象気功
気功の穴
象気功

本日の御神託
図書館の話



この世はほんの一握りの高知能とあたしらその他大勢の低知能で構成されているわけである。

このあたしら 「その他大勢の低知能」は何しろ バカであるから調子に乗りやすくて、 とにかく集まって徒党を組むのが好きである。

好きであるというよりは習性である。

偶さかに高知能を持ち合わせた嘘つきほら吹きに ちょっといいことを言われてこちょこちょとあれこれをくすぐられると ドーパミンもアドレナリンも大放出で 徒党を組んで一方向に向かって突進するのが習性である。

例えば ネットにおけるワクチン反対派もその一例で、本を売らんかな人気を取らんかなの医師も含めた嘘つきほら吹きに乗せられて「ワクチンに殺される」てなことで 我も我もと大騒ぎであったが、mRNAがノーベル賞を受賞した途端に嘘のように 一斉に沈黙である。

それでも未だに「mRNAのノーベル賞受賞は政治的思惑だ」なんてとんちんかんなことを言ってる救いがたい低知能もいるが、 まあ それはそれで神の思し召しのあれこれであるから心行くまでお楽しみいただきたい。

悪口雑言はともかく、だいぶ前に思わぬことから うちの近所に図書館を見つけて、「これは図書館だけに静かで綺麗でエアコンが適度に効いていて、ドトールコーヒーとキーコーヒーの自販機のあるロビー もあって、象気功を書くには最適ではありませんか」となったのである。

それで入ってみると、ロビーでは PCを持ち込んでお勉強やお仕事をされている人が多々おられるのである。

そんなこんなで、あたしゃPCを持ち込むのはめんどくさいので、図書館では お手軽で便利なスマホで書くようになって、暇つぶしに いやもとい 象気功ご執筆のためにルーティンのようにその図書館に通うようになったわけである。

あたしは ごくお若い頃に川崎に住んでいて、近くの図書館に4年間ぐらいアホみたいに通って、時間のある限り朝から晩まで手当たり次第に棚に並んでいる本を読んでいたのである。

あたしの人生は今も昔も 暇つぶしと言うのか無生産者というのか全くなんの役にも立たないと言うのか、象気功そのまんまであるが、とにかく無駄なことに心血を注ぐということに大量のドーパミンが放出されて夢中になるという あれこれである。


まあ 無駄な反省はともかく、何しろ図書館というぐらいであるから とにかく本が多いわけである。

当たり前である。

言い方を変えると 図書館には本しかないのである。

まあ 本を読むために図書館に行ってるわけであるから ありがたい限りで、その頃も平日はほとんど人がいないので実に快適である。


当時は 現在と違って スマホもないので、字が読めない あるいは読めても意味がわからないてなことでは 図書館に来ても何のこっちゃである。

つまりアホは図書館に来てはいけないわけである。

もちろんアホの代表のあたしは それまでの読み物であった漫画や劇画のおかげで小学校に入った時から読めない字がなかったとはいえ、教科書や新聞ぐらいは読めても、やたら難解を旨とする語彙をあれこれしたややこしい文章は 読めない字や意味不明の言葉だらけで理解できないわけである。

ところがこれが、ありがたいことに 図書館には 国語辞典も漢和辞典も英和辞典も古語辞典も その他もろもろの辞典辞書が 何でもかんでも揃っているのである。

本を読むものには非常に便利で至れり尽くせりである。

その便利で快適な図書館で近代日本文学全集を読んで、世界文学全集を読んで、児童文学全集を読んで、古典文学全集を読んで、講談全集を読んで、落語全集を読んで、とにかく全集という全集を片っ端から読んで、さらに小説をあいうえお順に読んで、とにかく朝から晩まで読んで、読みきれないものは借りて帰って夜も家で読んで、それを4年間続けたら、本を読む気が全くなくなって現在に至るわけである。

それで その 読んだ内容を覚えてるかと言うと ほぼ完璧に忘れているのである。

内容はもとより、誰が何を書いたのかさえ 全くわからないのである。

おぼろげに覚えているのが「万延元年のフットボール」と「流れ藻」という作品名であるが、何のことかわからないのでスマホで調べてみると、阿部先生と庄野先生の作品である。

それで早速 昨日 阿部先生をネタに X(
エックス)を投稿したわけであるが、作者名を忘れているのであるから、内容については もうこれ押して知るべしで、文章のかけらも覚えていないのである。

ご存知の通り、脳の記憶は海馬と大脳皮質に保存されるわけであるが、新しく覚えた情報は海馬に一時的に保管され、必要と判断されたものだけが大脳皮質に送られ長期に保存されるわけである。

つまりあたしの脳は4年間に渡って朝から晩から夜中まで読んだ本の記憶を、「全く不必要なもの」と判断したわけである。

いらない記憶としてゴミ箱にさっさと捨てられてしまったわけである。

夏目先生も 樋口先生も 谷崎先生 芥川先生も 太宰先生も 川畑先生も 三島先生も 松本先生も 大江先生も 安倍先生も 新見先生も 宮沢先生も 清少納言も 紫式部も 吉田兼好も トルストイも カフカも ダンテも セルバンテスも ミルトンも ミハイルも ミランも ブレヒトも グリム兄弟も ドリトル先生も ジョー・マーチも アン・シャーリーも 火炎太鼓も 粗忽長屋も 寿限無も 飯岡助五郎も 真垣平九郎も 水戸光圀も 全部ゴミクズ扱いで捨てられてしまったわけである。

あれれ、けっこう覚えてるじゃん。

(2023・10・15)


Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved 無断転用転載厳禁 プライバシーポリシー Contact