刑法 平成5年度第1問

問  題

 甲は殺人の意思で、乙は傷害の意思で共同してAに切り掛かり、そのためAは死亡したが、それが甲の行為によるものか乙の行為によるものか判明しなかった。共同正犯の本質に論及しつつ、甲及び乙の罪責について論ぜよ。

答  案


一 甲乙が共同で切りかかった結果Aは死亡しているが、その死亡が甲の行為によるものか乙の行為によるものかは判明しなかったという。つまり甲乙いずれの行為共にA死亡との間の因果関係は認められなかったのである(「疑わしきは罰せず」の原則による。)。したがって、単独犯としては、殺人の意思で切りかかった甲には殺人未遂罪(二〇三条)、傷害の意思で切りかかった乙には傷害罪(二〇四条)又はその未遂形態としての暴行罪(二〇八条)が成立するにとどまることとなる。

二 しかし甲乙が「共同してAに切りかか」ったためにAが死亡したというにもかかわらず甲乙いずれもA死亡について帰責されないというのでは、法益保護にもとり、妥当でない。甲乙が共同してAに切りかかっていることからA死亡について甲乙に「すべて正犯」としての責めを負わせられないだろうか。

三1 甲乙間に共同正犯の関係が成立するためには、甲乙が「共同して犯罪を実行」したと言えなければならない。そこで、いかなる場合に「共同して犯罪を実行」したと言えるのかが問題となる。

2 思うに、共同正犯が他人の行為から生じた結果についても「すべて正犯」としての責任を負わされるのは、共同正犯相互間で意思の連絡や実行行為の共同実行がなされることによって、一人ではできなかったことができるようになったり、仲間の存在を意識させて相手方を鼓舞激励し犯罪に出やすくする点にある。このように相手方の行為に対して強い物理的・心理的影響を及ぼすことによって結果発生の蓋然性を強めていることから、相手方の行為から生じた結果についても自己の行為から生じた結果として責任を負わされるというのが共同正犯がすべて正犯として処罰される根拠即ち共同正犯の本質といえる。

3 右のような共同正犯の本質論からすると、共同正犯の成立のためには(1)相手方の行為に対して物理的・心理的影響を与えている必要がある。(2)また、「正犯」として責任を問われるのであるから、影響を及ぼす相手方の行為が自らの犯罪の実行行為としても評価されるようなものでなければならない。

4 本件について見ると、甲乙は「共同して」Aに切りかかっているのであり、互いに相手もAに切りかかっていることを認識している。つまり一人で切りかかるよりもAの生命・身体への危険を増大させている点で物理的影響を及ぼしているし、また、同時に切りかかっている仲間がいると思わせている点で心理的影響も互いに及ぼしている。
 また、「切りかかる」行為は、人の身体を害する危険はもちろん、生命を害する危険をも有する行為であり、殺人罪の実行行為であるとも傷害致死罪の実行行為であるとも言える。
 よって甲乙間に共同正犯関係が成立する。甲は殺人罪(一九九条)、乙は傷害致死罪(二〇五条)の責めを負うことになる。

四 ただ、このように解することについては、殺人の意思を有する甲と傷害の意思を有する乙との間では同一の犯罪を共同して実行したとは言えないとの反論が考えられる。
 しかし、共同正犯が成立するということは、相手方の行為が自らの犯罪の実行行為として評価されるということなのであり、相手方の故意が自らの故意として評価されるということではない。本件で言えば共同のものと評価されるのはあくまでも「切りかかる」という行為であり、それが殺人の意思を有する甲については殺人行為、傷害の意思を有する乙にとっては傷害行為と評価されるに過ぎないのである。また、共同正犯はあくまでも複数人の関係を問題にするものであるから、「共同正犯の関係に立つ」とだけ言えば足り、何罪の範囲で成立するかは問題にしなくてよい、と考える。
 したがって甲は殺人罪(一九九条)、乙は傷害致死罪(二〇五条)の責めを負い、両者は共同正犯の関係に立つ(六〇条)。

以 上


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