象気功

本日の御神託



氣の原理


まあ、2年ほど前の話であるが、某ちゅーごくでは、手も触れずに氣で人を飛ばしてる動画で有名になった經梧太極大師てなふれ込みのいえんふぉんさんつー発音のお名前の經梧太極拳流派八段のおばちゃんが、姿勢も構えもできていないし、あんな動画で宣伝して太極拳を穢した妖魔だインチキだということで流派から破門されたのである。


実はこれ、このおばちゃんがあまりにも有名になり過ぎて商売繁盛になって、それをやっかんだ同流派他流派の老師大師センセーにディスられて、それに乗っかったテレビ番組のレポーターが検証に行ったらば、そのレポーターのお兄さんを飛ばすことも動かすこともできなかったので、「ほらみろインチキだ妖魔だ」つーことで、流派を破門となり、太極拳の恥だ国の恥だつーことで詐欺師扱いとなったのである。


某ちゅーごくでは昨今、気功が復権して、老師大師を名乗る手品まがいのインチキ気功師が乱立して、その類いの詐欺師といっしょくたにされたわけである。

しかし、このおばちゃんが弟子を飛ばしたりしてる程度の現象は、べつに魔法でも手品でもなくて、ご存知の方はご存知の通り、太極拳や気功をやってるとごく当たり前に起こる現象であるのである。


反面、受ける側は、いくらやってもまったくそうはならない人も多々おられるのである。

もちろん、氣を受けて飛び跳ねる人が気功的に優れていて、飛び跳ねない人が劣っているということではないのである。


氣に対する受信能力があるかどうかということであるのである。

ところが、これを、格闘技として太極拳や中国武術あるいは合気道などを追及していくと、どうしても技や動きや型・姿勢・身体の使い方などにこだわって、氣がつかめないので、中国武術の老師大師てな大センセー大家でも「氣」を理解できない人は多々おられるのである。


格闘技であるから、当然、技や力で相手を制することに重要性を置くので、「氣」それ自体は2次的な要素となるからである。

氣をつかむことに関しては、技も型も姿勢も力も関係ないのである。


たとえば氣の大家といわれる鄭曼青や黄性賢などの楊家太極拳をルーツとする大センセーの型や動きは、姿勢も構えも、ものすごくいいかげんに見えるのであるが、あたしにはものすごく道理にかなった動きに見えるのである。

逆に、現在の、体操の床運動のような美しい演舞を披露する太極拳の競技会の世界チャンピオンが、必ずしも氣をつかんでいるということではないのである。


それどころか、競技として太極拳を追及する選手たちは、まったく氣が分からない人も多々おられるのである。

中にはこのおばちゃんに試合を申し込んだてな、とんちんかんな中国武術のセンセーもいたそうであるが、誰が見ても、このおばちゃんが格闘家として強いわけはないのである。


ただの氣が出るおばちゃんであるのである。

氣は情報であるので、相手にその受信能力がない場合は、それが伝わらないのである。

だから、情報を共有しているお弟子さんは飛ばせても、一般のシロートさんは飛ばせないのである。


これは、日本でもゆーちゅーぶで合気達人と称するご老人が若い格闘家にタコ殴りにされて鼻血を出して病院送りにされたりしてる動画で大笑いされてるのであるが、これもご老人の勘違いであるのである。

このご老人がお弟子さんを某大槻ケンヂ氏命名のいーとーまきまき攻撃で手も触れずに次々と投げ飛ばすのは嘘ではないのである。


しかし、氣の受信能力のあるお弟子さんには通用しても、氣のわからない格闘家のおにーさんには、その情報はまったく伝わらないので、思いっきりボコボコと殴られたわけである。

前述のちゅーごくの氣功大師のおばちゃんも、若い時から弟子を氣で飛ばしていたのは嘘ではないのである。


しかし、それは情報を共有する弟子には通用しても、まったく氣感もなにもない、氣に関するシロートさんであるレポーターのおにーさんには通用しないのである。

極端にいえば、このおばちゃんはケンカや力比べでは、そのへんの中学生にも対抗できないのである。


あたりまえである。

氣が出ることを除けば、ただのおばちゃんであるからである。

だから、気功法の類いで強くなろうとするのは間違いであるのである。


それは氣の世界の中で強いというだけの話で、格闘技として強いということではないのである。

格闘技として強くなることを望むのであれば、空手やボクシングや柔道をやった方が確実に強くなれるのである。


名前は差し障りがあるので控えるが、あたしの気功関係の知人の少林寺拳法の大センセイが、「氣のわかる相手は氣で飛ばせるが、氣がわからない相手はそのままドーンと来てしまうので、技で裁かなければならない」つーことをおっしゃってたのであるが、あたしもまったく同感であるのである。


つまり、気功法としての氣の強さと、格闘技としての強さを云々するのは、まったく無意味であるのである。

それでもシロートさんをどーしても気功法で飛ばしたいなんて場合には、その相手にあらかじめ氣の感受性を植えこめばいいのである。


植えこむ時間は人によって違うが、相手にその気があれば、数分あるいは数秒で済むこともあるのである。

でも、相手にその気がなければ何時間あるいは何日かかっても無理な場合もあるのである。

また、相手に氣を受ける素養がない場合は、何をやっても無理な場合もあるのである。


とにもかくにも、これは、氣によって「つながる」ということでもあるのである。

つまり氣よって一体となり情報を共有するということであるのである。


氣でつながった場合は、氣道の太い方、つまり氣の強い方が、氣による情報を送り込んで、弱い方に影響を与え操作することができるのである。

これが、氣で人が飛ぶ原理であり、気功治療の原理であるのである。


この情報は波動つまり電磁波の類いによって共有されるので、空間も距離も関係ないのである。

これは「類い」であって、電磁波そのものではないのであるが、たとえば日本から地球の裏側のブラジルの人とタイムラグなく「瞬時」に共有することも可能であるのである。

だから、氣による遠隔治療だの遠隔操作だのというのも当たり前のことであるので、べつに取り立てて大騒ぎで言い張ることでもないのである。

完。

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