本日の御神託
正しい人生の対処法 なにしろ本日の御神託である。 あたしのご意見ではなく神の思し召しである。 しらんがな。 まあ、この世は何事も神の思し召しである。 どんなに必死こいて努力精進していても、とちくるった某露のぷーや北のジョンの核が飛んでくりゃ、東京に住んでるあたしらはその後の放射能も含めてあらいやんである。 もっとも、そうなるときには世界中あるいは地球があらいやんである。 さらに昨今の異常気象による天災災害あるいは地震津波がけ崩れ土砂崩れはどこでどう起きるかもわからんのである。 あらんかぎりの全力で努力精進をしていても、ある日突然家が土砂に押し流されて埋まってあらいやんになるのである。 さらに飛行機で移動する人はこれいつ真っ逆さまに地面に向かって激突するかわかったもんじゃないわけである。 ううむ、先日の中国のあれはすごい映像だったのである。 あれにお乗りになっていた皆さんのまっさかさまに地面に向かう恐怖は想像するだにあらうふんである。 誰があらうふんだ。 それでなくても、歩いていてもじじいやばばあの踏み間違えや間抜けの前方不注意でいつお車が突っ込んで来るかはわからんわけである。 ましてお仕事でいやおうなく日々運転に勤しむあたしは、どこで前後左右から突っ込まれるかわかったもんじゃないのである。 自分だけは大丈夫と思っていてもどなたも同様に死と隣り合わせの日常であるのは当たり前である。 そうかといって家に閉じこもっていてはおまんまの食い上げであるので、とにもかくもどなたもお外に出なければならないので、命の危機は日常のそこかしこに潜んでいるわけである。 たとえば歩道を歩いている小学生や幼稚園児の列にお車で好き好んでブレーキも踏まずに突っ込んで人生を終わりにするバカはいないわけであるが、それでもしょっちゅう突っ込むのは、もちろん不幽霊や自縛霊に取りつかれたわけではなく、神という名の人でなしに取りつかれてその思し召しで突っ込むわけである。 逆に、あたしがどんなに慎重に運転していても神という名のアホの命令指示で小学生園児の列に突っ込んで社会の敵になってしまう可能性もないではないわけである。 この世に起きることはすべてが神の思し召しであるので、あたしら一般霊能者はその思し召しに従って、てきとーいいかんげんに行き当たりばったり出たとこ勝負でへらへらと人生を送ることが正しい人生の対処法である。 ううむ、そろそろ草刈りしないとね。 草が大きく育ってからでは大ごとになるので、草刈りはめんどくさがらずに早めに始めてこまめにすると楽である。 神からいきなり現実の対処法かよ。 (2022・03・31) |
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