◆氣道の太さと氣の量 人間の個体別の氣の量の差とゆーものは、氣道の太さによるのである。 氣道が太ければ、必然的にその人の持つ総体的な氣の量は多くなり、氣が溢れ出すわけである。 ここね、ここが大事であるのである。 気功、太極拳、ヨーガ、瞑想、禅、神道、密教、仙道術、道教てな氣に関するメソッドの全ては、この氣道を太くするということに集約されるのである。 氣道の太さ如何が、人生の良否の如何に深く関わるからであるのである。 氣道の太さが、人間の健康状態を左右し、さらには人生のスケールの大きさまでも左右するのである。 このことが理解できると、氣に関するあらゆるメソッドの理由がわかるのである。 氣道を常に意識して、氣に関するメソッドを行うと、効率的に氣道の太さを増して、氣を高めることができるのである。 いうまでもなく、人間の身体には血管や神経組織が張り巡らされて、生命活動を営んでいるわけである。 その血管や神経組織は、氣道と連動しているのである。 毛細血管や神経組織の末端まで、微細な氣道が隙間なく絡みついているとイメージすると分かりやすいかもしれないのである。 まあ、ナディの中心であるスシュムナー・イダ・ピンガラや、経絡の任脈督脈といった、血管で言えば大動脈にあたる太い氣道から枝分かれした毛細血管よりも微細な氣道が、身体の全組織に張り巡らされて、いわば人体60兆の細胞と連動しているのである。 その血管や神経組織は意識でコントロールできないが、氣道は意識や動作あるいは意念によりコントロールできるのである。 気功法等のメソッドにより、氣道の閉塞している部位を開くと、毛細血管が開き、体の隅々まで血液が運ばれ、酸素・栄養素が行き渡り、健康状態が良くなり、必然的におつむの働きもよくなり、人生は好転するわけである。 しかし、いくら氣道が太くて氣が溢れ、毛細血管が開いて血流血行が良くても、たとえば、食い過ぎれば肥満、高脂血症、高血圧、糖尿病、動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞てなことになるのは当たり前であるし、喫煙すればがんになるリスクは高まり、過度に飲酒をすれば肝機能を損ない、人生が暗転するのはいうまでもないことであるのである。 まあ、健康状態を維持するには、氣道の太さうんぬん以前に、当たり前のことを当たり前にすればいいのであるが、これが、わかっちゃいるけどやめられないという、人間本来のぐーたら根性が邪魔をして、気功の大先生が肥満やお病気で苦しんだりしてるわけである。 まあ、それはともかく、きちんと当たり前の生活をしているのに、虚弱で気力もなく人生がいまひとつ好転しないという人は、気功法の類いのメソッドを根気よくこなすと、確実に氣道が太くなり、閉塞していたところが開き、血行血流が改善し、神経細胞にまで十分に栄養が運ばれて、治らなかった持病が治ったり、体力、気力、知力が増して、人生が好転する可能性があるわけである。 ところが、この気功法の類いのメソッドは、効果が出るまでに、とんでもないぐらい時間がかかるのである。 大陸文化の悠久の時間をインフラとして理解しないと、島国根性のせせこましい日常に慣らされたあたしら日本人にはやってらんない方法であるのである。 たとえば、タントウコウにしても、毎日、数時間も、何も考えずにバカずらして、たーだ立ってるだけというメソッドを、数年間、数十年間に渡って行うというのは、あたしみたいな短気な江戸っ子には拷問みたいなもんであるのである。 まあ、とにかく即効的な効果はないのであるから、象気功お得意のやらないよりはやった方がいいつーよーな、ゆったりとした感覚を持って、毎日、短時間でもいいから、メソッドを継続することであるのである。 氣に関するメソッドは、急激な変化は起きないのであるが、1年やれば1年の効果があり、10年やれば10年の効果があるのである。 その日にやってその日に何かの効果があるてなものではないということを、よーく理解しないといけないわけであるのである。 淡々と地道に一生に渡って継続するということを念頭において、日々の生活の一部としなければならないのである。 個々の人間が本来持っている基本的な氣道の太さは、もちろん親から受け継がれたものである。 あなたのご両親が、氣道が細くて虚弱でスケールの小さい人間であれば、誕生後の家庭内の環境による脳神経細胞ニューロンスパインシナプスの組成も含めて、あなたは親と同様に氣道が細くて氣の量も密度も低い、虚弱でスケールの小さい人間になるのである。 それを、なんとかしようというのが気功法の類いのメソッドであるのであるが、前述のように、これが、なーかなか思うように目立った効果が表れないので、諦めてしまう人も多いのである。 そんなに簡単に氣道の太さが変わって個々の人生が激変しては、宇宙の仕組み魂魄の組み立てがわやくちゃになってしまうので、そう簡単には変わらないようにできているのである。 さて、その実践法であるが、たとえば、太極拳を行うときに感じる大氣の圧力を、体内の氣道内の圧力に連動させるのである。 つまり、太極拳の動作あるいは意識において、手や体に感じる大氣の圧力を、常に体内の氣道の圧力として感じながら行うということであるのである。 気功法においては手が重要な役割を果たすわけであるが、その手に感ずる大氣の圧力は、とりもなおさず体内の氣道の圧力であるということを理解しなければならないのである。 まあ、あたしは体内の氣道を認識でき、気功法で氣道に圧力をかけて、さらには氣を通して開くことができるのであるが、閉じてるところ締まってるところ閉塞しているところは、なーかなか開かないのである。 それでも、根気よく、そこに圧力をかけ、さらには氣を通していくと、それまでよりは確実に開いて、身体のあちこちの調子が改善されてくるのである。 身体のあちこちの調子が良くなれば、当然、脳の調子もよくなり、それまでできなかったことができるようになり、対処できなかったことが対処できるようになり、危機が危機でなくなり、必然的に運気は上昇するのである。 これに習熟して、たまさかに、それまで閉塞していた氣道が開くと、身体が激変するのを実感できるのである。 身体が激変するということは、精神状態も激変するということであるのである。 たとえば、禅、瞑想、メディテーション、静功等の、一見、精神状態をコントロールすると思われるメソッドも、実は、氣道を開いて、身体を変えることに重点が置かれたメソッドであるのである。 もちろん、言霊、真言、マントラ等も同様であるのである。 身体が変わると精神状態も変わるのである。 身体が変わると心が変わるのである。 つまり、精神状態も含めた人体の根幹は氣道にあるともいえるわけである。 完。 |