象気功
気功の穴
象気功


本日の御神託
簡単に運気を上昇させる方法


そんな都合のいい方法は無い。

終わり。

これこれ。

ううむ、どーしてもこれやらんとあかんのかいな。

あきまへん。

じゃあ、しゃーないしゃーない。

なんのくだりやねん。

しらんがな。

バカ?

バカで~~~~~~~~~す。

ボケのフルバージョンかよ。


てなことで、簡単に運気を上げる方法は無いが、あきらめる方法はある。

まあ、いつも言うことであるが、あなたの親を見ることである。

あなたはおおむね8割ぐらいの確率で親と同じ運気である。

残りの1割は親より良い運気で、残りの1割は親より悪い運気である。

つまり、良い親から生まれたものの1割はさらに極上の良い運気に恵まれ、運気の悪い親から生まれたものの1割はさらに悲惨な悪い運気に恵まれるのである。

恵まれてねーだろ。


親の培ったDNAを受け継いでいるのであるから、運気も運命も受け継ぐのは当然である。

もちろん親とは時代も違えば社会情勢も違うわけであるが、運気というのは行動の方向性であるから、その方向に幸運があるのか不運があるのかということになると、時代も社会情勢も超えて、親と同様の人生が待ち構えているのである。

自分はあんなアホな親とは違うと思っていても、気が付けば結局は同じ方向性に向かって驀進しているし、めでたく同じような最後を迎えるわけである。

ここである。

どこである。

あそこである。

いやん、しけべ・

こらこら。


ああ、もういやだ。

もっと何か気の利いたバカネタはないもんだろうか。

無い。

終わり。

こればっかりかよ。

やかましわ。

公共のネットを使って垂れ流すことかよ。

誰が公共のネットだ。

えーと、なんだっけ?

ああ、運気の上昇だ。


まあ、行動により獲得した形質が次代に受け継がれるという説はあるにしても、いずれにしても直近の親から受け継いだわけであるから、スイッチの入り具合も含めて同じ方向性の行動をとるのはいたしかたないところである。

行動の方向性が同じであるというのは、たとえば人好きであるとか人嫌いであるとか、動くのが好きであるとか嫌いであるとか、計算が好きであるとか嫌いであるとか、文章を書くのが好きであるとか嫌いであるとか、絵を描くのが好きであるとか嫌いであるとか、努力をするのが好きであるとか嫌いであるとか、つまりは得意不得意の妙である。

これ、いわば潜在意識の問題であるので、本人としてはいかんともしがたく、無意識にいやおうなくその方向に行くので、何をやってもうまく行くものはうまく行き、うまく行かないものは行かないわけである。

もちろん親から受け継いだ脳機能の問題もあるので、バカな親から生まれたバカにどんな教育をしようが、少しマシなバカになるだけである。

つまり、自分の親がバカなら当然自分はバカであるから、バカな行動しかとらないようようにプログラミングされているので、何をどうしようが少しマシなバカな行動をとるようになるだけである。


それもこれも神という名の人でなしによる偶然という名の気まぐれの計画であるので、あたしらの知らぬところでてきとーにプログラミングされているわけである。

まあ、神の悪口はともかく、話を戻して、自分の両親を見て「ああ、こりゃだめだ、何をしようが自分の運気はこんなもんだ」とあきらめが付いた人には、自分を客観視できるようになるという特典がついてくるのである。

つまり、自分の発見である。

自分が何者かわかるということである。

これは非常に重要で、自分が何者かわからないから、人生が四苦八苦で艱難辛苦となるのである。

自分がわからないから、こんなに努力してるのになんでうまく行かないんだろうかと悩んだりするわけである。


あるいは無駄な努力を延々と積み重ねて、あげくに大失敗して悲嘆に暮れていつもの富士の樹海で手ごろな枝に縄を掛けたりするわけである。

それもこれも「自分が何者かわからない」ということが原因である。

自分が何者かわかれば、「うまく行かなくて当たり前」ということに気が付くわけである。

悩みが悩みでなくなるのである。

逆にうまく行ってる場合は「うまく行って当たり前」ということに気が付くわけである。

つまり、うまく行ってるのは自分の努力なんかのせいではなく、自分の持って生まれた、知能や才能も含めた運気のせいであるということに気が付くわけである。

それじゃあ生きてること自体が他力本願ではないか、あたしらはなんのために生まれてきたのかということである。

しらんがな。

終わり。
(2022・04・29)

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