象気功

気功修練

気の悩み相談室
回答室



神と仏について
名前:匿名
しょう先生へ

今、弛緩メソッドまで読み終え、残すところ相談室を見て、象気功完読となります。
掲示板の書き込みに対して、懇切丁寧にありがたく、おこたえ頂きまして、

感謝の意を込めて、読み終えた感想も含めて、電子お手紙を出す次第にございます。


私は、自営業をしている25歳の少年(?)です。
スピリチュアルな世界に興味を持ちだして3年位になるのですが、
もともとは、自分がいる現実に疑問をもったのがきっかけでした。

なぜ人は悩むのか。死ぬのか。仕事するのか。生きるのか。

その疑問を解決するために、きっかけになったのがおかまとおでぶちゃんのTV番組なのですが、
スピリチュアルにせよ、宗教にせよ、現実を生きる上の上記のような疑問に一定の見解を持っているので、
最初は目からうろこというか、まぁ飛びついたわけです。

そして、仏教を学び、密教にいきつき、しまいには霊能者に空海がガイドになっているといわれるしまつです。

まぁそれなりに楽しんで学んでいたのでよかったのですが、

学び進めていると、スピリチュアルであったり宗教を学んだ上で生きることに、いい表しがたい疑問が生まれたのです。

象気功のサイトに出会ったのはちょうどそのころです。


その疑問を象気功は解決してくれた。ように思えますが、結局、てきとー、とか、まぁいいんじゃねぇか、とか
深くこだわらんでもなんとかなるさと。その部分がわかった気がするのです。

仏教の教えも、お釈迦様の教えを直で学びとれば、こだわりすててなすがままに生きなさいってことだし。

現代仏教の坊主の腐り具合を見ると、よっぽど坊主にあこがれ、道を求めてた夢はついえて、
結局いくらかでも商売してる方がこのくされ坊主よりも貢献してるぞ

なんて思うのです。

結局この世は、脳であったり気の仕組みであったり、宇宙のメカニズムの中に
組み込まれながらたんたんと、流れているだけな気がするし、

生まれてから知らぬまに入ってくる、美的意識や、宗教観も言葉や文章で書きのこしたり、
政治的意図なんかも含めると誰かの情報操作が入っているというか。


なにをいいたいのかわからにゃいですが、、、、、


つまり、

探しもとめてた真理というものは、いくら学んでもなかったということで!

真理的なのがあるとしたら、この宇宙の仕組みと、自分の心の中にそれとリンクしている宇宙があるということで、

なんらかの意図的に人間に作られたスピリチュアルや宗教などの不純物に右往左往する生き方の方が滑稽で、

よっぽど人を惑わすんじゃないかって。まぁその中には目覚める人がいるからそれもまたよしだし。

中庸。。。

お釈迦様も悟ってみたら、えっ、これかいなって。

酸素のようにあたりまえで、大切で、でも可視かできんし。

でもこれ言葉にすんのむずいし。

絶対わかんねぇだろうなぁ。

絶対、出家とかして、おれのまねするやついんだろうなぁ。

うーんどうしよかな。

いわんどこ。^^

そのとき神様が現れて、みんなに気づいたこと言って下さいってお願いされて。

今の仏教ができあがって。

腐れ世襲坊主を見てるとしたら。

神様はどうみてるんだって。


そこには救世主もいないし、全知全能の神はいないし、スピリチュアルだって騒いでる連中が、
まるで魔法を求めるがごとく、霊能者にさっとうし、こどもでもいわないたちの悪いわがままをいうしまつ。


真理って自分の中にあるし、人助けしたい人はしたらいいし、たのしんでやってるんだから
美徳でもなんでもなくて、相互扶助の世界がいいとするのは、税金を還元する政府システムを継続させるためじゃねぇのか


なぁんて思うきょうこのごろの私。


中庸。。



僕、象先生のサイト見て次になにしようかなって思ったら。

不動産ころがそうかなって。それがなんか一番きたっていうか

今自営してて、毎日ひまだけど生活には支障ないし。

どうしよかなと。でも色んな体験したいしな。

やりたいことやろっかな思いました。


世間でどう評価されるかとか関係なく、立派か下劣か気にしなく。

自分の欲のままに生きてみるという道を選ぼうかと思います。

大欲も小欲もまぁ私神からのおぼしめしなので☆



追伸
無礼な文章の書き方申し訳ございません。
このサイトに今のタイミングで出会えたのも本当によかったです。
象先生には感謝しています。

今まではこれが守護霊のおみちびきやーってなむなむしてたんですが。

結局、今のタイミングでよかったなぁって豊かな感性を持ちあわすことが出来たって
ことで、守護霊がいようが、いまいが、目でみえてもみえんでもいいわって思います。

ちなみに聞きたいのですが、

象師も、神様の御筆先になっているということで、(神様の名前おぼえてませんが)
あれは、どういうことなのでしょうか?

やっぱり神様、仏様ってのはいるのでしょうか?

僕は象気功を読んで、こう考えているのですが。

霊能者に自分には空海がついているといわれたのは、
僕の無意識下の想念の中に空海という人物像があり、
その想念を気がわかる霊能者が可視かした様子を僕がきいた。

だから、僕が意識・無意識的にも信じればいるんだし、信じなければ霊能者にも見えない。
ということなのかなと。

わかりますかね?いいたいことがむずかしいですね。。。。

なんて疑問を文章化してよいのやら難しいですが、

この疑問を助けて先生~!!!


お答え
象師匠  
まあ、いまひとつお聞きになりたいことが判然としないのでありますが、まあ、象気功でいう神とはあたしたちを含めて宇宙を存在せしめている存在そのものであります。
その分身があたしたちの中の神であり、あたしたちの身体の機能が停止すると、その神は瞬時に宇宙を存在せしめている存在と同化して、また、あらたに分身として、あたしたちの次元では「生命体」に入り、宇宙が輪廻を繰り返し、進化するわけです。
また、仏は仏陀、つまりお釈迦さんのことであります。
お釈迦さんはクライストさんなんかと同様にふつーの人間でありますので、もうだいぶ前にお亡くなりになられましたので、その存在はとうの大昔に宇宙を存在せしめている存在そのものと同化してその固体とての存在はございません。
 
それで、まあ、あたしも含めて「霊能者」なんて言い張ってるくるくるぱーの皆さんは、「信じる」「信じない」とは関係なく、自分、あるいは他人の無意識下の想念で造り出したエネルギー体が実際に、「見える」あるいは「感じる」のであります。
だからといって、それは、なにか神懸りな能力に繋がるわけでもありませんし、もちろん、「前世が見える」「死者や水子、悪霊の除霊ができる」なんてことでもないわけです。
その、あたしも含めたくるくるぱーの大法螺吹きに間違ってもありがたがって大枚を払ったりしちゃあいけません。
 
まあ、在来仏教の僧職の皆さんについては、あたしが菩提寺の某宗の檀家総代をしている関係で、周りにも、いろいろおりますが、たしかに品性のないものもいるわけです。
しかし、あたしの友人の真言宗の僧侶はお金儲けが大好きで、どんどん寺を広げておりますが、檀家の地元の有力者には冷たく乱暴ですが、食うや食わずの檀家の端っこのめぐまれない人にはとてもやさしく、葬儀や法事にも金額に関係なく心から面倒をみますので、まあ、それぞれさまざまで、何事も人によって脳も違えば育ちも違い、住んでる世界が違いますので、できれば、良いところを見るようにすると、ご自分の成長には役立つと思いますねえ。
しかし、まあ、何度もいいますが、あたしも含めた「霊能者」なんて言い張ってるバカに「良いところ」は何にもございません。