実践実技・労宮5 まあ、なんである、気功法と名のつくものは、虚々実々玉石混交取り混ぜて、効果のあるものないもの、なにがなんだかわからんものものも含めて数万ともいわれるぐらいあるわけである。 その数万ともしれない気功は、大きくざっくりとてきとーいいかげんに分けて方向性が2つあるのである。 しかるに、しかるにって、ははは、まあいいや、とにかくこれはあくまでもあたしの分類、つまり象気功的分類であって、巷(ちまた)に反乱する数多(あまた)の他の老師大師センセーの気功のご本で解説している分類とはぜんぜん違うかもしれないのである。 それで、第1のグループは適度に内部の氣圧を高めて、元気になって、健康や仕事、お勉強、日常生活を軽やかにお過ごしになろうてな、いわば健康気功てな方向性である。 いわゆる動功てなことで括(くく)れる方向性のメソッドがこの範疇である。 ちゅーごくで言う健身気功つーよーな類いの、有名ドコロでは八段錦や五禽戯や易筋経、さらには太極気功や香功や郭林気功てなものも、この方向性である。 太極拳を含めた武術気功や硬功もその範疇に入る方向性である。 さらにひろい意味では日本のラジオ体操なんかも動功の類いである。 第2のグループは自己の体内を意識により「観る」つーよーな内観から始まり、自分とそれ以外を隔てる氣の壁を薄くして、自分と外の世界との境目を無くして、外氣、宇宙に溶け込み、さらには神仏と一体化するてなことをひたすら追い求める方向性である。 それが、瞑想であり禅でありメディテーションであり静功であり智能功である。 まあ、立禅てなことでタントウコウもこの範疇に入るとするご意見もあるが、それを言い出すと、調身・調息・調心てなことが気功の基本原則であるので、あらゆる気功法がその方向性を持っているので話がどーでもいい方向に行ってしまうので、あくまでざっくりとおおまかに分けた場合とゆーコンセプトで話を展開するわけであるのでよろしーか皆さん。 ひたすら身体を緩める放鬆功もそのたぐいであるが、この場合、緩みを追求するリラックスのメソッドということではなく、放鬆功の中でも外部の氣を体内に取り込んだり、外に出したりすることにより、体内を内観し、外部と一体化するという方向性である。 この方向性の副産物として、脳内ホルモンのドーパミン、エンドルフィン、セロトニン、オキシトシンてな、快楽ホルモンが放出されるため、ものすごく気持ちよくなって、それを悟りと勘違いして皆さん三昧の境地なんてえことでハマり込んで、誰とは言わんが、中にはあまりにも気持ちよすぎて洞窟の中でやりすぎて動かなかったため、手足が腐って無くなってしまったなんて伝説の馬鹿丸出しのあのねのねそのねのねもおられて、くそーいかんなどうにもならんがね。 それで、この方向性は宗教と深く関連する場合が多いので、宗教気功てな言い方もされるのである。 一時期、ちゅーごくせーふで政府転覆の宗教活動てなことで問題視されて弾圧の憂き目にあったほーりんこーてな皆さんも智能功のひとつである。 まあ、健康法のうちはだいたいがたいした問題は起きないのであるが、なにごとも神仏が出てくると、ものごとがややこしくなっていろいろ問題が起きてくるわけである。 また、人や樹木など他者との氣の交流により、氣のあれこれをお楽しみになるメソッドのたぐいもこの範疇である。 このような「氣の交流」も氣の壁を薄くするのであるので、自分以外の他者とつながり一体化し、さらにはその延長線上には自分以外のすべての事象つまり宇宙との一体化てな方向性があるのである。 もちろん、その最終目的には前述のもめごとの元締めの神仏との一体化てな妄想幻想幻覚も待ち構えているのである。 それで、この2つ目の氣の壁を薄くする方向性は、うっかりやり過ぎると、まあ、気功では偏差てなことであるが、医学的には電磁波過敏症てなおびょーきになる可能性もないではないのである。 動功や呼吸法もやり過ぎると走火入魔てなことでいーろいろ変調をきたしてあらえらいこっちゃになるので、まあ、何ごとも気持ちのいい範囲内でお楽しみいただきたいのはゆーまでもないことである。 まあ、語弊があることを承知の上で言えば、医療気功てなことで、他者に意念により氣を送って治療する外気ーよーなことも、まあ、この第2の方向性である。 それで、現在、象気功で展開中の念力はもちろん、第2の方向性の範疇に入るのである。 念を送るとその事象・物体とつながり一体化するからである。 念を送るということは一体化するということである。 ううむ、しまった、前置きが長すぎて尺が埋まって本題には入れなかったのねごめんあるよあーた。 さてさて、念力の修行で晴れて偏差地獄走火入魔に落ちるのか、はたまた念力使いとなってテレビ・マスコミに取り上げられて出演料講演料執筆料印税でウハウハの人生を成就するのか、期待と妄想は果てしなく宇宙の彼方銀河の果てへといざなわれ、あなたのおつむはくーるくるである。 いかんな、どうも。 続く。 |
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