象気功

象気功奥義
氣をつかむ

神氣の通り道2


まあ、たとえば、気功の経験がないものでも、「氣」を出すということはできるのである。

自分の身体あるいは霊体を、神とこの世をつなぐ連絡口、あるいは「神の氣」を通す「管」あるいは「チューブ」あるいは「媒体」であるという意識を持てば、「氣」を出すことはできるのである。


これが「神氣の通り道」ということであるのである。

自分の氣を出そうと思うと、気功の経験がないものや、「氣」がわからないものにはなかなか困難なことである。


「氣」はいったいどこから出るのか、どこから出すのか、どんな状態が出ている状態なのか、なにがなんだかわからないのであるから、出しようもないわけである。


たとえば「氣を出すには丹田に意識を落とす」なんてことをさもありがたそうにのたまわれるセンセイが多々おられるわけであるが、どこが丹田やらわからないものには、丹田に氣を落としても、別に普段よりも氣が出てるなんて実感はあまりないし、実際にたいして変化もないのである。


しかし、これが、自分の身体が神の国からの「神の氣」をこの世に送り出す媒体としての管(くだ)であるという意識があれば、神が体内に宿り、それが即ち「神の社(やしろ)」であり、氣道は開き、それは意識により外にも内にも怒涛の「神気」の波動が溢れ(あふれ)出すことになるのである。


内に溢れ出すというのは、全身の60兆の細胞にその「氣」が送り込まれ、乾いた細胞を「氣」で潤(うるお)し、その細胞にみずみずしく活き活きとした本来の機能を蘇(よみが)えらせるということである。


また、外に出すというのは、たとえばものすごく元気で、いわゆるオーラが溢(あふ)れ出ているような人の傍(そば)に寄るだけで、自分もなんとなく元気になったり、高揚して気持ちがいい、てな経験をした方も多々おられると思うが、まあ、簡単に言うとこのことであるのである。


元気で状態のよろしい「氣」が外に溢れ出して、周囲の人にも感応させるということであるのである。

まあ、人によっては、その元気な人の「氣」の波動が自分の波動と合わなくて、逆に不快になるなんて場合もあるわけであるが、いずれにしても人の発する「氣」により自分の細胞が影響を受けているわけである。


この「氣」の人体に対する影響を解説すると、この波動の違いを「邪氣」であるなんて言い張ってご商売になっておられる治療師や教祖の皆さんも多々おられるので、まあ、それに乗せられたおっちょこちょいの皆さんが「邪氣で病気になる」なんて必ず大騒ぎになるわけであるのでめんどくさいのである。


たとえば、癌(がん)の邪氣を受けて癌になるなら、日本の癌研の医師も看護師も全滅して死に絶えて、さらに世界中の癌の研究者も絶滅して、癌病棟、癌研究組織は機能しなくなって、地球規模の大問題になるはずであるが、別にそんな気配は微塵もなくて、医師も看護師も癌の末期のものすごい「邪気」であるはずの「氣」を毎日これでもかと受けても、さらに元気にパワフルに研究に治療に看護に大活躍大奮闘であるのである。


それをいうと、必ず「癌研」の医師は通常の仕事の人より、癌になる率が高いなんてことをいうパ~がいるのであるが、これ、人の命を預かる医師は普通の仕事の人よりも各段に厳しくものすごい仕事量で、当然ものすごいストレスであるので、当然その影響は身体、細胞に影響があり、さらに癌研は激務であるので、そのことの方が問題であって、癌患者の邪氣の影響でどうのこうのてなことではぜんぜんないということをおっちょこちょいの皆さんはよーくご理解いただきたい。


「邪氣」も「氣」のうちと考えれば、総ての「氣」は「神氣」となるのである。

この世もあの世も、あなたの頭蓋骨の中に鎮座ましましておられる脳のちょーしで脳内ホルモンの放出の具合が決まり、それにより造り出されている幻想幻影であるのであるから、その事象の総てがDNAの範囲内であなたの思い込みしだいであるということをよーく理解して、その受ける「氣」が「神氣」になるも「邪氣」になるもあなたしだいであるわけであるということをご理解いただきたいわけである。


まあ、それはともかく、この「神の社」による「氣」のご利益を経験上理解した、一部の宗教者や教祖が、「奇跡」という名のご商売に勢を出したりするわけであるが、まあ、件(くだん)の事情で、いわゆるプラシーボ効果もあるので、あながち嘘ばかりでもないわけである。


しかし、これは、その「神の社(やしろ)」となったものから、生命の水である「氣」が溢れ出すということであって、それは、それを受けたもの身体の細胞を潤(うるお)して、細胞の本来の機能を蘇らせるということであって、それで、神がかりな、いわゆる魔法まがいの「奇跡」を起こすということではないのである。


たとえば、DNAにより、細胞の遺伝子の組成自体に問題がある場合は、その「神の社(やしろ)」となったものから、「神の氣」を受けても、機能自体に問題があるわけであるから、その疾病、障害等がいきなり解消されるということではないのである。


だから、「どんな病気も治る」なんて言い張る治療師、教祖、グル、センセイ等に出くわしたら、しろーとの皆さんは、とりあえず眉に唾(つば)をたーくさんつけて、べとべとにしてから、できれば退散した方が無難である。


つまり、「氣」は細胞を潤すいわば「神の水」であって、それによって、潤された細胞はDNAの範囲内の本来の機能を取り戻す方向性に向かうということである。


「取り戻す方向性に向かう」ということであって、それ以上になるということでもないし、まして魔法のような神がかりなことが起きるということではないのである。


まあ、たとえば自分の家族や自分自身が癌(がん)であれば、怪しい氣の治療や祈祷、お祓い、呪術、占術、くだらない御託宣等に頼るのでは無く、当たり前であるが、癌の専門医の診断、治療を受け、その専門医の指示に従い、それから、自然治癒力強化ということで自分で自分自身を「神氣の通り道」とし、「神の社」とすることであるのである。


それでだめなら、人生は「諦め」が肝心であるのである。

何をやっても死ぬときゃ死ぬし、何をししなくても助かるときゃ助かるのである。


うちの近所の70過ぎのおじいさんが、肺がんになって、あと6ヶ月だとか言ってたのであるが、インフルエンザにかかって、40度の高熱が出たら、肺がんがすっかり治ったそうで、現在もゲートボールや庭の畑仕事や植木の手入れをせっせとしているのである。


あたしの高齢の祖母も肺がんになって、あと保って1年ぐらいだろうなんて言われて、もう、どう考えてもだめだし、どうせ高齢で死んじまうんだから「どうですか」と某医大病院の医師に言われて、その当時副作用で7000人が死んだとかで問題になってたイレッサだかなんだかってな抗がん剤を使ったら、ある日、けっけっ、げほげほと咳(せき)をして、そしたら血痰といっしょに肺の組織みたいなもんが出て、それで、肺がんが全快して、今でも毎日2時間、猛暑だろうがなんだろうが100坪の家庭菜園で草むしったり、水を撒いたりしてるのである。


これ、ほんとなんですから。

同じ抗がん剤の副作用で死んじまうのと、全快して猛暑に草をむしってるのとはえらい違いである。

なにごとも、神の思い付きとしか思えない身勝手な采配で、なるべくしてなり、ならないべくしてならないのである。

続く。

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