象気功
気功の穴
象気功


本日の御神託
楽に生きる方法その6


嘘か誠か虚偽か真実か、象気功真髄「楽に生きる方法」も6回目である。

誰が象気功真髄だ。

ううむ、スランプあるいはイップスだな。


スランプは一時的に不調不振に陥って結果が出なくなることであり、イップスは自分の思い通りの動作ができなくなることであるから、厳密にいえばスランプとイップスは似て非なるものであるが、この際どーでもいいのである。

じゃあ、言うな。

はい。


えーと、「楽に生きる方法」である。

そもそも生きてる限り苦しみはともなうものである。

あきらめなさい。

おいおい、そー言っちゃ先に進まんだろ。

つまり、人間はあきらめることができないようになっているのである。


生きるということの原動力は希望であるから、あきらめるというのは希望を捨てるということである。

生きるための原動力を失うということである。

人間とその他の生命体の大きな違いのひとつは、希望というプログラムがあるかないかということである。


なに言ってるの?

だからしらんがな。

たとえば高度な生命体である猫にも希望はないのである。

明日はこうなるとか、もっと良くなるとか、そんなことはまったく考えていなくて、今を生きてるだけである。


もちろん犬にだって希望というプログラムはないのである。

散歩に行けばマーキングにあちこちにおしっこをひっかけて、ドッグフードを食って寝て今を生きてるだけである。

さらに高度なチンパンジーにさえ希望はというプログラムはないのである。


その場で食ってその場でナニをして種の保存のための今を生きているだけである。

未来という名の幻想に希望を持っているのは人間だけであるわけである。

この「希望」が苦しみの本体である。

ならば捨てようではないか。


どうやって捨てるのか?

すべてをあきらめることである。

堂々巡りかよ。

とにもかくにも、今以外の未来も過去も幻想であるから、捨ててもなんら問題はないのである。


しかし、人間はある意味幻想のために生きているので、今現在この時はさておいて、幻想を現実と勘違いして思い悩むようにできているのである。

ううむ、時間の無駄だ、畑を耕そう。

ということが未来である。

続く。


いやいや、続くって、意味わかんねーし。

あたしにだってわかりませんよ。

しょーがねーな、ハイパーグラフィアはよー。

それお気に入りですね、師匠。

あんただれ?

しらんがな。
(2022・02・19)


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