健康象源法




リンク
本日の御神託
経済象源論
霊能新聞
象さんのご飯
象さんの犬猫写真ブログ
霊気神気を受ける動画
神の写真



過ぎたるは及ばざるが如し


まあ、なんだ、そのね、あのね、あのねのねー、ううう、いつものネタにはまりこんで、さてさて、ううむ。

まあ、以前に何かの折にネタにしたこともあると思うのであるが、あたしの知人で酒もおたばこもお金も女性も大好きな僧侶が大変商売上手で、寺墓地販売も大盛況で、霊園業者に名義貸しをしてそこにも分院を作って、境内に巨大な観音様なんかを建立なさって気力体力満々で人生絶好調の勢いで、息子も僧侶になって、さあ、跡継ぎもできて順風満帆これからさらに商売に励もうなんてときに脳梗塞におなりになって、歩くのもやっとで、人に名前を呼ばれて後ろを向くと倒れるというような、おちおち立ってもいられないような状態になって言うことには、

「あのね、こんな私がいうのもなんですが、人間、お金じゃありません、ホントに健康が何より大事なんです」

つーことである。

まあ、実話であるのでご本人には笑える話ではないのであるが、これは健康を損なって初めて健康が第一ということがわかるというわかりやすい例であるのである。

まあ、これ、健康な人間は誰でも、空気があるのは当たり前であるのと同様な感覚で、健康は永遠に当たり前にあると錯覚しているわけである。

ところが、健康の激変てなものは人生も体調も快調絶好調のときに「どうもー」とやってくるのである。

健康てなもんは、いってみればまったく油断もすきもないやっかいもんであるのである。

だから、体調絶好調のときにも食いたい放題飲みたい放題やりたい放題てな油断丸出しでいると、いつなんどき不健康地獄に落ちるかわかったもんじゃないつーことであるわけである。

いや、これ、べつにあたしの日常生活を揶揄してるつーわけではないのであるが、ううむ、自分を揶揄ってのは変か、まあいいや。

人生をできるだけ快調に過ごすには、健康を損なう健康阻害要素をできるだけ取り除いて行かければならないのである。

これ、取り除くのであって、付け足すのではないのである。

だいたいが、現代人は多過ぎるわけである。

この多すぎる生活の総てを適度つー範囲内に収めるてなコンセプトで生活することを心がけるのが健康の王道であるのである。

食い過ぎず、飲み過ぎず、動き過ぎず、働き過ぎず、頭を使い過ぎず、ナニをやり過ぎず、なんでも70%か80%程度に収めるようにすれば、人生はだいたい快調に過ごすことができるのである。

つまりこれ、「足ることを知る」ということであるわけである。

ところが、これがね、だいたいがやり過ぎてしまうのである。

足ることを知らないわけである。

70%か80%程度でいいのに、100%どころか120%130%以上の勢いでやってしまうのが人間の欲の面白いところであるのである。

食欲も金欲も性欲も、とにかく飽くなき追求で、200%300%を目指そうとするのである。

まあ、端的な例が食欲である。

たいていの人は日々の食事の満足感というのは「腹いっぱい」ということである。

つまり満腹してはじめて食欲が満たされるわけである。

この「腹いっぱい」が、困ったことに、だいたいが100%ではなく、120%130%で、さらに甘味を食べたりして150%200%、人によっては300%500%てなとんでもない摂取カロリーになったりするのである。

だから、あいも変わらずチマタ世間現し世この世ではダイエット産業が大盛況花盛りであるわけである。

これが、すべての人が満腹感の70~80%で満足すれば、ダイエット産業は全滅してしまうので、そうはならないところがこの世の面白さであるのである。

先進国代表の某米国なんかではこの食欲が抑えられなくて、国民の3割以上が肥満という、肥満大国なんてお名前まで付けられているぐらい、国としてのどうしたらよかんべかねーつーよーな社会問題になってるのである。

まあ、この元になる100%は人によって違うので基準はないわけであるが、DNAのスイッチの入り具合によりその人に備わった機能、能力の100%つーことであるのである。

まあ、たとえば、筋力を鍛えるにしても、これ、100%で毎日トレーニングしたら、その回復力を超えて、逆に筋肉が萎縮してしまうのはご存知の通りであるのである。

週に2回か3回程度、70~80%程度の負荷をかけてやると効率良く筋肥大につながり立派な筋肉ができあがるわけである。

健康法ということで走るのであれば、むやみやたらと大汗かいて息も絶え絶えに走りまくっても逆効効果であるのである。

脈拍が90~110程度になる、らくーな程度のジョギングを20分以上、定期的に行うと毛細血管が効率良く育って体力がつくのである。

まあ、これ、健康法としてのジョギングであって、スポーツ、競技としての能力向上という目的とは別問題であるのは言うまでもないことであるのである。

まあ、これが、食欲や運動に限らず、人生の総ての事象にあてはまって、やり過ぎて良いことは全く無いので、「過ぎたるは及ばざるが如し」なんて、孔子の論語を由来とする秀逸な格言もあるわけである。

つまり、これが象気功の中核本質主要タームでもある「中庸」ということであるわけである。

すべからく中庸をもって良とすることがあなたの人生をよろしい方向に向けるわけである。

そうは言っても、すべからくわかっちゃいるけどやめられないのが人生であるのである。

てな、いつものオチでどうかね、ひとつ。

(2012/12/13)



Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved 無断転用転載厳禁 プライバシーポリシー Contact