象気功
象気功

本日の御神託


柔道少年


まあ、それで、前回は小学校4年生の時の同級生の守屋君の脱腸手術後の治療費であたしが模型飛行機を買ってもらったという話を書いたのであるが、まあ、その守屋君の後日談である。

それで、守屋君とあたしが掃除当番で、机を教室の後ろに片付けて、あたしがその床を掃いていたら、守屋君がその集めた机の上で踊って遊んでいたのである。


それを見ていた同じ掃除当番の同級生が怒って、守屋君の足を引っ張ったら、守屋君が転んで泣き出したのである。

それを見ていたあたしが、「お前、守屋はこの前、脱腸の手術をしたばかりなのに、そんなことをしたらだめだろう」と文句を言ったら、その同級生も子供であるので、引っ込みがつかなくて、あたしにつかみかかってきたのである。

それで、肩と肩を両手でつかんで四つに組んだのであるが、これ、驚いたことにあたしはその瞬間に足払いをかけたのである。


あたしは足払いをかけようなんてまるっきり考えてもいなかったのであるが、足がかってにやったのである。

これが面白いように決まって、相手はステンと転んで、さらに怒って再度つかみかかってきて、同じ体制になった瞬間にまたあたしの足払いが決まって、また、ステンと思い切り転んだのである。

相手はもう、悔しくて3度目は泣き顔でつかみかかってきたのであるが、つかんだとたんに足払いでステンと転んだのである。


まあ、その相手は小太りであたしよりも大きな体格であったので、自分より小さいものに負けるのはそうとう悔しかったと思うのであるが、それ以上はかかってこなくて、そのバトルは終了したのである。

これ、あたしは自分で自分にものすごくおどろいたのであるが、まあ、何度かネタにしたのであるが、あたしは3歳ぐらいからの重度の小児ぜんそくで、それを心配した柔道有段者の父親に、知り合いの経営する道場に強制的に入れられて、あたしは小学2年生から柔道少年であったのである。


この道場通いはあたしの住んでいた住宅街からはけっこう遠いところの町にあって、みんなと遊んでいても、週に2回は5時過ぎになると、みんなと分かれて道着を腕に巻いてそこへ行かなくてはならないので、子供のあたしにとっては嫌で嫌でしょーがなかったのであるが、なにしろ石を素手で割るのが得意技という、この世のものとは思えないものすごく怖い父親であったので、嫌だなんてとても言えたもんじゃないので、泣く泣く、6年生まで柔道少年をやってたのである。

それで、4年生のときはすでに投げたり投げられたりを2年もやっていたので、この「組んだら足払い」が癖みたいになっていたわけである。


大人の2年と違って、海馬が絶好調の子供の2年は習い事、芸事には大変な効果があって、もう、身体が勝手に動くようになってしまっていたわけである。

だから、格闘技の技というのは、このときのあたしの足払いのように、アタマでこうきたらこうしようと考えるのではなく、身体が勝手にそれに対応するまで基本を根気よく練習しないといけないわけであるが、大人になってからそれをやっても、海馬が萎縮して機能がすっかり停止している状態であるので、いくらやってもさっぱりそうはならないのである。

何事も始めるなら年少のときからがよろしいわけであるが、その後あたしはこの遊びたいのに遊べなかったという経験のおかげで柔道は大っ嫌いになって、2度と柔道着を着ることはなかったのである。


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