●第3章 演技する同人−世間並みを演じる外観と中身−


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*3−1 帰属空間と同人


 サークルの会合や即売会など、人が集合すると同じ場所を共有する空間が生まれる。その空間は解散すると消滅してしまうが、サークルや即売会自体までが消えてしまうわけではない。集合しない時は、同じサークルに属しているという意識のもとでつながっている空間を共有している。これを帰属空間と表記する。物理的居場所を内包する、ある共通項・意識がつくっている精神的居場所と理解してよい。(共同体という用語が便利なのだが、使い方が難しいので、ここでは用いない。) 即売会に何万人と集結する同人も、家に帰れば家族があり、それぞれ学校に通ったり働いたりする場所がある。人は誰でも、家庭、地域、学校・職場、そして趣味の世界など、様々な帰属空間をもっている。

 結婚して家庭を作るということは、すなわち新たな帰属空間を創造することである。二人の帰る場所、新家庭にいる時はもちろん、たとえ遠く離れていても心が通じている限り、固い絆で結ばれているのだ。 さて、この文章のテーマは同人関係者の結婚であった。パートナー、すなわち配偶者は、既に二人が共有している帰属空間の中でしか出会えない。だから、この場合の結婚パターンは、以下の二通りしかない。

◇同人空間の中で配偶者を選ぶ。
◇職場など、同人空間と独立した帰属空間で配偶者を選ぶ。


 さて、同人が結婚しようとする場合、自分および配偶者が同人空間に対してどのような立場をとるのかは重大なポイントをなす。これが一致しない限り、または合意がなされない限り、結婚の成立はあり得ないからだ。 そのポイントは、同人空間と、それと独立した帰属空間の両方に適応可能か、すなわち異なった慣習やしきたりをもつ空間と空間を相互に乗り入れられる両立性があるかないかに収束する。ここでは、両立性がないのを真性同人、あるのを両立同人と呼んで、それぞれの帰属空間の構造を見てみよう。





*3−2 真性同人

 真性同人とは、同人空間を何よりも大切にする人のことである。より正確に言えば、同人空間の中でその人の人間関係がほぼ完結している人のことである。もちろん、真性同人も学校や職場に通ってはいるのだが、そこでは同人仲間とのつながり以上の関係がない。学生ならば、同属や類似の仲間(漫研など)はともかく、それ以外の友人はない。社会人ならば、仕事以外での付き合いがない。仕事の時間(平日)は、はっきり言って楽しくはなく、従って精神的安定はもたらされない。睡眠は生命維持のためにやむを得ずとる無益な時間だという見方があるが、真性同人にとっての平日も生命維持(学生なら扶養される名目、社会人なら給料の獲得)のために、無益に消費される時間なのだ。睡眠ならまだ快楽が得られるが、平日の時間にはそんな快楽すらない。

 学校や職場の人に自分は同人誌をやっていると公表する同人は明らかに少数派である。だから、真性同人にも「隠れ同人」は少なくないが、既に変わり者のレッテルが貼られていて不思議はないし、公表しても多分驚かれないだろうし、かえって「ああいうヤツだから」と納得されてしまうかも知れない。

 結局、有効に機能する人間関係は同人空間の中にしかなく、そこに集えない平日はないに等しい。待ちかねた週末は同人仲間の集合場所にたまりこむ。真性同人にとっての日常はすなわち(週末の)同人活動であり、平日の自分は見事にカットされている。他に安住出来る居場所がないわけだから、同人の世界をやめることなど思いもよらぬ。同人活動を通じてしか自分らしくなれない人、それが真性同人なのだ。





*3−3 両立同人

 両立同人とは、学校や職場などの帰属空間での人間関係を、同人空間のそれと同等以上に大切にする人のことである※。学校や職場でも、アニメーション学院の類やその筋の、即売会シーズンになると一斉に休みになってしまう業界など、いかにも同人空間と相関の認められそうな例はある。だが、この場合は同人空間に関わりのないクラスメイトや同僚との人間関係を、同人空間のそれと同等以上に大切にしているかということだ。

 先に挙げた真性同人は、前者との付き合いは事実上なく、あっても業務上必要最小限にとどまる程度しかもっていない人を指した。両立同人は、そのようなことはなく世間並みの付き合いを苦にすることもない。だから、平日の生活も充実しており、同人空間にいない自分も同人空間での自分も、しっかりと楽しんでいる。プラスアルファとして同人空間を持っているのだから、普通の人よりも交際範囲が広いとさえ言える。

 「隠れ同人」は、両立同人の中にも多い。第2章で述べたように、世間は同人活動に理解があるとは言い難いので、よほど恵まれた環境にいない限り、現状では特に自分からひけらかすこともなかろうと思う。
(※学校や職場の人間関係を重視しさえすればよいものではない。例えば社会人の場合、職場の中だけにしか有効な人間関係がなければ、真性同人と同様の真性会社人間でしかないので留意されたい。)





*3−4 演技両立同人

 実際、真性同人はそれほど多くはいない。即売会の会場をざっと見渡しても、同人空間以外では生きていけそうにない真性同人は全体の5%位ではないか。だが、残りはみんな両立同人だと喜ぶのは早合点というものだ。両立同人も5%いるかいないか。結局、中間の90%は多かれ少なかれ、これから述べる演技両立同人に含まれるのではないかと想像している。

 演技両立同人とは、文字どおり両立同人を「演じて」いる同人である。真性同人とは異なり、学校や職場など他の帰属空間での人間関係も一応は保っている。だが、その空間にいることで精神的な安息が得られているわけではない。どちらかというと、平日は気苦労が気苦労でしかない、つまらない時間のうちに入る。真性同人なら平日はないものとして扱い、同人空間(主に週末のサークル空間、即売会空間)の中だけで生きる人となってしまうが、そこまで大胆に踏み切れるわけでもない。だから、平日も充実しているかのごとく懸命に「演じて」でも、両立していることを主張しなければならないのだ。

 真性同人に近いほど、学校や職場での関係を維持する「演技」のために大変な労力を必要とし、ストレスもためこんでしまう。また、両立性を主張する人ほど、それが大事な関係であることは分かっているから、ますます「演技」に磨きがかかり、ストレスもたまる。やはり、同人仲間と一緒にいる方が楽しいと感じるひとときがある。そうして、(ストレスがいつの間にか解消されてしまう)同人空間はますます居心地のよいものになってゆくのである。いつか反動が来るかもしれないが、再び上記の循環を繰り返すふりだしに戻るだけだ。

 要するに、演技両立同人は、外見こそ両立同人と同じ帰属空間をもっているが、精神構造は真性同人のそれと同等なのだ。ただ両立性を主張しているかいないかの違いでしかない。 程度の差があるから明瞭な線引きは出来ないが、以下にあげる特徴のうち習慣的に思い当たる項目がたくさんあれば、演技両立同人の特質をもっていると判断して構わないだろう。(ほとんど当てはまるようなら、真性同人を自覚した方がよい。)

◇月曜の朝は憂鬱である。

◇学校や職場では、終業時刻がくるのをひたすら待っている。

◇今日は水曜、明日は木曜ではなく、休日まであと3日、2日と指折り数える。休日が待ち遠しい。

◇職場が忙しいと、それを理由に同僚との雑談で話題合わせをしなくて済むから楽だ。

◇5時に終業するとしたら、時計を見て「いま4時か」ではなく「あと1時間か」と思う。

◇しかし、休日にサークルの会合などで集まったときは「もう4時か」と思う。

◇休日の予定は同人関係でほとんど埋まっている。

◇電話の短縮ダイヤルに登録している番号は、ほとんど同人関係者で占められている。

◇留守番電話のメッセージは同人向けに吹き込んであり、目上の人からかかって来ることを想定していない。

◇同人関係者だけの住所録/名簿があり、同人以外のそれよりも分厚く立派で人数も多い。

◇同人以外の住所録/名簿は、昔のまま放置されている。または、どこかへ行ってしまった。

◇年賀状の大半は同人関係者から届き、自分から出すの年賀状の大半も同人関係者宛である。

◇同人以外への年賀状は、義理で仕方なく出している。

◇学内のゼミや職場などで飲み会がある日は、朝から気が重い。

◇そういう飲み会では、自分の居場所がない。話題が合わない。話題を合わせるために大変な労力を使う。

◇学校や職場でトラブルがあってもすぐ立ち直るが、同人空間でのトラブルは夜も寝られないほど悩む。

◇学校や職場にいても、今度作る同人誌のことばかり考えている。

◇以上の項目の幾つかには、思わず苦笑させられた。(図星だったのではないか?)





*3−5 帰属空間への意識による分類(第3類)

 真性同人は、ある意味で自分の気持ちに正直に生きており、基本的に他人の視線は気にしない。両立同人も気にする必要がない。しかし、演技両立同人は大いに世間体を気にしており、心は真性同人と大差ないのに外観は両立同人を演じている。その幅は人によって大きく異なるが、「演技」の代償は多くの場合ストレスとしてためこみやすく、その発散場所は他でもない同人空間に見いだしているのである。 それぞれの定義をおさらいすると、以下のようにまとめられる。


◆「真性同人」
楽しいと思う帰属空間は、同人空間やそれに付随・関連する枠でくくられてしまう世界しか持っていない同人。同人空間と独立した帰属空間には、有効な人間関係がない同人。

◆「両立同人」
同人空間の人間関係も、それと独立した空間の人間関係も有効に機能している同人。同人活動と世間並みの生活が両立している同人。(なお、同人活動をやめる時に人間関係を含めた全てを清算するつもりでいる人は、同人活動そのものを「演技」しているように見えるが両立同人に含まれる。)

◆「演技両立同人」
外観は両立同人で、中身は真性同人。本人は両立同人を主張しているが、精神構造的には真性同人のそれに近いか同等の世界に住む同人。






*3−6 まとめ

 真性同人にとって、学校とは惰性で通う場所に過ぎず、職場とは単に生活費を稼ぐための苦役に過ぎない。人生の楽しみは、同人空間の中にある。同人空間と、せいぜいそれに類似した空間の中にしか人間関係を持たないが、本人もその状態をよしとしている。「私にはこの世界しかないのだ。」「この世界で充分満足なのだ。」と思っており、それ以上のことは考えようともしない。もし、同人誌の販売だけで生活がまかなえるとしたら、迷う事なく職場を去り、文字どおり同人空間の中で全てが完結する生き方を選ぶだろう。(ただし、同人誌の販売だけで暮らせる人が必ず真性同人とは限らないので注意されたい。)

 現役の活動はやめたとしても、なお同人空間に出入りしたり、元同人同士と空間を共有していたりして、依然としてそれ以外に持っている帰属空間で有効な人間関係がない場合は、やはり真性同人の一種にとどまっている。さらに、同人をやめたとしても、類似する帰属空間、例えばパソコン通信仲間と作る空間などに安住の地が移動しただけでは、確かに真性同人ではなくなるが構造的に居場所が平行移動しただけで、真性同人と同じ真性○○であることに変わりはない。

 両立同人の特徴はもう繰り返さないが、真性同人と両立同人は正反対と言ってもいいほど違う。同じ空間を共有して同人活動を行うという点においてのみ一致するだけで、それ以外はことごとく異なる、まったく別の人種と思った方がよいくらい違う。だが、彼らは言わば同人空間の両極で、大多数は両方の属性を抱え込む、中身は真性同人だが外観は両立同人であることを懸命に「演技」している演技両立同人に含まれるだろう。

 ひとことに同人の結婚といっても、この違いを理解しないで考えることは出来ない。両立同人と両立同人の結婚は申し分ない。真性同人と真性同人の結婚も、その世界で生きてゆく限り、きっとうまくいく。だが、演技両立同人は、誰を選べばよいのだろうか。結婚は「演技」では済まされない「現実」そのものなのだから。 ここに、演技両立同人の悩みが見えてきた。






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