本日の御神託
運気とDNAの話 ううむ、コーヒーの飲み過ぎのせいか、 いわゆるカフェインの効果がないな。 そんなことはどうでもいいが、まあ つまり 現在の世界の喫緊の課題は生命の安全である。 昨今、世界のあちこちの国々では否応なく生命の危機が目前に迫っているわけであるが、西と東あるいは南と北の狭間でウロチョロする日本もいつそれに巻き込まれるのかわからんわけである。 政治がどうのこうの 思想がどうのこうの 戦争反対だの 核兵器反対だのとあたしみたいな役立たずが騒いでも、巻き込まれる時は何の前触れもなく攻撃が始まり、逃げる暇もなく 瞬時に生命の危機が訪れるのである。 この世の在りよう全てが神という名のろくでなしの思し召しということから考えると、例えばあたしが何の気なしに歩く時に、大量の微細な生物を靴の裏で踏み潰して歩くように、何か一朝危機が訪れると あたしら人間はまとめて 十把一絡げであれこれされてしまうわけである。 例えば すぐお隣の北の国から飛んできたミサイルが落ちれば そこにいた大量の人間がまとめて あれこれされてしまうわけである。 もちろん攻撃であるからなんの前触れもなく、いきなり落ちてくるので逃げようもないし、広範囲に効果があるので気がついた時にはもうどうにもならないわけである。 これが 核兵器ともなるとこれはさらにどうにもならないあれこれである。 その絶対に助からないはずの状況でも、助かるものは助かるのである。 まさにこの世の不思議 宇宙の不可思議 神の気まぐれという名の運命のでたらめである。 何かの都合で、居るはずのその場に居ないのである。 例えば大型旅客機が落ちて全員が死亡しても、そこに乗るはずであった人が直前に何かの都合で乗れなくなって助かったりするのである。 地域丸ごと数万人が犠牲になるような大きな災害時も同様である。 本人の意志とは無関係に何かの都合で そこに居なかったり、 何かの都合で助けられたり、何かの都合で助かったりするのである。 説明のつかない「何か」が起きて、助かるのである。 つまりは運気の強さということである。 これは知能が高いとか低いとか、学歴が高いとか低いとか、頭が良いとか悪いとか、運動能力があるとかないとか、運動神経が良いとか悪いとか、度胸があるとかないとか、腹が据わっているとか据わっていないとか、修行ができているとかできていないとか、行いが良いとか悪いとか、善人であるとか悪人であるとかの問題ではなく、ひとえに運気の強さの問題である。 それでは 一体 運気というのは何か?ということである。 知らんがな。 こらこら。 これまでに何度か手を変え品を変えネタにしていることであるが、 あたしの父も叔父も全くの能なしであったがために、かの大戦を生き延びて、その後父は94歳まで、叔父は88歳までお気楽に生きたのである。 叔父は戦時中にスマトラに派遣されたが、百姓以外は何もろくにできないという能なしのために食料班に配属されて野菜畑で野菜を作るという のんきな任務に就いて、部隊が戦闘に赴いて全滅した時に、残されて楽しく畑でお野菜を作っていたために助かったのである。 父は同様に全くの能無しであったが、フィリピン方面に従軍していて、ある日 部隊が招集されて、「他の部隊で車の運転手が必要なので 運転できるものは手を上げろ」と言われた時に、どういうわけか勘が働いて、運転ができないのに「ハイ」と手を挙げて、父が輸送船で他の部隊に移ったあと、そこに残った部隊が全滅したのである。 父も叔父も戦争という生命体として絶対絶命の危機を神の思し召しとしか言いようのないあれこれで生き延びたわけである。 生命体という観点からすると非常に運気が強いということになるわけである。 父や叔父に限らず我が家の家系は長生きで、平和ボケした現在の日本に育った者からは想像もできない命の危機満載の戦時を経ても、男女ともに銃後も含めて戦死したものは1人もいなくて、関東大震災や東京大空襲の真っ只中に置かれても生き延びて、生命体の仕組み上ごく数人の例外はあれ、男は90歳以上が普通で、女は100歳以上がちらほらいて、何があってもなかなか死なないわけである。 まあ、ここからは仮説であるが、我が家系をつらつら鑑みると、運気もDNAに書き込まれているのではなかろうかとご推察申し上げるのである。 つまり、長寿遺伝子同様に 運気遺伝子という類いのものがあるのではなかろうかとあれこれするわけである。 まあ、あたしら衆愚は金運だの勝負運だの異性運だの家族運だの出世運だのと言い立てるわけであるが、何をどうしようが「死んじまえば終わり」であるから、生命体としての運気の強い弱いの究極は生命の維持である。 それが強いということは 運気の強さの尺度となるわけである 。 だから神の思し召しによりDNAに書き込まれたあたしの運気の強弱は、お亡くなりになった時に決定されるということになるのである。 そうは言っても、どのように決定されようが「死んじまえば終わり」であるので、つまりはどうでもいいわけである。 そのどうでもいい運気遺伝子を、氣道を操作してやらないよりはマシの範囲内で宜しい方向に変えようというのが象気功である。 てなことである。 (2023・10・29) |
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