象気功

象気功

気功天意

念力



実践実技・労宮2

つーことで、まあ、なんだ、DNAのスイッチの入り具合を多少コントロールできても、それもこれも神の手の内てなことである。

その神の手の内の中でお楽しみなるためのメソッドのひとつが気功である。


気功によるスイッチの入り具合のコントロールは氣道経絡の調整である。

これ、まあ、分かりにくいのであるが、氣道経絡の拡張あるいは狭窄により、体調あるいは健康状態あるいはおつむのちょーしてなものが大きく影響されるのである。


その氣道を操作するツボのひとつの労宮について、さらに解説するのである。

手のひらの真ん中あたりにある労宮は人体で氣を最も感じやすい部位のひとつである。


だから、気功では手が重要なファクターになるわけであるが、実際には労宮のみならず、手全体が重要である。

それでね、そんなこんなで、念力実践実技の第一段階として、どーせなら気功の重要な部位のひとつである労宮にね、「念」を送ってみるわけである。


これは念を通すと言ってもいいのである。

しかし、「氣を送る」あるいは「氣を通す」ということではないのである。

「思い」をその場所つまり部位に「送る」のである。


その部位を「思う」だけでいいのである。

それで、手のひらの労宮に「念」を送ってみるわけであるが、労宮に圧力のような感覚が生じればけっこう毛だらけである。

さらに、手のひらの中央に痺れるような感覚が生じればさらにけっこう毛だらけ猫灰だらけナニのまわりはアレだらけである。


この、圧力、あるいは痺れる感覚というのは、取りも直さずその部位の氣が、送られた念に共鳴してその振動波動の振幅を大きくしているということである。

たとえば、叩いて振動させ音を発生させた音叉を、振動していない音叉に近づけると、その振動していない音叉が共鳴して振動して音を発生させるということに近いのである。


音叉の場合は音として実感できるわけであるが、体内の波動の場合は、それを感覚として捉えられる場合と捉えれない場合があるのである。

まあ、いつも言うことであるが、有り体に言えば、捉えることができる人と捉えることができない人がいるわけである。


これが氣に関する体のレベルといってしまえばそれまでであるが、しかし、この氣に関する感覚を生まれながらに備わってる人は備わっていて、特に氣に関するカリキュラムをこなさなくても、分かる人はわかるし、人によってはいくら氣に関するあれこれのカリキュラムをこなしてもまったくその感覚がわからないという人もいるのである。


その生まれながらに分かる人が、妄想幻覚も含めて勘違いすると、自分は神の遣いだの神のお告げだのと言い出して、その勘違いしたぱーに、ものごとを正しく判断できないほどおつむのコンディションの悪い皆さんが食いつくと、良し悪しは別にしてそこに信仰及び宗教が発生したりするわけである。


このおつむのコンディションてなものは、いわゆるお勉強ができるできないてなこととは無関係で、高学歴のものが、冷静に考えればどう考えてもアホ丸出しのインチキしゅーきょーやセミナーてなものに、こぞってひっかかって、収入の大半をお布施と言う名のもとにドブに投げ捨てているのは周知の通りであるのである。


まあ、しかし、イワシの頭も信心からてなことで、何ごとも信ずるものは救われるであるから、その功罪は一概には云々できないてなことがあるのも事実であるので話がややこしいわけである。


まあ、一度取り込まれるとどーやってもこーやっても正気に戻らなくなってしまうのはご存知の通りである。

まあ、それはそれで気がつくまでのお楽しみといえばお楽しみであるので、お亡くなりになるまで一生気が付かない場合は、それはそれで極楽人生であるかもしれないわけである。


まあ、世界のしゅーきょー団体を真っ向から敵に回す罵詈雑言放言はこれくらいにして、話を元に戻して、この念を送った時に発生する氣の増幅の感覚が念力の存在の証明でもあるのである。


つまり、逆にいうと、氣の波動振動の振幅増幅の感覚を捉えられない皆さんからは念力の証明を得られないということになるわけである。

しかし、得られても得られなくても、氣の波動振動の振幅は増幅しており、それにともない、氣道としての存在でもある、血管、リンパ管、神経組織などには大きな影響があるのである。


毛細血管が拡張し、血行が良くなり、リンパの流れがスムーズになり、体性神経系、自律神経系てな神経組織の働きがともに活性化して、さらには脳も含めた人体60兆の細胞単位で生命体としての身体が活性化するわけである。


さてさて、そんなこんなで、念力の入り口労宮に念を送って、その感覚を得られた人もさっぱりなんのこっちゃの人も、次回は念力の活用実用実利があるのかないのか、その方法秘法はいかなるものか、とことん思う存分腹一杯にさらに掘り下げほじくるのである。

続く。


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