象気功
気功の穴
象気功

本日の御神託
マントラと光明真言の謎



マントラは日本に伝わり 密教において 「真言」 と訳されたわけである。

つまり マントラと真言は同義語であるということである。

エネルギーが湧き出るとされる代表的なマントラには、Om・Aum(オム・オーム)、ガヤトリーマントラ、シャンティマントラなどがある。

まあ マントラの中で最も有名なものは Aum(オーム)であるわけであるが、 ご存知の通り こんなものを唱えると、主な効果として「毒ガスを撒きたくなる」わけである。

始まったばかりで、いきなり悪口雑言かよ。

ホントのことだからしょーがないじゃん。

マントラを唱えると、心身が浄化され、エネルギーが湧き出てくるのを実感できると言われているが、エネルギーが湧き出るのは同意できるとしても、心身が浄化されるかどうかは 前述の事情から、もちろんわかったもんじゃないのである。

あれこれのマントラをこれでもかと日夜唱えている集団が とんでもない社会的犯罪を犯したりするのであるから、心身浄化というよりは、そんな下らんことを朝から晩まで寝る間も惜しんでやっているうちに 使わない脳神経細胞ニューロンが死滅してバカになるという方が正解であるかもしれないかもしれないのである。

お前は鴨鍋奉行か。

ううむ、スベりすぎてなにがなんだかわからなくなってるかもしれないかもしれない。

また 真言や経文と同様に108回唱えると、煩悩が消え、身体が軽くなり、浄化効果を実感できると言う話もあるが、 そんなにお気楽に煩悩が消えるなら世話はないわけである。

大体が煩悩が消えたら人生なんてものは何の彩りもない砂漠を歩くようなものである。

金が欲しい女が欲しい男が欲しいあれこれ欲しいあいつも憎いこいつも憎い とバカ丸出しで 絢爛豪華に煩悩の花が咲くから人生は楽しいわけである。

この世は煩悩の花が咲き乱れるお花畑である。

いいね 今日の言葉はこれだね。

本日のご執筆はこれで良しとしようではありませんか。

バカなの ?

マイルドバカです。

しかし 象気功でも マントラを唱えると その音の波動が鼓膜を通して脳から全身に伝わり、氣動を開き チャクラを活性化させると言い張っている都合上、やらないよりマシの範囲内で エネルギーが出るということについては否定はしないのである。

都合上かよ。

ううむ、いつもながら どうも 日本語の調子が変だな。

ということで本日のお題の光明真言の話に入るのである。

光明真言はそこはかとないエネルギーを生み出す真言のひとつである。

光明真言は、大日如来に無量の光で道を照らしてくれるようにお願いする真言であるが、神仏というものはとにかくお願いされることが嫌いであるので、 うっかり お願いなんかしようものなら 無慈悲この上ない神罰仏罰を持って答えられるのでそこはそれあれこれしていただきたい。

何事においても 神仏を拝む際はありがたいありがたいとお礼を述べることが肝要である。

そらそうである、 誰だって見ず知らずのやつが玄関口に来て、いきなり金が欲しいだの女が欲しいだの学歴が欲しいだのとほざかれた日には 腹が立つのは当たり前である。

まあ とにもかくにも、光明真言は「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」である。

さすがは 光明真言である、短くてとてもいいのである。

わけのわからない長ったらしい呪文をダラダラと 暇つぶしのように唱えている時間はいわば 「もったいない」のである。

この短い人生を有意義に過ごすには、 何事も ささっと済ませたいもんである。

まあ いずれにしても これもカタカナ表記であるので、 本来のサンスクリット あるいは パーリ語と効果が同一とはとても言いがたいが、それなりの効果を信じて これを朝晩唱えてあれこれすれば それなりのあれこれのご利益があるかもしれないかもしれないのである。


数少ない信者がさらに減るからやめてよしていやんばかん。

やけくそかよ。

そんなこんなで、光明真言を毎日唱えると、病気や災いが消失したり、家庭が円満になったり、商売繁盛したり、魔除けや除霊になったりする効果があると言われているが、まあ後の人間がこじつけた宗教上の商売としての「 ご利益」であるとしても、何しろ 光明真言の根本がエネルギーの養生であるので、 やらないよりマシの範囲内でよろしい方向にあれこれするのは当然である。

真言は、言葉に霊力(言霊)があるとされているが、「けっ 笑わせんじゃねえよ」 なんてひねくれたことを言わずに、例えば意味もわからずに その言葉を喚いていても 肺機能の活性化には役に立つと思うので、 カラオケ同様の健康成就の効果はあるわけである。

何言ってるの?

かしこまりました。

会話になってねえぞ しっかりしろ。

かしこまりました。

真言を唱えると、集中力アップ、心身の調和や精神統一、チャクラ活性化はあるとしても、願望実現や御利益を得る事ができるかどうかは もちろんある意味の思い込み次第である。

ある意味って、どんな意味だよ。

もちろん 知らんがな。

前述の光明真言の文言は真言宗で唱えられているもので、天台宗や真言宗智山派ではやや異なるわけであるが、まあいずれにしても外国語を無理やり日本語に直したものであるので、発音については 原語のものとはかけ離れたものであるのはいたしかたないことである。

意味としては仏教における最高の存在・如来を称え、聖なる光明をお与えくださいてなことである。

さらに詳細に解説すると、アボキャは不空成就如来、ベイロシャノウは大日如来、マカボダラは阿閦如来、マニは宝生如来、ハンドマは阿弥陀如来を指すとされるが、この五体の仏は「五智如来」と呼ばれ金剛界曼荼羅に描かれており、光明真言はこの如来がすべて集結し大いなる聖なる光で包んでくれると言い張っているわけである。

如来が一人じゃ心もとないので、数を頼んであれこれ しようというわけである。

よしなさい。

かちこまりました。

かちこまるなよ。

その光はあらゆる闇を払う、つまり罪や不幸を滅して幸福をもたらしてくれるというような おとぎ話的なご利益をあれこれしているわけである。

誰がおとぎ話だ。

また、地獄や餓鬼に堕ちた亡者にも光を照らし、極楽往生させる力を持つともされているのである。

つまりあたしらを 地獄や餓鬼に堕ちた亡者扱いにしている失礼な真言であるわけであるが、 まあ そう言われてみれば 思い当たることだらけで ぐうの音もあはんの音もいや~んの音も出ないのは言うまでもないことである。

あなた だいぶ 飽きてきてるでしょ。

はい。

密教では全宇宙のすべてが大日如来の現れであるとされ、光明真言を唱えれば大日如来が慈悲の光を授けてくれると言い張っているのである。

お会いしたこともない 大日如来さんにそんなご迷惑をかけるのは恐縮するが、 これを唱えるだけで 慈悲の光を授けてくれるなら 朝晩 ちょこちょこっと唱えるのはお安い御用である。

そうは言っても 大日如来さんの本体は太陽ということであろうから、日夜、太陽を凝視してこれを唱えれば 、網膜が焼けてヤバいことになるわ このバカタレが。

どこからノリツッコミなのか何なのかわからんがね これじゃ。

たいていの宗教は生命の源でもある太陽光としての「光」を尊ぶものだが、その意味でも、大日如来の光を与える光明真言は真言の中でも最強の真言であるとされているわけである。

「じゃあ 他の真言はみんな へっぽこかい」なんて言ってはいけません。

とにかく 仏教に限らず人間というものは 階級あるいは階層あるいはステージあるいはランキングてなものを作って楽しむのが好きなんである。

さて 余談はさておいて本題である。

こらこら ここまで全部余談かい。

あたしの悪口雑言と悪質な冗談に惑わされずに我慢してここまで読んできた敬虔なる象気功信者は幸いである。

象気功意外に解明できない光明真言の神髄に触れることができるのである。

ゴタクはいいから、早く本題に入れ。

やだよ~ん。

殴るぞてめえ。

かしこまりました。

光明真言の真骨頂は主に腎臓及び副腎の活性化による エネルギー充填である。

言ってみれば 光明真言は腎臓周囲の氣道を開く音(おん)を連ねたものである。

氣道を開くのであって 、つまり 周囲の毛細血管を開いて血流をスムーズにするということが眼目であるので、 何か神がかりな効果があるということではないのは言うまでもないことである。

また これを修行のできていないものが唱え過ぎたらとんでもないことになるという都市伝説じみた言い伝えもあるが、落語家がこれを「小言念仏」というネタにして延々唱えても、とんでもないことには全然なってないので安心してお好きなだけ 唱えていただきたい。

また 腎臓周辺 の氣道を開くことから、 その周辺に意識を持って送り込めば、 周囲についている誰かの想念である生霊や因縁霊その他 あれこれの霊障が成仏して、あらまあ、なんて爽やかなんでしょう と言うことになるのである。

この場合の成仏というのは 誰かの脳が勝手に作り出したマイナスのエネルギーの想念に プラスのエネルギーを送り込んで プラスマイナスゼロ にするということである。

もう飽きちゃったから終わり。

(2023・09・21)


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