象気功
象気功

本日の御神託


悩みと欲


やっぱりなんつーのか、世界屈指最強最大稀代の大天才霊能者象師匠とはいえ、あたしも神ならぬ身の人間であるので、ときにはお悩みになることもあるのである。

まあ、あたしの場合は現世の餓鬼地獄を彷徨する衆生を救うべく神に遣わされた神選霊能グルメレポーターとしての仕事柄、たいていは今日の昼飯はなんにしようかてな食いもんの悩みであるのである。

この悩みてなものがどこから発生するかというと、これ、欲から発生するのである。


あたしの場合は食い意地が張ってるので主に食いもんの悩みであるのであるが、これはもちろん食欲という欲であるのである。

つまり、あたしは食欲から日々意地汚くあちこちのレストラン、食堂、そば屋、ラーメン屋、喫茶店なんかを物色して、さらにメニューを見て「ううう」とお悩みになるわけである。

より美味いものを求めて、いーろいろあれでもないこれでもないもっと美味いもんはないか今日のまいうーファイナルアンサーはどれだあそこかここかそれともあのへんかいやんそこよそこそこそこがいいのようふんと命がけで死ぬほど悩んで、結局のところいつものファミレスをぐるぐる回ったりしてるわけである。

まあ、あたしの尽きぬ食欲の悩みはひとまず置いといて、世間様に蔓延するもう一つの悩みの主流は恋愛の悩みである。


つまり惚れた腫れたであるのである。

惚れた腫れたは「惚れた」の後に「~れた」のついた「腫れた」を付けることで語呂をよくした言葉である。

親切な一口知識はともかく、この惚れた腫れたで悩むのは女性に多いのであるが、ときにはごつい男がこれでへこんで見る影もなくやつれて憔悴したりするのである。

それで、ご存知のように、これで周囲の事情でどうしてもその恋愛が成就できなくて、激烈にお悩みなって、お一人あるいはお二人で手足を縛ってポケットに石を詰め込んで錘(おもり)にして海や川にお入りなったり、断崖やビルからゴムひも付けずにバンジージャンプなさったり、首に縄やひもを結んで椅子を蹴っ飛ばしてみたり、お車の窓にガムテープなんかで目張りして練炭焚いたりと、いーろいろ工夫なさって黄泉の国の旅路にご出発なされる人もけっこうおられるのである。


それが小説や芝居や映画の題材になったりして、あたし達を楽しませてくれるわけであるが、これ、周囲にはお楽しみでも本人たちにとってはシャレにならないぐらいお悩みになるのである。

まあ、てなことで大仰にラブロマンスだの大恋愛だの悲恋だの失恋だの破局だのと大騒ぎしても、その根本をたどると男女に限らず、つまり「やりたい」つーことであるのである。

象の大神様のお告げはあいかわらずミもフタもないのである。

これはもちろんいわゆる種の保存存続の本能である性欲という欲から発しているわけである。

続いてお悩みになるのがお金である。

金欠で生活が苦しい、借金でクビが回らない、もっといい暮らしがしたい、家が欲しい、車が欲しい、キャバにいきたい、デリを呼びたい、なんでもいいからとにかくお金が欲しいてなことで、日本中の大半の人がお金でいろいろお悩みになってるわけである。


これはもちろん金欲という欲であるのである。

ところが、たまさかに商売がうまくいったりして、お金がガッポガッポ入ってくると、これが、なんだかしらんが、市区町村議選挙だの市区町村長選挙だのにご出馬なさる人があたしの周囲にもおられるのである。

これが名誉欲という欲であるのである。

それで大枚をお遣いになって、みごとに落選なさったりしてたいていは一回で懲りるのであるが、中には懲りずに何度でも大枚をお遣いになって商売も家も傾いたりする名誉欲バカ丸出しの人もおられるのである。

これが、女性であると、少しでも綺麗に見られたい羨(うらや)ましがられたいてなことで、宝石や華美な衣装、ブランド品、高額なエステや美容整形などにご執心邁進なされることになるわけである。

まあ、たとえばお子さんをいい学校に入れたいなんてのも、親子ともども学歴自慢したいてなことを元にした名誉欲のたぐいであるわけである。


まあ、学歴は名誉欲だけではなく、その後の社会生活における地位、収入、結婚などに大きな影響を与えるので、金欲、性欲から食欲にまで、いろいろな欲を含んだ欲といえるわけである。

そのことでいーろいろ塾に通ったり家庭教師をつけたり睡眠を削って死にものぐるいでお勉強したり、自分に似ておつむのちょーしがあまりよろしくないわが子に無理やりお勉強させたりと、体力経済力を駆使して親子ともどもお苦しみお悩みになるわけである。

まあ、さらに悩みの代表といえば健康であるのである。

これはさらにあらゆる悩みを包括した悩みであるのである。

つまりあらゆる欲を包括した欲ということであるわけである。

いわば健康欲という欲であるのである。


なにしろ、他のどんな欲も生命維持があって始めて人生の土俵に乗るわけである。

生命維持が危うい状態では、金欲も性欲も食欲も名誉欲もあったもんではないのである。

つまり、生命維持があって、始めてその他のお悩みを悩むことができるわけである。

重篤なお病気を抱えて明日の命も知れず息も絶え絶えの状態では、食欲も性欲も金欲も名誉意欲もあったもんじゃないのである。

お病気がなくて生命維持が良好な状態が健康ということであるのである。

言い方を変えると、お病気を治したい、お病気になりたくないてな欲であるわけである。


さらに言い換えるとお病気の悩みということであるわけである。

まあ、食欲、性欲と並ぶ人間の三大欲求のひとつである睡眠欲なんかもこの健康欲に含まれるわけであるのである。

それでは欲のインフラ根本の健康欲さえ満たされれば他の悩みはどーでもいいかとゆーと、これがそーでもないところに人間の果てしない欲の業があるわけである。

美味いものがあればより美味いものを求め、いい女いい男がいればよりいい女いい男を求め、お金があればさらにお金を求め、偉くなればさらに高い地位を求め、美しければさらに美しさを求め、健康であればさらに健康を求め、その欲はとどまるところを知らず、そのために悩みは尽きることがないのである。


ある程度で満足して足ることを知ればおのずと悩みは減るのであるが、人間つーものは足ることを知らないようにできているのである。

足ることを知らないということが生きとし生けるもの生命体の特徴であり宿命であるのである。

足ることを知らないから進化するわけである。

だから、生きている限り、つまり生命維持ができている限り、欲は尽きず悩みも尽きないわけである。

てなことで、今日もあたしは果てしなく尽きぬ食欲からくる悩みにより、グルメ街道地獄道を餓鬼修羅と化して彷徨徘徊するわけである。

ううむ、今日はなんだか知らんが、ギョーザでメシ食いたいから昼飯は某王将かな。

たいして悩まない日もあるのである。


Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved プライバシーポリシー Contact