SVA東京市民ネットワークNEWS LETTER「里程標」第20号

暑くて熱い多文化な夏

秋池智子

2000年の夏は、暑くて熱かった!

 私は、多文化探険・多文化共生防災実験の事務局員として働いたのである。といっても、私が探険隊に入隊(?)したのはイベントの約1カ月前で、記録を作成した10月中旬で事務局は解散しているので、事務局員としてではなく個人の体験談として書かせていただく。

 この催しは石原都知事の三国人発言に端を発し、国籍の違いを超えて共生する道を探ろう、災害時などには助け合おう、と呼びかけるイベントだった。都知事の暴言は4月、イベントの決定は6月ごろだ。在日コリアンの辛淑玉(しん・すご)は無謀なイベントと知りながら、立ちあがった。そして外国人にとどまらず、ホームレスや高齢者、障害者の方々との共生も考えるプログラムが組まれた。イベント数は65。これを3週間弱でこなした。

 多くの協力者のおかげで計画したイベントはすべて行われ、深刻なハプニングも起こらなかった。マスコミにも大きく扱われ、新宿区職員労働組合のレポートは地方自治研究賞の優秀賞をとった。結果的には成功といえるイベントであった。しかし、悪いところを見ずして結果に満足してしまっては、この運動は続かない。今回のイベントはまだプロローグにすぎない。

成功の陰に…

 反省点は多々ある。その原因は準備期間があまりにも少なかったことが大きい。こなすことが精一杯で、各催しを丁寧に設定できなかった。ゲストやボランティアへの連絡やケアが充分ではなかった。食事をしながらの催しでは、料金設定やメニューなどの配慮が足らなかった。結果、外国人の参加者は生活が安定している方が多く、宗教上の理由で肉が食べられない人もいた。お金がかかることで参加を断念した日本人もいたと思う。一度、幕を閉じてしまったため、高まったみんなの志気を宙に浮かすことにもなってしまった。時間を置くと、気持ちが冷めてしまう人もいるだろうと思うと非常に残念である。

 私は広報を担当していた。マスコミが人びとに与える影響力は大きいので、取材を歓迎していたが、ときとして報道主体になってしまうことがあった。また、報道できないデリケートなテーマがあったり、カメラに収まることを嫌う参加者がいることを想定できず、気軽に取材許可を出してしまった。参加者やゲストをもっと守るべきだった。

1+1が3になる?

 反省点を挙げていったらキリがない。なので、この辺でやめる。私自身は、しかしこのイベントはやる意義があったと思う。そして、それに関わることができてよかったとも思っている。多くの素敵な人との出会いがあった。地道に共生のための運動をしている人たち、お金を工面しながら手伝ってくれた学生、仕事の合間をぬって活動に加わった社会人、イベントの趣旨を理解してくれて会場を提供してくれた人、寄付をしてくれた参加者…。得するどころか、損するかもしれないこのイベントに手を差し伸べる変わり者の公務員がこれほど多いことを知ったのも喜びだった。彼らは一般参加者に混じり、ボディガードとして陰で活動を支えてくれた。新宿区職労のメンバーは、睡眠時間を削って働いた。一人一人の功績を挙げたいがキリがない。なので、この辺でやめる。

 学んだこともたくさんある。差別を受けている人びとを改めて認識し、もっとひどい現状があることや、それを救おうとする多くの団体があることを知った。私は仕事柄、人と組んで働いたことがあまりないが、人と人がつながれば1+1を3にすることも可能だということもわかった。自分にこんなに体力があることもはじめて知った。

多文化社会はダイヤモンド

 辛淑玉からも学んだことがある。不可能かもしれなくても、とにかくやってみるという勇気と、人を信用し仕事を任せる度胸だ。辛は、ボランティアに受付、司会、記録、会計まで任せた。私にも広報という役をすぐに与え、ある程度、重要な判断も一任した。

 このイベントをやり終えて、自分が大きくなったとは思えない。しかし、成長するための肥やしにはなったと思う。最後に、東京女子大名誉教授の猿谷要さんの言葉で締めとさせていただく。

「ダイヤモンドはカット面が多い方がキラキラ輝くように、一つの国家に多民族による多文化が共生すれば、その社会は多面化し、キラキラと輝きます」(毎日新聞2000年11月24日夕刊“この人と”より)


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