SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER準備号第2号

米騒動から考えたこと

 平成米騒動から1年足らず。米の豊作が報じられると,低農薬・有機栽培の特別栽培米の予約がキャンセルされることが相次いでいるという。昨年,栽培農家のなかには,消費者との信頼を保つために,不足した分は契約販売価格よりも高価格で回りの農家からかき集め,消費者の元に届けたというのに,豊作で契約価格より安い米が出回りそうだということになると,躊躇なくそちらを選ぶ。
 「お客様は神様です」ということにならされてしまった消費者としての私たちは,いつのまにか,隣にいる者の困難にさえ気づかなくなってしまっている。ましてや,それが眼にふれることのないものにたいしてはなおさらだ。
 今,価格破壊ということばが巷を賑わしている。確かに,同じものを安く買えるというのは魅力だろう。だがその安さのなかには,「犠牲」が存在してないか。資金繰りに困った者が,二束三文で投売りをしていたり,日本のODAでインフラ整備された輸出加工区の工場で明治のころの女工並みの労働条件の下で働いている者の存在があったりしていないか。
 経済合理性の名の下に「安いことはいいことだ」と,大量生産,大量廃棄を続けてきた結果,地球環境だけでなく,人間性をも破壊しつつある。
 「安いこと」だけで本当に「いいこと」なのか,考えるときに来ているのではないか。タイの米が安いのは,流通網を握っている少数のものが輸出価格から逆算した価格を押しつけるためで,生産費すら下回っていることがほとんどだ。その結果,農村からバンコクのスラムへ人が押し寄せ,農村も都市も困難を抱え込んでしまっている。
 アメリカでは,農産物価格の低迷で家族経営の農家がたちいかなくなり,土地所有者(都市の投資者)と作付け計画プランナーと農作業請負業者とがそれぞれに分業をする形態が主流になりつつあり,プランナーは農地の保全を考えるより,最大利益を挙げることだけを考えるので,農地はより早く疲弊しつつある。世界の穀物の大半を輸出しているアメリカが今のままの輸出量をいつまで維持できるのか,もしかしたらそれは今世紀で終わるのかもしれない。
 「安さ」を追い求める競争はもうこのへんでよしにしよう。農産物価格には再生産費+農地の維持費用も含めるべきだ。さもなければ食糧生産に支障をきたすことになるのは火を見るより明らかだ。
 それから,金の力に明かせて他国から買い集めるのもやめにしよう。そのために国内の農地が放棄されていく。日本の山間部,それに規模拡大できない傾斜のある水田は放棄されてもう農地の用は成さなくなっている。90年には38万ha(これは九州の水田面積に匹敵する)の水田が耕作放棄地や不耕作地となっている。日本の国内穀物作付面積は500万ha,穀物だけの輸入量を換算しても海外に1200万haの小作地を持っていることになる。この2〜3年は野菜の輸入も輸送方法の改良により急増しつつあり,ますます,他国の農地を日本のために占拠する傾向にある。これは形を変えた植民地ではないか。
 日本に暮らす私たちはいつのまにか,「大東亜共栄圏」の盟主然という生活に慣れひたしんでいまいか。そしてそのことに何も感じなくなってやしないか。そんなこんなを考えさせてくれた米騒動だった。

(秀島 一光)


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