ダジャレと駄洒落 えーと、なんだね、くだらんことこれでもかと書くというのもこれで、なかなか大変であるのである。 なにしろくだんらことだから、くだらんのですぐ飽きてくるわけである。 それで、何がいちばんくだらんことかとつらつら考えてみると、やっぱりシモネタに行き着くわけである。 しかし笑いをシモネタに持って行くのは、あたしみたいなプロのお笑い者としてはオウン・ゴールであるのである。 これは「お笑い者」であって「笑い者」ではないのである。 お笑い者というのは笑わせることを生業としているものであって、笑い者というのはバカにされて笑われている者であるのである。 まあ、見方によってはあたしも後者であるのであるが、そこはそれ、プロであるからそれもこれも芸の内としなければならないわけである。 あたしは何を言ってるんでしょうか。 まあ、とにかく、それで、シモネタ以外でこれ以上くだらんことはないというネタは何かとつらつら考えるに、やっぱりダジャレかね。 まあ、いわゆるオヤジギャグであるのである。 うちのネコがねこんだ。 ほらね、こんな空気になるわけである。 家を建てたぞ、イエイ! さらに空気が冷え込むのである。 ダジャレてなものは、言ってる方はそれなりに満足であるのであるが、聞かされてる方は面白くもなんともなくて死にそうになるのである。 面白くもなんともないのに一応愛想笑いなんかもしなければならないので、、脳内ではアドレナリン、ノルアドレナリンなんて緊張や不快なときにお出ましになるホルモンが放出されて、いやーな気分になるわけである。 いわゆる「寒くなる」わけである。 聞いてるほうが寒くなる一方で、言ってる方は好きな言葉遊びの成功にそれなりに満足で、前頭葉が活性化されて、ドーパミンがどどっと放出されて気分も高揚して実に楽しくなるのである。 楽しくなるから、β-エンドルフィンも放出されるわけである。 実に気持ちがいいわけである。 でも、これ、10代20代でダジャレを言いまくるなんて人は稀で、どういうわけか、たいていは中高年以上の男性の楽しみであるのである。 とくに、被害に遭うのは会社勤めのおねーさん達で、その尋常ならざる被害のせいで、ダジャレを言う上司がゴキブリのように感じられるのは想像にかたくないのである。 しかし、駄洒落(だじゃれ)と書くとこれが、落語・滑稽本などを始めとする江戸文化である洒落(しゃれ)が根底にあるのである。 つまりくだらん洒落が駄洒落とゆーことであるのである。 駄洒落(だじゃれ)は同じかあるいは非常に似通った音を持つ言葉をかけて遊ぶ一種の言葉遊びであるのであるわけである。 だから、元来、言葉遊びの「洒落」は知識と教養を示す気の利いたものであり、詩や歌詞などでは韻を踏むということで、リズム感を構成したりして多用されるわけである。 ところがこれが、若者から発せられればラップであるが、ただでもうざくてゲーハーで汚くて臭い課長さんから発せられればオヤジギャグというこの世でもっとも忌み嫌われるもののひとつに変わるわけである。 まあ、こんなとこかな今日は。 |