暇つぶしと宇宙 暇つぶしね。 これね、まあ、人間てなもんは常に焦っているわけである。 常に努力を怠らず上に昇ることを人生の必須事項と思い込まされているわけである。 まあ、国家の経綸、国の発展つーものはそれがないと成り立たないわけであるので、もちろん国家による洗脳でもあるわけである。 しかし、これが人生が行き詰る最大の原因であるのである。 時間に追われ自分を見失うのである。 まあ、それで、暇つぶしである。 あたしの座右の銘のひとつは、人生は死ぬまでの暇つぶし、であるのである。 まあ、これ、最近はお笑いもネタにするぐらい一般化して、新鮮味もないとは思うが、あたしの暇つぶしは意味がぜんぜん違うのである。 これを理解すると、時間が限りない長さでゆったりと流れ始めるのである。 「今」あるいは「現在」を認識できるのである。 なにしろ総てが死ぬまでの暇つぶしであるのであるから、総てがどーでもいいわけでである。 どーでもいいわけであるから、追い求めることをやめてしまうわけである。 この追い求めることをやめると、現在、その瞬間に、そこに存在する自分を確認できるのである。 その自分が確認できると、自分と総てが一体であるという感覚が理解できるのである。 これが空であり縁起であるのである。 ううむ、いいね、自分でも思わぬ言葉が出てくるな。 まあ、あたしはべつに仏教マニアではないのでどーでもいいのであるが、さすがは象の狼様いやちがった大神様のお告げによる霊界通信御筆先であるのである。 御筆先は嬉し恥ずかし筆おろしとは関係ないのである。 ううう、どんどん話がくだらん方向に逸れるのである。 まあ、象気功自体がくだらんとい言われればごもっともというしかないわけであるが、いずれにしても暇つぶしを実践してるわけである。 まあ、とにもかくにもこの感覚てなものは、これ、存在の総てが一体であるという感覚であるのである。 あなたが総ての一部であり、総てはあなたの一部であり、あなたがこの世の存在の総てであるのである。 宇宙はあなたであり、あなたは宇宙であるのである。 だからあなたと宇宙の組成は同じであるのである。 人生は死ぬまでの暇つぶし、ということを理解した瞬間にこのことを体現できるのである。 体現とは身を持って実現することであるのである。 これを体現体感体験すると、総てが了承されて身体は解き放たれてこの世の総ての存在である宇宙と一体となるのである。 総てを客観するわけである。 あなたは外にいてあなたである総てを観るのである。 そのときあなたはあなたが神であることを実感するのである。 意味がわからない? あたしにだってわかりませんよ。 ちゃんちゃん。 ちゃんちゃんはねーだろ。 つーことでね、ううう。 |