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同情や憐憫は返り念障の原因となりうるのでしょうか?
名前:あひる  
一度掲示板で質問させていただいた「あひる」です。
返り念障編、非常に興味深く拝読しております。

「否定的想念は一切抱くな。」的なことを書いた本は西洋東洋を問わず相当出回っておりますし、一度ならず実践しようと試みたこともあったのですが、結局返り念障の大部分を占めると思われる、ほとんど無意識のうちのそうした感情の動きは象師匠の仰るとおり、いくら抱かないようにつとめましても、本人の顕在意識的意図と無関係に四六時中生産されるのは変わらず、むしろそのことに神経質になることで生じる悪影響(これがまさに返り念障になっていたのでしょうか)が多い気がしまして、結局DNAか何かには抗えないというような気持ちになりまして、最近はあまり気にしないようにしておったのですが、まさか象気功で再び出会うことになるとは思いませんでした。除霊もそうですが、色んな聖者や宗教家の仰ってきたことが、思わぬ形で「気」に収斂されていくことにいつもながら目から鱗が落ちる思いです。

解説を読み、少しは分かったような気はしておりまして意識下で必要以上に返り念障を増幅させることは少なくなったとは思っておるのですが、起こしたくもないのに日常的に生じる恨み・辛みは相変わらずですので、真言などで念障を引き起こす想念そのものを雲散霧消させる、あるいはそうした感情が起こりにくくするような真言などがもしあるのであれば、ご説明があるのを心待ちにしております。(不動明王などでしょうか?)

質問というより要望がメインでしたのでメールという形を取らせていただきましたが、一つ質問もさせていただきますと、「同情」や「憐憫」は返り念障の原因となりうるのでしょうか? あるその手の本で、「決して他人に同情をしてはならな。低い状態に意識をあわせると貴方自身が不幸になる。」と言った趣旨の文があったのを記憶しているのですが、こうした一般的に悪い感情とは捉えられていないけれども、想念自体の持つ性質としてはネガティブなものについては、象師匠はどの様に働くとお考えになりますか?



お答え
象師匠   
まあ、そうですねえ、まあ、メールでいろいろとご意見、ご希望、ご要望をいただくのでありますが、象気功は総てあたしの神さんのお授けのお筆先でありますので、「ご要望」にはいっさいお応えできませんが、ご質問には神さんからのお授けによりどんな質問にもお答えする方針であります。
それで、ご質問の「同情」や「憐憫」というい感情は、別に相手に対して、恨みも辛みも妬みも嫉みも憎みも怒りも発していないわけであります。
「同情」や「憐憫」はたとえば衆生に対する仏の感情であります。
慈愛であります。
相手の立場に立ちその状況を理解し、慈愛を降り注ぐということであります。
いわば人間としての一番高度な感情であるわけであります。
それで、どこのぱーの大センセイの書かれたご本に書いてあったのか存じませんが、「決して他人に同情をしてはならない。低い状態に意識をあわせると貴方自身が
不幸になる。」というのは、自己愛だけにとらわれた、いわば「自分かわいさ」「自分さえよければ、他人なんかどーだっていい」という、人間としてもっとも忌み嫌うべき精神状態のいわば最も「低い状態」であるわけです。
もし、仮にそのことによって自分が不幸になったり何かしらの障害がでることがあるとしても、人間としてなにも躊躇することはありませんから、「総て受ける」ことが、高度な倫理を実践できる脳を授けられた、神の乗りものである人間として、あるべき姿なのであります。
人間の本来は自分などどーでもいいのであります。
それがカルマの刈り取りであるわけです。
躊躇なく正しい王道を歩くことをお薦めいたします。