本日の御神託
楽に生きる方法その7 なんたって楽に生きる方法である。 そんなもんがあれば誰も苦労はしないのである。 終わり。 これこれマジに語ってどうするんだよ。 えーと、そうね何から話そうか。 今更かよ、もう7回目だぞ。 ええええ?もう7回目なの?あーらびっくり、話すことがなくなるわけだ。 てなことで今日も書かずにいられない病気を癒すためにキーボードをてきとーに打ち始めたわけである。 それでまあ、楽に生きるにはやらなければならないあれこれのことをやめてしまえばいいのである。 なぜ楽に生きられないかというと、あれこれやらなければならないことがあるからである。 それがストレスとなって脳を束縛して、身動き取れなくなって、心身に異常をきたすわけである。 ならばやらなければならないこをやめてしまおうではないか。 ううむ、矛盾だらけだ。 そらそうである、生きるためには息をしなけらばならんし、食わなけらばならんし、そのためには金を稼がなけらばならんし、そのためには仕事をしなけらばならんのである。 息をするのがめんどくさいからといってやめるのは無理だし、食うのがめんどくさいからといってやめるのは無理である。 このへんから始まって人生はめんどくさいことだらけであるわけである。 やらなければならないことはやめることができないことであるということである。 つまり、人生とストレスは相見互いでついて回るわけである。 それを一瞬でも忘れようということで、瞑想だの座禅だのメディテーションだのを考案したわけであるが、これがそのときだけで一夜明ければ元の木阿弥で年がら年中やらなけらばならいので、それもめんどくさいわけである。 大脳の辺縁系に影響を与えてなんとかしようということであるが、ご経験のある方はご存じの通り、アホの独りよがりの自己満足だけで、たいした効果もないわけである。 だいたいが、忙しいあたしらビンボー人に日がな一日お座りして暇つぶしをしろということ自体が無理である。 もともとが働きもしないでお布施で食ってるやつらの考えたことであるので、効果を期待する方が間違いである。 誰がやつらだ。 そこへ行くと、ビンボー暇なしの象師匠の実感実体験から編み出された象気功メソッドは効果満点である。 嘘つけ。 もうしわけわありません、わたくしちょーしこいて大嘘をついてしまいました。 なんなんだよお前は。 バカで~す。 やめろ。 ひゃい。 はいだろ。 ひゃい。 えーと、それで、脳に氣が集まると楽でなくなるのである。 本来、脳に氣が集まるのは命の危機に関わることへの対処のためである。 そら、命の危機に関わることであるから、脳にすべての氣を集めてフル稼働させて危機を回避すべくホルモン放出総動員である。 そんなことが毎日続いたら、脳を含めた身体がもつわけはないのである。 いつも言うことであるが、現代生活においては命の危機にかかわることはまれである。 まれであることから、たいしたことでないことを命の危機と同様のシグナルを発して、人によって年がら年中ホルモン総動員になってしまうのである。 脳神経の異常興奮が続き、ホルモン過剰あるいは枯渇等によってさまざまな心身の異常が現れてくるのである。 しまいには辺縁系自体の変容をきたして、精神状態が常に不安定になる人もいるわけである。 たいしたことでないことは日々あるいはしょっちゅう起きるわけであるが、それをすべて命の危機ととらえるような反応をしていれば心身内臓は疲弊してしまうのである。 つまり、たいしたことでないことに反応しないように身体の構造を変えることが必要であるわけである。 つまり、「やめること」は脳に氣を集めることであるということである。 それが心身を不調に陥らせる根本の原因である。 それでは象師匠のように近所のバカになってしまうではないかという危惧もあろうが、ご心配は無用である。 象気功メソッドは近所のバカになる方法である。 ううう、いかん、めちゃくちゃになってしまった。 えーと、話を戻して、同じストレスでも人によって感じ方が違うわけである。 脳に氣が集まっているとストレスは大きくなるのである。 おどおどびくびくどきどきをやめてどっしりとした精神状態を構築することが肝要である。 その方法を現在「仙骨凝縮メソッド」で講義しているわけであるが、よけいな御神託を始めてしまったので頓挫しっぱなしであるわけである。 とうことで、「楽に生きる方法」はひとまず今回で終了である。 ひとまずかよ。 (2022・02・24) |
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