経済象源論



金運象源論2


まあ、ときどき話題にするあたしの友人で某赤門お東大をご卒業なさって某大銀行のアメリカ支社長をなさっていたゲーハーおやじは、某大地主の長女とご結婚なされて、養子状態でその家督を継いで、弟に故郷の実家を継がせていたのであるが、その弟さんが先日お亡くなりなられて、お母様を東京に引き取って、施設に入院させていたらば、そのお母様も亡くなられなさったので、その実家の遺産も全部相続したそうである。

その今回相続した遺産と、アメリカ支社長時代の数千万の年収と在外手当ての蓄積と、さらに退職金が億を超えて、さらに、その奥さんの家の莫大な資産も含めると、まあ、いったいどのくらいの資産なのかさすがのあたしも見当もつかない大金持ちになられたわけである。

それで、もちろん年金暮らしであるわけであるが、なにしろ現役時代が高給であるから、その額もそれなりで、退職後の現在もあたしたち能無し庶民には考えの及ばない年収であるわけである。

この、年金というのは老後の生活を保障して、誰にでも平等にくれるのかというと、とんでもはっぷんあるいてじゅっぷんであるのである。

まあ、歩いてじゅっぷんがどのくらいの距離なのかは体力、足の長さによって違うわけであるが、まあ、じゅっぷんであるわけである。



大企業でトップを歩くと、まあ、当然上限はあっても、その受け取る年金額は大変多くなられるのである。

いったい、この金運はどこからどないして何が何してどうなるのかということを解説するわけである。

まあ、これ、いつもいうように、この手の御仁は例外なく悠揚迫らぬ大丹田であるのである。

まあ、この象気功はこの大丹田を造るためのメソッドでもあるわけであるが、まあ、そんなに簡単に大丹田を造られては、神サマの面子もなにもあったもんではないので、そうは問屋が卸さないように周到に神サマはこの世あの世をお造りになられているわけである。

しかし、勘違いしてはいけないのは、大丹田が必ずしも大金運ということではないのである。

大金運の持ち主が大丹田であるということであって、大丹田でも、おつむのちょーしがお悪くてひじょーにおびんぼー人であるということはものすごくあるのである。

大金運イコール大丹田であるが、大丹田イコール大金運ではないということであるのである。

ここのところをよーくなんども咀嚼して解釈していただきたいわけである。

金運にはおつむのちょーしや身体的能力なんかも大変重要であるのは当然であるのである。

しかし、極小丹田で、いじいじめそめそうじうじぐずぐずちまちまこそこそとどーでもいいことにこだわって、日々うらみつらみねたみそねみに終始している御仁の金運の気道はおつむのちょーし、身体的能力の如何に関わらすどんどんお閉じになっているわけである。

また、言い方を変えると、金運というのは、金の流れということであるのである。

金は流れるものであるのである。

流れが止まると、入ってこないのである。

この流れを作るのが大丹田であるのであるから、つまり、丹田が大きいということは、その入り口が大きいということでもあるわけである。

入り口が大きいということは、出口も大きいわけであるので、出るものも出て行くわけである。

大河の流れに似たものがあるわけである。

当然、うまく流れればその水は満々と溢れ流れるわけである。

しかし、おつむのちょーしが悪いとその流れのコントロールが効かなくて、流れが淀んだり、堤防が決壊したりして、金運に結びつかないわけである。

さてその金の流れを作る大丹田を造るにはいったいどーすればいいかということは、象気功本編にそのヒントをこれでもかと公開しておりますので、それをお読みいただいて、実践、継続していただければいいわけであるが、たとえそれを読んでもこんなものをまじめに一生にわたって継続して真剣にやるものがいるとはとても思えないので、やっぱり、神サマの絶妙の采配によるDNAの思し召ししだいであるわけである。

まあ、それで、そのメソッドをこれでもかと総てを捨てて一生にわたって、実践、継続しても、おつむのちょーしが今ひとつふたつみっつであれば、金運はわやとなるわけであるので、まあ、人生は諦めが肝心であるわけである。




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