象気功
気功の穴
象気功


本日の御神託
正しくない人生の対処法その4


さて、さらに怒涛の正しくない人生の対処法に突入するわけである。

まあ、前回の終了際に開陳した「努力」ぐらい人生において無駄なものはないのである。

なにしろ努力の努は女の又に力が入ると書くぐらいであるから性差別丸出しのろくでもない語彙である。

ううむ、なんか方向性にひどい誤謬があると思うが、とにもかくにも人生は努力してもだめなものはだめであるし、何もしなくてもなるものはなるのである。


簡単な話、やらないものにやれといってもやらないし、やるものはやめろといってもやるのである。

やりたいことをやるのは努力ではないし、努力はいやなことを無理矢理やることであるので、結果はろくなことにならないのである。

好きこそものの上手なれというのはけだし名言である。

つまり脳の方向性のままに生きることが正しい人生の対処のしかたであって、嫌なことを無理矢理努力という名のもとに繰り返しても、無駄な時間つぶしになるだけである。


たとえばコミュニケーション能力が著しく劣るものが営業職についたり、あたしのように数理力IQが72の境界知能のものが経理関係の職についたりするのは無駄を通り越してバカ丸出しの結果になるのは目に見えているのである。

あたしの場合であればIQ論理力200を生かして作家になるべきであるし、IQ図形認識力160を生かして漫画家あるいは写真家になるのが正しい人生の対処法である。

もちろんあたしは現在象気功を日々神のお告げで上梓する大作家であるし、大爆笑漫画ぺちぺちくんを連載する人気漫画家であるわけである。

誰が嘘つきホラ吹きだ。

自分であちこちで言ってるじゃん。

はい。


どんなに努力をしても能無しが少しマシな能無しになるだけである。

でもやらないよりはマシで能力開発にはなるじゃん。

そこである。

どこである。

あそこである。

うふんえっち。

もう飽きてるのかよ。

はい。

つまり、能力開発の目的で方向性の真逆の職に就くのは正しい人生の対処法ということになるわけであるが、そんなことをしてるよりも、方向性の正しい職を目指す方がこの世の極楽に住む可能性が高いのは言うまでもないことである。


もう一度言うが、好きでやってることは努力とは言わないのである。

あたしら競技ダンサーが腰を壊してまでも死ぬほど練習したり、インフルエンザで高熱が出ても試合に出たりするのは、努力ではないのである。

もうこれ、やりたくてしょーがないのである。

フィギュアスケーターの羽生君が直前の練習中の事故でけがを負っても試合に出た気持ちがよーくわかるのである。

もう、痛かろうがなんだろうが出たくてしょーがないのである。


やめろといってもやることは努力ではないということである。

誰がダンサーだ。

遅いがな。

さて、次に正しくない人生の対処法は前述した能力開発あるいは自己啓発あるいはスキル向上あるいはコーチングてなバカに唐辛子をかけて山椒でへーっくしょんみたいな業者に金をふんだくられることである。


あたしら低知能が何をどうしようがたいした能力は開発されないし、自己はたいして啓発されないし、スキルはたいして向上しないし、コーチングもさっぱり効果がないのである。

それがあると錯覚させるのが業者の営業トークであるし、それにひっかかって、あると錯覚するのは低知能の証拠である。

まあ、それにひっかかって一瞬の楽しい夢を見るのはインチキ宗教に浸って悦に入るのと同様に人生の極楽と言えば言えるので、これも一概に否定するものではないが、数十万数百万というおぜぜを詐欺師あるいはホラ吹きに払うのはバカげているので一応啓蒙しておくのである。


啓蒙ではなく単なる商売のじゃまだろ。

誰がおじゃま虫だ。

ううむ、人生がいやになるほどつまらん。

とにかく故事曰くバカは死ななきゃ治らないということをよーく念頭において、何をどうしようが自分は一生バカであるということを深く認識することが肝要である。


ううう、書いていてなんか涙が溢れてくるのはなんででしょうか。

え~~~~ん。

泣くな。

はい。

とにもかくにも、バカのままてきとーいいかげんに好きな方向に向かうのが正しい人生の対処法であって、それに逆らって無駄な時間と金を使うことは正しくない人生の対処法である。

さて、次に正しくない人生の対処法は象気功を読むことである。

やっぱりねー。

終わり。
(2022・04・07)

Copyright (C) Zoukikou All Rights Reserved 無断転用転載厳禁 プライバシーポリシー Contact