職業は小説家だね。

いいよねー、閑静な鎌倉で小説書いて、ときどき行きつけの瀟洒な喫茶店でコーヒー飲むなんてのは、実になんとゆーか情緒があるよね、文学的だよねえ。

それがどこでどうまちがって、アタマにタオル巻いてヘルメットかぶって、夏から秋まで毎日、駐車場や資材置き場や駐車場の土手の草刈りなんだか。


なんで思い入れと違って、優雅に書斎で小説書いてないで、不動産屋と土地を買いあさったりして、ガストでメシ食ったりして、毎日こう忙しくて殺伐としてるんだか、人生ってのはなかなか予定通り思い通りには行かないもんであるのである。

まあ、それで、あたしが高校3年のときに、「これからは武道だと思うんだ」なんていきなり言い始めた友達のサッカー部でヘディングとヘッドバッドが得意のバカに誘われて、歩いてるだけで「てめえガン飛ばしたろ」なんてお申し出が1日1回はある工場街の駅の裏にある空手道場に毎日行って、ボクシングあがりで「ここらは俺のナワだ」だなんて張り切ってるおにーさんと組み手という名の大立ち回りなんかをしてたおかげで、お勉強が手につかず、「ううむ、こりゃあ、なんとかしないと、お受験がどうにもならない」なんて気がついて、「まあ、取り柄といえば国語ぐらいしかないから、まあ、ここはひとつ文学部だな、文学部が何をするところかわからんが、まあ、小説でも読んでりゃいいんだろう」なんてものすごく漠然とした進路選択が決定して、担任の先生に「どこか文学部の推薦はないでしょうか」なんて言ったら、「おお、あるある、ちょうど、あそこの某バカ田大の文学部にうちから1名だけ枠が在る、書類を持ってけ、しかしお前、文学部なんかじゃ先行き就職が無いぞ」なんていわれて、1人じゃ不安なので、友達の野球部と柔道部のバカをつれてその某バカ田大の坂道を延々上がって受付に書類を出したら、受付のおじさんに「え?お宅の高校からはもうすでに推薦が来てますよ」なんて言われて、「ええ~っ、んなアホナ、話がちがう」なんて皆でワイワイ言って、でもらちがあかないので、当時なので受付にあった赤電話で先生に電話して、「推薦枠がもう埋まってるって言ってますよ」っていったら先生が「あ~っ、あいつだ、現国の○島が、自分のクラスのやつを勝手に推薦出しちまったんだ、ごめんごめん、悪かったあああっ」と平謝りであるので、まあ、それ以上文句をいうわけにもいかないので、その話はこのおっちょこちょいの先生のおかげでコントになってしまったのである。


その○島というのはその当時教育評論家としてえっらそーにテレビのワイドショーなんかにも出てた現国の教師で、あたしは吐き気がするぐらい嫌いだったので、答案用紙に落書きしたりして出してたりしたので、あっちもあたしを横目でにらんでる一触即発の関係であったので、まあ、実際にこれ、事前にうちのおっちょこちょいの先生と○島がタイマン張っても、どう考えてもあちらの生徒に軍配が上がるのは理の当然で、どさくさの文学部推薦は最初から無理な話であったわけである。

まあ、それで、そうは言ってもとにかくどこかに行かなけりゃまずかろうということで、文学の次に得意なのは何かとつらつら考えるに、「ああ、そりゃ絵だ」ということで、「絵ならやっぱり芸大だろう」ということで「芸大を受けたい」と先生にいったら、「お前はバカか、お前も知ってる先輩の水泳部のゴリラみたいだった小山田いるだろ、あいつずーっと美術部でもアブラ描いてデッサンして、予備校にもずーっといって、芸大受けてアブラが17位で、それでもバカだったから学科ができなくて落ちて、そのあと浪人して、今、結核で入院してる、お前は毎日ふらふら遊んでてバカ丸出しなのに一生かかっても無理だ、あそこのあのへんにある2流某○美ぐらいにしとけ」というありがたいご意見なので、ご意見どおりにその某2流○美に願書を出すことにして、まあ、アブラなんか描いたことないから、グラフィックデザイン科てのがあるからこれにしようてなことで願書を書いてたら、「寄付金をいくら出すんだ?」という項目があって、たしか1口5万円となってたので、「まあ10口くらい寄付しとけば入れてくれるだろう」てなことで書いて出して、柔道4段空手3段の鬼も悪霊も逃げ出す父親に背負い投げと顔面前蹴りを食らうのを覚悟で「寄付50万」と言ったら、当時の50万であるのでけっこうとんでもない額であるが、これが意外や意外で出してくれるというので、緊張してたのがものすごく拍子抜けした記憶があるのである。


まあ、父親にしてみれば、小学生のころからエロ本読むのが趣味で高校3年の受験時期なのに毎日ふらふら不良といっしょにビリヤードで、勉強してるようすなんか皆目(かいもく)無くて、夜になると空手道場に行って、あとは深夜までテレビ見てるどうしようもないバカ息子が「大学に行く」と言い出したのであるから、学部学科なんかなんでもそりゃひと安心であるわけである。

それで、まあ、とにかく、推薦でなく試験があるので、課題の鉛筆デッサンとデザイン画の練習をしなきゃいけなかろうということで画材屋に行ってなんだかわからないギリシャ彫刻だかなんだかのでかい石膏像とイーゼルとB4の鉛筆とデッサンに使うでかい紙とデザイン画の練習用のなんとかって画用紙とポスターカラーの壜入りのどでかい24色セット、パレット、パレットナイフ、デザイン用の筆、筆洗なんかを買ってきて、とにかくその石膏像を見て鉛筆デッサンを描いて学校の美術の先生に見せたら、「こりゃなかなか形態感がある、お前いけるぞ」というご意見で、「形態感」がなんのことかぜんぜんわからんが、まあ、行けるんならなんでもいいだろうということで気をよくして道具をでかい旅行用のバッグに詰め込んで、受験会場に行ったら、これが、ものすごい状態である。


まあ、最初が鉛筆デッサンなのであるが、あたしは後ろの方の席になって、「うへえ、石膏が遠くて見えねーじゃん」なんて思いながらも、たしか50分ぐらいがタイムリミットであったと思うが、あたしは15分ぐらいですぐ終わって、暇なので前の連中はどんなんかなー?と見てみたら、前の長髪にカラフルな上着のいかにも芸術系というファッションのにーちゃんがでかいデッサン用紙にでかい鉄腕アトムを描いてるのである。

どうみてもギリシャ彫刻ではなく鉄腕アトムである。

それも、基本どおりに紙面を十字に割って、顔にも十字を入れて形を取って描いてるのに、線画の鉄腕アトムである。

「すごいなー、こんなのもいるんだ」

なんて感心して、隣をみたら、こっちはどうみても鉄人28号みたいなのを描いてるのである。


こいつらの眼はいったいどうなってるんだ?とその前のねーちゃんのを見たら猿とび佐助である。

見本のギリシャ彫刻を描いてるものはほとんどいないのである。

後ろの席で暇なのであちこち見て回ったら、8割がわけのわからないものを描いてるのである。

おつむのちょーしが人によって違うとはいえ、見たものを見たとおりに描けない者が大量に某2流○美とはいえ受験に来るのが不思議であるが、実際には8割が本人の思い込みとはかけなれた言いようのない低レベルな感性、技術、才能の持ち主で、あとのすこーしまともな2割ぐらいの間で合否が決まるわけであることがわかったのである。


まあ、当時の某2流○美の正確な競争率は忘れたのであるが、だいたい5人1人ぐらいであったと思うので、この鉄腕アトムを描いてるようなゴミにーちゃんねーちゃんを除くと、実際のところは2人に1人ぐらいの競争率であるのである。

このへんで当時のあたしにも、「寄付金」のからくりが見えてきたのである。

まあ、8割のゴミは対象にならないので、最初から省いて、審査対象の残りの2割は、芸術系であるから、才能なんてのは先行きが実際には誰にもわからないので、「寄付金」の多いものを合格とするわけである。

あたしは心から、「ううむ、某2流○美の受験体制はなかなか正しい体制であるなあ」と感心したのである。


それで、次のデザイン画の課題が「リズムとなんとか」で、これはあたしの予測がずばり的中して、練習してきたものを描いて、学科試験はたしか国語と英語と論文だったかと思うが、得意分野であるので感単にできて、「どうかいなー」と結果を見に行ったら番号があって、「やっぱり寄付金だよなー」なんて思って父親に報告して、入学金と学費と寄付金の大枚を払って、張り切ってキャンパスライフに突入したのであるが、最初の授業が手染め木綿系のファッションのおばさんが出てきて、紙を折って想像上の造形物を数限りなく作れ、つまりわかりやすくいうと折り紙で考えられる限りのものを作れなんてことで、3日通ってあまりのバカバカしさにすぐ行かなくなったのである。

それで、すぐやめたなんて悪霊も死霊も生き霊も裸足で逃げ出す父親に言ったら何をされるか想像もつかないので、我が家の財務省の母親にだけ言って、学校に行ってるふりしてときどきバイトしたりしてずーっとふらふら遊んでたのである。

だからあたしの学歴は実質的には2流某○美グラフィックデザイン科3日で中退である。

もちろん履歴書は高卒である。

ちょっとなげーかな、どれどれ。



Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved プライバシーポリシー Contact
内容の無断転用転載、名称、ロゴマークの無断利用は厳禁