象気功

本日の御神託



人生の不確定性と細胞の方向性


人生は何がなんだか分からんから面白いわけである。

何がなんだか分かったら、テレビドラマの再放送を見てるようなもんであるので、退屈でつまらん人生になるのである。


いつどうなるか分からなくて、断崖絶壁を歩くようなもんであるので、いつ何時、足を滑らせて谷底に真っ逆さまに落ちるかわからんつーところに、そこはかとない醍醐味があるわけである。

いわば人生の不確定性ということであるが、この先どうなるかわからんし、何が何だかわからんし、どうしたらいいのかまったくわからんし、現在絶好調の人も、この先、良い方に転ぶのか悪い方に転ぶのは五分五分であるということである。


一寸先は闇というのは、実にこれ、中々言いえて妙なたとえで、自分の期待とはなんの関係もなく一瞬で違う方向に誘(いざな)われて奈落の底に落とされるのである。

まあ、このどちらに転ぶかわからん人生の不確定性においても、よろしい方向に転ぶのは別に心配する必要はないのである。


店を新規開店したが「客がぎょーさんいらはって、入りきらんかったらどないしましょ」なんて考えるのは愚の骨頂である。

一日中、客がだーれも来ない場合が問題であるのである。


まあ、いずれにしても、あたしら庶民愚民能無しクズゴミの類いのパ~の人生は、よろしい方向に転ぶことはあまりなくて、よろしくない方向に転ぶことはたくさんあるわけである。

その、よろしくない方向の究極が生命の危機である。


いわゆる一巻の終わりというぐらいで、たとえば風呂に入ろうと思って、うっかり風呂場ですべって頭をゴンと打ったりしておっちんじまえば、それまで苦労して培った、知識、知能、教養、技術、学歴、社会的地位、家族家庭も、一瞬で雲消霧散、存在も記憶も何もかも跡形もなく消え失せて、なんのこっちゃになるのである。


家から一歩外に出れば、都心にお住いであれば、これはもう、交通事故という災害が口をあんぐりとあけてお待ちかねであるので、おちおち歩いてもいられないわけである。

ときには、こともあろうに、事故事件を防ぐために目立つように大勢で歩いている児童の集団登校の列に、狙ったかのように突撃するドライバーもいたりして、これはもう防ぎようもないわけである。


電車に乗れば、肩が触れた触れないでもめて、殴られてお亡くなりになったり、ラーメン屋のカウンターで隣の人ともめて頭を踏んづけられてお亡くなりになったり、もめなくても通りがかりに理不尽な言いがかりをつけられて殴られたり刺されたりしてお亡くなりになったりとまあ、災難事件事故はノンストップであちらから楽しそうスキップを踏みながらやって来るのである。


いちばん安全なはずの病院に行っても、医療過誤は日常茶飯事で、「まあ、この薬を飲んで様子をみてください」なんて無責任なことを言われて、処方はてきとーであるから、手遅れになったり、投薬の間違い、手術の間違い、点滴の間違い、さらには病気を治すはずが院内感染で重篤な病気に罹患させられて生死の境をさまよったり、どんなに間違っていても認めるどころかカルテを改ざんされて、関係者は口封じで、本人も家族も分けがわからんままお亡くなりになってる人がたーくさんおられるわけである。


そんなこんなで、外に出れば危険だらけで何があるかわからんからといって、家の中に閉じこもってじっとしていても、夜中に仕事のストレスのうっぷん晴らしに放火されて焼死体でニュースになったり、さらには、大地震台風大雨地すべり津波などの大災害に巻き込まれてあっけなく人生の緞帳が下りてしまうことも、ものすごくたくさん色々多々あるわけである。


まあ、命の危機にさらされるような大ごとにならなくても、おぎゃーと生まれて人生街道をてくてく歩いて行くと三途の川にたどり着く前に、大小の躓き落とし穴障害物が街道のあちこちに仕掛けられていて、実に浮世は巧妙に面白おかしくできているわけである。


さて、その、面白おかしくてどちらに転ぶかわからない人生の不確定性を楽しむためには、健康状態が良好であることが望ましいわけである。

まあ、不健康でも、その不幸な状況を楽しむという楽しみ方もあるわけであるが、不幸マニア以外の人にはあまり芳しい選択ではないわけである。


できれば、元気に断崖絶壁を歩いて、「おっとっと、危ない危ない」とひやひやしながらできるだけ長期間に渡ってスリルをお楽しみになるのが人生の醍醐味であるのである。

つまり、元気満タンで長生きご長寿ということが、人生の全てを包括した目的であるわけである。


まあ、昨今話題のNMNが市販されると、寿命は飛躍的に伸びて、100歳は当たり前、120歳さらには150歳も夢ではないてな時代が訪れるつーよーな話もあるので、延々150年間のスリル満点のお楽しみを堪能できるのである。


最近の研究では癌治療も決定的な医療技術ができる可能性もないではないつーことであるので、さらに寿命は延びるわけであるが、事件事故災難は何をやってもステップ軽やかにやってくるので、やっぱり人生は断崖絶壁、運次第ということになるのである。


その「運」は細胞が勝手にやってることであるので、細胞の方向性をうまくコントロールしなければならないわけである。

細胞の方向性をコントロールするには、細胞はDNAも含めて分子段階で常に入れ替わっているわけであるので、その素となる「食」と、組成と分解に関わる「呼吸」が重要であるわけである。


さらにはそれを細胞まで運ぶパイプラインである毛細血管の状態を整備しなければならないわけである。

気功やヨーガの根本は呼吸と毛細血管の状態を良好にするための方法であるということを理解しなければならないのである。


それに付随した氣の作用については、実際にはどーでもいいことであるが、その作用ばかりが魔法のように取り上げられて、さらには超能力だの至高体験だのと、それを利用してカネ集めご商売をなさるヤカラが巷間に跋扈して、それに乗せられて無意味な妄想にとらわれても、その先には何もないということをよーく理解しなければならないのである。


そのために神のお告げの象気メソッドがあるわけである。

神のお告げであるから、言うまでもなく霊能者の戯言であるのである。

戯言は「たわごと」と読むのである。


「ざれごと」と読む場合もあるのであるが、ふざけているわけではなく、たわけているのである。

たわけとはパ~のことである。

いらんだろ。

完。

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