象気功
象気功

本日の御神託


人生のスピードリミッター


ううむ、まあ、つまり、なんだその、あのね、あのねのねー、あのねのねったらそのねのねー、ううう、先に進まん。

まあ、だいぶ前から日本で販売される国産車の普通車には時速180㎞、軽自動車は時速140㎞てなスピードリミッターが設定されていて、それ以上のスピードが出せないようになっているわけである。

まあ、これは国産車に対する規制であって、輸入欧州車の一部には最高速が時速210㎞または時速250㎞てな設定のものもあるのである。


また、国産車であってもさらに自動車の種別によってまちまちに設定されているわけであるが、まあ、とにかくその種別あるいは性能に適したとされるスピードリミッターが設定されて、改造などをしない限りはそれ以上の速度は出ないようになっているわけである。

まあ、それで、これが、人間の脳にもその個人個人の種別によってそれに合わせた各種のリミッターがかかっているのである。

まあ、たとえば一番端的な例が「筋力」である。

各種メディアでも取り上げられることが多いのでご存知の方もおられると思うのであるが、いわゆる「火事場の馬鹿力」であるのである。

火事になると興奮した女性が、普段は絶対に持ち上がらないような思いタンスをひとりで持ち上げて運び出したりしてしまうというような例であるのである。

また、他の例では、子供が車の下敷きなったなんてときは、そばにいたその子の母親がその車を持ち上げてしまうなんて例であるのである。

非力であるはずの女性が、生命維持あるいは家族の危急存亡の事態に直面すると、とても尋常では考えられない何倍もの力を出すのである。


これは筋力の実際の能力が、普段出せる最大筋力の何倍もあるということであるのである。

では、なぜ、そんなに強い筋力があるのに、普段はその何割かしか出せないのかというと、その持っている極限の筋力を発揮した場合には、その極限の筋力を発揮するための膨大なエネルギーが必要であるので、それを常時発揮していては心臓や血管などが持ちこたえることが困難であり、さらにその極限の筋力を発揮した場合には骨や腱などを損傷してしまうからであるのである。

前述の自動車に例えれば、アクセル全開でそのエンジンの持っている極限の回転数でエンジンを強引に回せば、当然エンジンはすぐ壊れてしまうわけであるが、余裕を持ったエンジンの回転数であれば、何時間でも回すことができるわけである。

自動車の場合はもちろんエンジンやシステムに余裕を持たせるてなことではなく、「事故防止」の観点からリミッターが設定されているわけであるが、人間の筋力の場合は、その人間の内臓や骨格その他の能力に合わせて、それらに損傷を与えない、余裕を持った範囲内の最大筋力を設定したリミッターであるわけである。


その最大筋力を決めているのは誰かというと、「脳」であるわけである。

それで、このリミッターは筋力に限らず、生命活動全般にわたってかけられているのである。

つまり、その個人個人の種別に合わせて、持っているはずの極限の能力を発揮できないように脳にプログラミングされているわけである。

つまり、人生そのものにリミッターがかけられ設定されているわけである。

脳が生命活動に無理のない範囲内の能力を設定し、脳はそれを逸脱しないように機能することが最上であると構成組成されているわけである。

そうなると、あなたが生命活動に支障のない現在を最良とするわけであるから、その場所を動くことを脳はものすごく嫌がるわけである。


脳にとっては、それを変えることは生命維持に問題が出てくることでもあると判断するからであるのである。

だから、いわゆる「能なし」の皆さんは「能なし」から「脳あり」に変わることを脳のリミッターが拒否するわけである。

「極貧赤貧」の皆さんは「富豪大金持ち」になることを脳のリミッターが拒否するわけである。

これは一事が万事にわたって、人間は現在のリミッターによって定められた位置であるその場所から動くことを拒否するということであるのである。

とりあえず生命維持においては問題がない現在の場所を動きたくないわけである。

そのリミッターを取り外すには、冒頭にも解説したように生命の危機存亡にかかわるような事態に直面するてなことでもない限り、簡単にははずれないようになっているわけである。


このリミッターが簡単にはずれて、すぐにアクセル全開になっては、車は運転不能大暴走てなことになって高速道路の側壁に衝突して高架下にダイビングてなことになるのである。

だから、脳はその人の一番の安全速度である現在の状況場所立ち位置行動能力運気を維持しようとするわけである。

それがたとえ「運気の上昇」であっても脳は「生命維持の危機」と判断するのである。

幸運も脳には生命維持の危機であるのである。

まあ、象気功ですでに何度か解説している事例であるが、数億円の宝くじに当たった極貧赤貧の皆さんが、販売元のカウンセリングにもかかわらず1年足らずでそれを使い果たして、さらに借金を背負ったりするという行為であるのである。

これは、いきなりの「運気上昇」を脳は「生命維持の危機」と判断して、それを是正しようと機能するからであるのである。

つまり、人生の元の位置である生命維持に安全な場所に戻そうとするわけである。


それはいわば脳が勝手にやっていることであるのである。

意思では心臓の鼓動を止められないように、どうしてもこうしてもそうなるのである。

だから、生命維持リミッターには現在生命維持に問題がない「人生におけるその場所を動かないこと」が最良という設定になっているのである。

そのリミッターのタタリノロイは、ありがたーいあなたのご先祖様ご両親からあなたに受け継がれたDNAと胎教も含めた御誕生直後からの環境によってプログラミングされるのである。

このプログラミングによって設定された脳が変えることをものすごく嫌がる各種の人生におけるリミッターを、生命維持に問題のない範囲内で脳をだまくらかして取り外してみようてな方法が象気功のメソッドであるわけである。

ところが、これ、象気功が言葉言語を介してのメソッドであるので、読解力あるいはおつむのちょーしなどの事情で理解できる人は理解できるし、理解できない人はどうやってもこうやっても理解できないので、それもこれもありがたーい神の思し召しのリミッターがかかっているわけである。


いいね、みごとにオチがついたところで本日の高座はお開きであるのである。

なにしろ象気功であるので、講座ではなく高座であるのである。

ご存知のとおり、高座とは寄席(よせ)の舞台のことであるが、まあ、もともとは仏教用語で、お釈迦さんが成道(道すなわち悟りを完成するという意味)したという金剛宝座を型取り、僧侶が説教するときに一般の席よりも高く設けた台座のことであるのである。

ちなみに寄席とは落語、講談、浪曲、漫才、漫談、奇術、曲芸、舞踊などを演ずる小規模な常設演芸場という意味である。

さらにちなみに落語家が高座に上がるときに着る衣装を高座着といい、高座で使用する扇子を高座扇(こうざせん)あるいは高座扇子といい、高座で使用する座布団を高座布団というのである。

演者である落語家が高座を降り、次の演者が高座に上がる前に前座が出てきて高座布団を返し、前の演者の羽織や湯のみを片付け、メクリ(演者の名前を記した紙)を次の演者に変える作業を高座返しというのである。

ううむ、高座一口メモはいらねーかな、まあ、いいや。

つーことでね、ひとつ、おあとがよろしいようで。

まあ、とにかくUPして読み返してみましょうね。

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