象気功
象気功

本日の御神託


冠婚葬祭禅


いやはや、さてさて、ううむ、親戚の葬儀で4日も忙殺されて、久々の更新である。

まあ、我が家は総本家であるので、これが、ご近所を含めて、冠婚葬祭のお付き合いがとんでもない数で、年がら年中、葬式と法事と結婚式のぐるぐる周りであるのである。

親戚の葬儀の場合は、我が家系の総本家のお役目柄、お亡くなりになった日にすぐ病院に行って、葬儀屋に連絡して、死んじゃった人を家まで連れてきて、次の日はご近所を集めての葬儀万端ご相談を取り仕切って、まあ、斎場のこんがり焼きの釜のスケジュールと六曜友引の都合に合わせて、翌日か翌々日か翌々々日ぐらいに通夜から告別式で、告別式の出棺のご挨拶はたいていあたしの仕事で、最近はあちこちの葬儀屋さんの司会の人ともすっかり顔見知りで、音響スタンドマイクの手配調整まで指示して、それが終わると、翌日にお手伝いいただいたご近所関係者へのあいさつ回りに喪主と同道して、最低でも4日は潰れるのである。


まあ、これが、釜の都合が付かなかったり、その上、加齢年齢病気諸事情で人生の黄昏終末をめでたくお迎えになって身体がお弱りになってる皆さんてなもんは、季節の変わり目や猛暑あるいは厳寒の時期にまとめてお亡くなりなるので、月に2~3回も葬儀があったりすると、半月ぐらい葬儀に取られたりして、葬儀の合間に仕事をしてるなんて日常になったしりて、これではなんの目的もない暇つぶしばっかりで、あたしの人生はいったいなんなんだと、はるか天空の果ては須弥山(しゅみせん)の頂上で雪に埋もれて雪ダルマでああ寒いなんてお悩みのあの方や、はたまた黄泉の国の神殿大伽藍空洞にお住まいでだーれもいなくて退屈だなんて贅沢三昧をお嘆きのあの方にお聞きしてみたいところであるが、まあ、人生はなんでもかんでもつながりで成立してるてなことはさすがにぱーの大代表のあたしでもわかるので、諦めが肝心肝要観葉植物で、流されて生きるつーことを心にも肝にも命じて、「まあ、しょーがない」をモットーに今日も明日もてきとーに存在するわけである。

つまりこれ、どなたの采配かおせっかいか、「目的を捨てる」ことを無理やりに成就させられているわけである。


瞑想や静功や禅てな暇つぶしは、いわば目的を捨てることのためのメソッドであるわけであるのであるが、それを本人の意向と関係なく人生のしがらみ生きがかりでいやおうなく心は空っぽで、ありがたいありがたいとお悟りが成就されるわけである。

いわば冠婚葬祭禅であるわけである。

まあ、ありがたいありがたいはわかるのであるが、その間中、毎日毎日、供養膳の宴会食べ放題飲み放題が続くので、これ、いったい何キロカロリー摂取しているのかと考えると空恐ろしくなるぐらいの暴飲暴食状態であたしの白色脂肪細胞はどどんと膨張する仕儀と相成るわけである。

まあ、このあとはもちろん痩せることが「目的」の必死の大運動会となるわけであるので、ありがたいありがたいが根こそぎ相殺されるわけである。

まあ、しょーがないのである。

うまく着地したところで、こんなところでどうかね。

どれどれ、文章になってるでしょうか。

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